第一次世界大戦の勃発と、それに伴う輸入の遮断、俗に所謂「舶来品」の欠乏は、日本社会のあらゆる面に深甚なる波紋を描いた。
薬価全般の高騰により、生薬の価値が見直され、代用品たるべしと持て囃され出したのも、一つの顕著な例だろう。
京都・大阪──上方地方一部ではアスピリンの代用としてミミズに着目、風邪程度の熱ならばコレで充分解消可能と謳われて、使用を推奨されたとか。

嘘ではない。
信ずるに足る証言がある。
この道一筋二十年、ミミズ採集で生計を立てる人物が、淀川西岸、南長柄の地に在った。
姓は田阪、名は菊松。彼の口から、
──ミミズの需要が今日ほど高く盛り上がったことはない。
との嘆声が、大正五年、漏れているのだ。
「蚯蚓にも上下があって赤い
当年とって五十歳、黙々と己の仕事をこなす職人気質の男さえ、値上げ交渉をたくらむレベル。
奔騰する時勢が生んだ奇観の一つであったろう。
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