絢子が棚橋の家に嫁したは齢十九の折である。
夫である大作は、もう五、六年も以前から眼病に患わされており、既にほとんど全盲に近い有り様で婚儀の席に臨んだという。

第二の人生、景気が良いとは世辞にもちょっと言い難いようなスタートだ。
しかし絢子に失望はない。
少女の頃から読書が好きで、経書の類を読み漁っては父親に「変物」扱いされ続けて来た人である。
──塙保己一の例もあるから。
この際腕によりをかけ、夫の智能を磨きに磨き、そうしていずれは一廉の学者様よと仰がれるに至るまで、我が手で仕立ててくれようず、と。
夢のような展望に、却って湧き立つものを覚えたとのことだ。
それで始まった棚橋絢子の読み聞かせ。「家事の暇には側へ行って本を読んで上げました、中年の盲は癇が高ぶると云ひますのに夫は実に物静かな人で、代読の半ばに用事が出来て一二時間も中座してから側へ来ると、矢張り端座して待って居ると云ふ塩梅で私がいそいそ読んで上げると心から嬉し相に聞いて居りました」。斯くの如き韻律で、絢子の新婚生活は貫かれていったのだ。
明治三十六年に東京高等女学校・初代校長の席に就き、以後星霜を重ねたり、昭和十三年、齢百を刻むまで、ずっとその座に君臨し、未来の大和撫子たちに絶大な感化を及ぼした、「おなご校長」の素地というか因って来たる淵源を、ほのかに感じる景色であった。
(Wikipediaより、棚橋絢子)
──ああ、それにしても、なんと清々しい眺めだろうか。
姦通だの処刑だの、濁世の濁世たる所以、色欲の極彩的な発露に触れて混沌とした脳内が一気に
「結婚後三年目に家の変動で夫の国の美濃へ引込み、二人で寺子屋のやうなことをして居ますと又三四年目に御維新の変動に出逢ひ僅の田地も着物も皆無くして
げに麗しき縁である。

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