交戦一年を経たあたりから、帝政ドイツの外交態度は新傾向を帯びてきた。
講和への熱烈な欲求である。

ベルギー、ロシアは元よりとして、大日本帝国に対してまでも単独講和の打診があった。むろん、悉くを撥ねつけられた、実のならぬ花に過ぎないが、あったことはあったのだ。
戦争は勝っている間に畳むに限る。フリードリヒ大王やビスマルクを生み出した、恐るべきドイツ民族がその程度の要領を掴んでいない筈がない。彼らは実に常識的な、真っ当な手を打ったろう。
ただ、問題は、同じ理屈を英仏以下の、連合諸国の人々もごく当然に呑み込んでいたという点だ。

(フランスの列車砲)
「戦争は勝ってる内に終わらせるに限る」なら、裏を返せばそのことは、「敗勢を挽回するまでは断じて
「近頃ドイツ側の講和運動が盛である正反対に連合軍殊に英国の決心益々堅固の度を高め官民共に平和尚早論を高調しつゝあるのは強ち虚勢を張ってゐる訳では決してない、つまりは利害の関係上今講和しては大なる損害である、ドイツの上に講和条件を指令し得る位置に立たずして和を講ずることは断じて連合側の為さゞる所であらう。…(中略)…連合軍が此上莫大の犠牲を払ってもドイツを戦場で撃ち破るまで戦争を継続するや否やは頗る疑問であるが、結局持久力に於て明かに勝目を示す時までは決して干戈を収めぬであらう、其頃になればドイツ国内の平和熱は益々盛になって来て流石の軍国的官僚政治家も最早ドウする事も出来ぬ事になるであらう、想ふに今年の八月即ち開戦後二ヶ年を経過する頃にはドイツ国内に非常に平和要求の声が高まって一層大仕掛の騒動が起るのではあるまいか」
大阪毎日新聞社の特派員、加藤如風が「霧の」改め「暗黒の都」ロンドンから──空襲対策、燈火管制実施による影響で、新たに生まれた呼称であった──書き送った記事である。

(イギリスの攻城臼砲)
どちらか一方の勢力が「もう止めたい」と願っても直ぐに終了出来るほど、戦争というのは甘くない。
特に平和への欲求は、敵手の眼からは付け入るべき隙であり、抉り抜くべき弱みと見られ、あともう少し粘りさえすりゃ内から崩壊するのでは──と、希望的観測を抱かしめ、戦意をいよいよ盛り上がらせる皮肉な結果に帰着する。泥沼から抜けようとして、更に重く且つ深い、汚泥の中へ足を突っ込む危険性を秘めているのだ。
「フランスはアルザス・ロレーヌ二州を獲ずしては断じて平和を求めず、仏国民の士気の旺盛なるは過般募集されたる公債が二百二億七千六百万フランの巨額に達したる一事を以て證明し得べきなり」
と、首相としての立場からジョルジュ・クレマンソーが獅子吼したのは、一九一七年十二月のことだった。
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