占領からものの三ヶ月内外で、五十人もの死者が出た。
一九二三年、フランス・ベルギー軍によるルール占領を言っている。
同年四月十日に於けるヴィルヘルム・クーノの演説内容に則る限り、どうもそういうことになる。ワイマール共和国の首相閣下は、その日、以下の如くに述べたのだ。
「仏国兵士は頭髪一本をも損はざるにドイツ労働者五十名は己の血潮の中に斃れた。機関銃は未だ曾てドイツ人民の精神を奪った例がない。余は敢て世界各国民に問ふ、ドイツ国民は何時まで待てば世界は此の狂暴なる力の濫用に対して中止を命ずるのであるか」
と。
(Wikipediaより、ヴィルヘルム・クーノ)
悲愴としか言いようがない。
悲愴であろう。他国の軍靴に自領を侵され、財を奪われ、あまつ無辜の市民の血潮が現に流されているというのに、この期に及んで猶もまだ国際世論などという、実態のひどく曖昧な、霧か霞の如きモノを当てにして、慈悲を乞わねばならぬとは。
これがほんの数年前まで世界を相手どりながら、獅子奮迅の勇戦を見せ、敵兵をして一歩たりとも自国の土を踏ませなかった大帝国の成れの果て。どうだろう、「敗戦国のみじめさ」も極まったと言えるのではなかろうか。
実際問題、ドイツが如何にわめこうが、フランスにしろベルギーにしろ、聞く耳を持つ筈もなく。占領は遺憾なく
(Wikipediaより、ルール占領)
彼の不信任案が議会で可決される頃、その足元たるベルリン市街の各所では、留学なり商用なりで当地に腰を据えている日本人が三々五々、同胞同士こっそり額を寄せ合って、
「昨夜十時頃ハーレンゼーで自動車から引き下されて裸にせられたものがあるそうですね」
「えゝ今朝の新聞で見ました。それよか二三日前の夕方、ティーアガルテンで四人の日本人が十人の強盗に包囲されて丸裸にせられたと云ふ話を聞きませんか」
「いえそれあ初耳です、然しほんとでせうか」
「僕は誰だらうかと思って聞き合はして居るんですがね」
「然しこの先どうなるんでせうね」
「ドイツももう駄目ですね」
「A君が大使に逢ったら大使は引上げを勧めたそうですよ」
こんな会話の交換に熱を上げていたという。
沈む船から逃げ出すネズミ──と言うよりも、患者の死臭を嗅がんとしている医学生の群れであろうか。いずれにせよ、破滅に連座させられては大変と、神経を尖らせていたようだ。

(ベルリン市街)
異国に於ける邦人間のさも麗しき繋がりをスケッチし置いてくれたのは、早稲田大学に所属する、小泉英一なる男。
大正十四年、帰国してのち世に著した、『伯林夜話』なる書籍より抄出させていただいた。
その時分には流石にもう、ルール占領も一応の終結を告げている。
しかし禍根の種は蒔かれた。
数え切れないほど数多。ドイツ人の胸奥に、戦慄の種子が、しっかりと──…。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓
![]()
