税関に勤務しているとちょくちょく妙なモノを見る。
神戸のとある貿易商から使い物にならない茶葉を、そのくせかなりの頻度で以って輸出している不思議さが、片山兵次郎の興味を惹いた。この興味こそ、一介の税関職員だった彼をして、国産カフェイン製造業者の嚆矢という思いもかけない運命へ至らしめたる発端だった。
(Wikipediaより、神戸税関)
順序よく、先ずは茶葉から論じてゆこう。
どう使い物にならないか。
石灰塗れなのである。
これではとても飲用に堪えない。にも拘らずいったい何処に需要があるのか、送り出される茶葉の量、年々増加しこそすれ、減少する兆しさえ見えてこない不自然さ。
(誰が、何にあんなモノを利用する?)
兵次郎は疑念を持った。
疼痛のように放置できない疑念であった。

職務の域を踏み越えて個人的な熱意から方々探索してみると、驚くべき真実が、ほどなくして浮かび上がった。
「…番茶は飲用に供するのでなく、カフェインを採る原料に用ゆるのであるが、単に飲用品として送り出すと関税が非常に高いので、脱税の為めに斯く石灰を混じ、廃物同様にして送るのだと判り、且つ此の安い番茶からカフェインが精製されて高い値段で再び本邦へ輸入されるのだと聞いて大いに発奮し国家経済上決然その製法研究を思ひ立った」
佐田介石が手を打って賞讃しそうな心意気──国産奨励、輸入防遏──であったろう。
如上の記述は当代きっての薬学士、丹羽藤吉郎の筆による。
兵次郎が苦心の末編み出した、彼独特の製造技術を事業化する際に当たって強力に後援した人物である。

(viprpg『おとな具現化2』より)
そう、
天稟があったとしか言いようがない。
化学的・薬学的知識に関し、専門的な授業など一切受けたことのない、まるきりズブの素人が、僅か数年間の研鑽のみにて既存の手法を遥かに超える効率的な「遣り口」を確立させてしまったのである。
信じがたいほどの成果であった。
実際問題、同時代人はほとんど誰も信じなかった。
エセ科学でメッキした、巷に溢れる山師らと同一視され、銀行からも資本家からも、洟もひっかけてもらえなかった。
そのあたりの機微につき、再び丹羽博士に聞こう。
「片山氏は苦心の末漸う簡単で完全な製法を発見し得たので大に喜び、実地に製造を試みやうとしたが何分にも無一物で手の出しやうがなく、或人の紹介で大正二年の春静岡へ来て二三の実業家に謀って見たが誰一人対手にもなって呉れぬ」──大抵の場合、結局人は肩書で
もしも片山兵次郎が事業計画書を差し出すに、どこぞの帝国大学の卒業証書を添えていたなら、世間の風はこうも冷たくなかっただろう。
だから
「途方に暮れていると又或る人にカフェイン製造なら一先づ専門家の丹羽博士に相談するのが安全であると云はれ、其の人と同道で自分の所へ来たから親しく本人の研究した事を聞いて見ると、其の製法は合理的で頗る要領を得て居るので余は大いに激励し、自分から態々農商務省に出頭して説明の労までも執って首尾よく『片山式カフェイン製造法』と云ふ専売特許を取り、夫れから静岡市の資産家中村圓一郎氏に交渉して同氏が資本主となり、大正三年三月中静岡市在の吉田村に粗製精製の両工場を設け製造に着手して見ると果して立派な然も外国製に劣らぬものが」出来上がり、関係者一同、万々歳と相成ったというワケである。
この場合、片山はむろんさることながら丹羽藤吉郎の偉大さもまた見逃せぬ。二流、三流の研究者だと、自己の専門分野に於いて一端なりとも素人に凌駕されたを不快がり、研究成果をうまいこと自分のものに剽窃せんとの野心すら起こさないとも限らぬからだ。


間もなく
時代の風に帆を張って。──国産カフェイン製造事業は大いに飛躍したそうな。
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