「各々やるべきことをやれ、責任はすべて俺がとる」
なんとも格好いいセリフ、男らしいことこの上もない、生涯一度は言いたいセリフ。
だがしかし、当たり前だが夢想を現実に移すとなると、利害得失諸々の、夢も希望もありゃしない、ただひたすらに塩辛い、数多要素がそこに付き纏ってくる。
安全第一、寄らば大樹、長い物には巻かれまくって保身々々で世を渡る「利口な大人」でなるならば、やはり言えない、機会が来てもスルーする、まあせいぜいがモニタの向こうの架空の登場人物に代弁させて慰藉を得る、そんなところが関の山であるだろう。

(フリーゲーム『××』より)
逆に言うならリアルでこんな大見えを切れるような
赤池
大正十二年、警察官の最上位、警視総監の立場に在ったこの人は、同年九月一日に於いて突発した大惨事、関東大震災の渦中にて、目も眩むほど鮮やかな独断専行を敢えて
これについては、ぜひとも素材そのままの味、彼自身の格調ある文章を堪能して貰いたい。
以下、当人の回顧談より抜粋である。
「一日の午後から夕方にかけて避難民が潮のやうに宮城前の大広場に押しよせた、無慮三十万からの数に上ったのである、これ等の人々が最も心配したのは明日の命を如何にして繋ぐかといふことである、これ等の人々が飢餓に攻められたならば場所柄だけに如何なる挙に出るかも知れない、この挙に乗じて不逞の徒が如何なる騒動を惹き起こすかも知れない、当局としてはこの点が最も憂慮せられたので、越権行為ではあるがこの際責任は一切自分一身で引受ける覚悟で、行政執行法に基き巡査を走らして丸ビルの明治屋にある食料品と銀座の木村屋のパン全部を押収して事実上これを徴発してしまった、これが宮城前日比谷に避難した人々の夕食となったのである。
(Wikipediaより、銀座木村屋)
この処置を採ると同時に内閣に駈けつけて戒厳令と徴発令の公布を求めたのであるが、色々な事情のために即刻布くことが出来ず、事実上の徴発をするより外に途はないので市内各所に巡査を派して市内の食料品並に建築材料を押へた一方、陸軍の持ってゐた全部の食料を提供して貰ったのである」
赤池濃はやはり同年、九月五日の時点で以って警視総監を辞めている。

(大震災後の丸の内)
事前に定めた「覚悟」の通り、責任をとった結果だろうか。
だとすれば彼の行動は一貫していたことになる。
世にも稀なる公僕の言行一致の跡として、むしろ
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