印象操作と世論誘導、これこそ朝日新聞の真骨頂といっていい。

百十年も以前から、あるいはいっそ旗揚げ当初の時点から、彼らはずっと
以下に証拠の一つを示す。
「大正二年、桂内閣に対する護憲運動が白熱して帝都に焼打ちが勃発した時だ、当時全国の大多数の新聞はその運動を極力声援してゐた、その結果焼打ちとまで激成したのだが、かくのごとき場合、いつでも新聞は『暴徒』といふ字を使ふことになってゐる、だが、きのふまで志士あつかひにした人々を、俄に『暴徒』はひどい、といって暴挙は暴挙だ、義士とも名づけかねる、何かないかと考へた末『民衆』と書くことにした、すなはち『暴徒首相官邸に迫る』といふ標題は『民衆首相官邸に迫る』と代はって、これでいゝと安心した」
大阪朝日新聞の記者、田井羊公の回顧であった。
これはひどい。余計な真似をしやがって。衝動的に唾でも吐きつけたくなった。
何を四の五の言ったところで、こいつのやっていることは責任逃れのための誤魔化し、我と我が身の可愛さゆえの単なる保身ではないか。
言葉の力で事実を覆わんと画策している、あからさまな印象操作。「テロリスト」を「レジスタンス」とすり替え呼ぶに等しいだろう、こんな所業に及んでおいて「社会の木鐸」もないもんだ。「不偏不党」など誰が信じる。思いきり特定勢力に肩入れしているではないか。にも拘らずその背信的工作を、さながらまるで一休宗純みたような頓智頓才の発現めかしく吹聴して回るなど、いったい何の冗談だ?
以降も彼はこのやり口を常習し、それがいつしか『朝日』に於けるスタンダードになったとか。
恥知らずにも限度があろう。面の皮が厚くなければ記者など到底長いことやっていられるもんじゃあないと理解してはいるのだが、わけてもこいつは別格だ。
更に輪をかけて不愉快なのは、この下衆下根の責任逃れが、どうも現代まで続く「大正デモクラシーの一般的なイメージ像」の形成に一役買っているであろうことである。

「新聞記者の仕事はその日その日の世界の出来事を最も新しく整理編輯して世の中に発表するもので、換言すれば新聞記者は最も新しい最も精密な近世世界歴史の編集者であります。
数十百年の後には、大学の研究室に閉ぢこもって、明治大正の新聞を切り抜き、糊と鋏とを以て博士論文を書き上げ、文学博士の学位を授与せらる人が数百人出来るのでありませう。
我々新聞記者は博士の母であります、製造者であります」
さるジャーナリストの集まりで、吉田淳なる人物が宣したというこの言葉。
ご立派なプライドは結構なれども増上慢に堕してしまっては意味がない。
実際問題、これだけの権能を持った新聞記者が、たかが「権力の監視装置」の範囲内に収まるなどと、やはりどうしても信じられない。どうせ隠せないくせに、無力を装うのはやめろ。新聞、ひいてはマスコミも、紛うことなき権力者。活殺自在の利器を手に人間世界を覗き込む、専制の一角なのである。
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