「名付け」は願いと共にある。
「斯く在るべし」との祈りを籠めて、親が子供に贈るモノ。──「こんな大人になって欲しい」という希望、絢爛たる未来を望む真情を、集めて煮詰めて純化して、結晶化した成果こそ、即ち名前に相違ない。

ただ、しかし。自分で自分に与える場合はどうだろう。
ペンネームを考える時、果たして作家はいちいちそんな大層な、仰々しい理屈なぞ介在させているであろうか。
そのあたりの機微につき、寺田寅彦に訊いてみる。
彼の好んで用いた筆名、「吉村冬彦」は何に由来したモノか。曰く、彼の血筋に長く伝わる「家系伝説」に拠るのだと。本人の口吻をそのまま引こう。
「僕の家は土佐藩士だが、始め吉村といふ名であったと云ふ話です。系図では分らぬが何でも何時頃の事か寺田といふ家から養子を迎へると共に名も変ったので、その以前は吉村と言ったといふ言ひ伝へがあるので、僕は変名に其吉村を借用した訳です。又僕の名は寅彦だが是は寅年生れの故ですから、其寅の代りに生れた時節、即ち僕は十一月末の生れですから冬彦と命名したのです」
己が血統、ルーツに対して敬意を払う手合いは好きだ。
保守的極まる私個人の性癖を大いに満たしてくれるから。
吉村冬彦の随筆は久しく愛読しているが、今後ますます親炙してゆけそうである。

なお、ついでながら触れておくと、名前に関する
ちょうどいいから「締め」として抄出させていただこう。
「ロビンソン・クルーソーの忠僕は『金曜日』と呼ばれた。フランスには『日曜日』がある。日曜日に生れたとか、拾ったとか云ふ所から、私生児や捨児につけられた。アメリカでは売買された月の名を奴隷につけたことが多いが、フランスでも嫡出子でない場合には生れた月をそのまゝ名にしたのがあって、Avril(四月)Mai(五月)など沢山ある。…(中略)…又大革命時代には坊主が憎けりゃ袈裟までとやらで、名前も俗化させろとの法律がきゝ過ぎCafe(カフェ)とかBillard(玉突台)などと云ふ突飛な名までつけたフランス市民があったと云ふ」
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓
![]()
