人を殺ったら
腕に覚えのある技師にとり、
江戸徳川の世に於いて、異常な速度で発達を遂げ来たった観念である。
山の

そもそも鉱夫全般が幕府から特権を受けているのだ。
「山師金掘師、人を殺し山内に駆込むとも留置き、仔細を改め何事も山師金掘師の筋明白立候はゞ留置相働かせ可申事」。──たとえ人殺しであろうとも、事情を
歴史に名高い『山例五十三箇条』の一節である。
起草者は、初代将軍・神君徳川家康公とされている。
権現様みずからが「斯くあれかし」と定め置かれた掟な以上、その権威は絶対だ。叛逆はおろか異を唱えることすらも、ほとんど慮外の沙汰である。
ただ、この

「君父の讐を復するは、皆臣子の至情に出づるものにして、苟も其志を遂ぐる為めには、婦人の力を假ると雖も恥辱となすに足らず」。──これまた家康公の御言葉として今日に伝わるものであり、
「君親の仇は弓銃を用ひて之を殺すも卑怯にあらず」。──こちらは我らが甲斐の英雄、武田信玄公の言。
君父の
それほどまでの特例を態々設けることにより、親や主君が如何に貴い存在か、人々をして暗に悟らしめんとする。下剋上の発生を、ごくさりげなく心理的、倫理の面から抑止する。類い稀なる食わせ者、狸おやじな彼らのことだ、そうした狙いがきっとあったに違いない。
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