今更敢えて鹿爪らしく言うまでもない事実だが、人間は死後、神になり得る。
遺された者、弔う者らが死者を神座へ押し上げる。
大変な作業だ、人手は多ければ多いほどいい。
徳川家康が大権現に、
豊臣秀吉が大明神に、
菅原道真が天神様に、
それぞれ祭りあげられたように、生前現世で大なる功を成し遂げた、──英雄性を発揮すればするほどに、その霊魂が神性を帯びる見込みは高くなる。

(上野東照宮にて撮影)
孫文もまた、神になった。
彼亡き後の広州を──国民党の膝元を──三日も歩けば得心のゆくことである。劇場、学校、商店と、人の出入りの盛んな場所には必ず彼の肖像画が掲げられ、大抵の場合それは青天白日旗と遺訓と連れで、三点セットにされていた。
広東大学は中山大学と改められたし、香山県また孫文の出生地というだけで中山県と改称された。まるきり「聖地」の扱いである。
国民党の息のかかったありとあらゆる学舎では最低週に一回以上、生徒、教員、みんな揃って孫文の
圧倒的だ。
これほどまでに圧倒的で熱烈な個人崇拝を一身に受けた漢人が、ここ半世紀で孫文以外にあっただろうか。

(広州市街)
かつて見ざる鼎沸ぶりに「支那通」気取りの日本人らはこぞってたじろがされつつも、この現象を彼らの中の「常識」という鋳型に無理くり嵌め込んで、どうにか理解出来る形に打ち直そうと試みた。結果出来上がったのが、
「孫文は死後、神になったようである」
との風説である。
神尾茂も、その一党の一員たるを失わぬ。
「孫文の死は、死に対する支那民族特有の不思議な求訴力によって、孫文の思想と人格とを神格化し、その百四十一字の遺言と共に、孫文は偶像化して、党員礼拝の的となった。生存中厭がられた個人的欠点は消えさり、人を容れない潔癖性に対する反感や、大ぼら吹きの名もその死と共にうせて行った。国民党の組織は如何に密になっても、この神格化されて、党員の間に再生した孫文の霊がなかったら、全軍の統一は愚か、各部の連絡も今のやうには滑らかに行きかねたであらう。革命の偉人孫文は少くとも半世紀は支那の人心を導くだらうと思はれる」

(viprpg『トドワレノトウ』より)
一介のジャーナリストでありながら、後に陸軍特務機関に協力し、密使の役目をつとめたりして対支工作遂行上に一助を添えもしたという、面白過ぎる経歴を背負った男の観察だ。
頭に入れて損はない。
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