呪者がいた。
呪者がいた。
大英帝国、首都ロンドン。霧の都の一隅に、日本の偉大な文豪を──夏目漱石を怨んで呪う者がいた。
(世にも恐ろしい祟り神)
呪者はイギリス人である。
名前は
テムズ川の流れの洗うチェルシー地区に今なおその姿をとどむ、トマス・カーライルの家の管理がすなわち彼女の仕事であった。
「夏目はまったくけしからぬ」
そういう立派な英国淑女が、訪客の
艶めいた要素はまったくないが、痛切骨を刺すような、実に深刻極まる理由が。
「夏目は私を『婆さん』扱いしくさったのだ。──今なら我慢もできようが、あの頃はまだ、五十そこそこだったのに」
勘働きの素晴らしい夏目漱石ファンならば、既に察し得ただろう。
そう、このイザベラ・ストロング嬢こそは、夏目漱石の小編である『カーライル博物館』の登場人物。
文中なんと十八回も「婆さん」呼ばわりされてしまった、案内役その人だ。
驚いたことに、彼女は夏目漱石よりもずっとずっと長生きをした。
かてて加えてそのいずこかで、自分が嘗て「御這入り」と、いとも気さくに迎え入れ、あれこれ仔細な講釈を恵んでやった顔色の悪い東洋人が、果たせるかな「夏目漱石」という筆名を持ち、その故国では圧倒的な声価を誇る文学者であることを、どうやら知ったらしいのだ。
彼の遺した綺羅星の如き作品中に、まさにこの、ここ、カーライルの邸宅の訪問記があることも。
イザベラついつい興味にかられ、その内容を自身でも味わいたいと希望して──やんぬるかな激怒した。
「漱石は案内役の私を『婆さん』と書いたといふて、そのIsabella Strong嬢は、名詮自称、語気も強く、小生を捉へて『夏目は怪しからぬ。今なら我慢もするが、あの当時は未だ五十だったのに』と恨むこと、歎くこと。
『それでは、一体、君は幾歳だ。此国でも人の歳を聞くのは、大の野暮だとは教へられて来たが、止むを得ない。今日は破戒だ』と告げると、彼女は『実は、その、今年は七十又八歳。今なら婆さんと云はれても、我慢はするが』と同じ愚痴と恨みとを、繰り返し繰り返してをるのである」
上は西川義方の、大正天皇の侍医を務めた男による体験記。
大正十五年十月四日、慌ただしい日程を縫い、せめて寸刻なろうとも哲人の面影を慕わんと脚を運んでみたところ、このような事態に見舞われた。
(フリーゲーム『吸血少女』より)
「謙譲貞淑なる日本婦人は、年歯三十にして、既に、ほこら顔にも、私はお婆さんで、と云ってをるやうだが、
ところがイザベラは、口にも、心にも、五十を芳紀とも、妙齢とも、心得て居る正直者であり、而も僅か十一頁のこの文章の中に『婆さん』なる敬語が、序破急をなして、前後実に十七回の多数に及んでいる。…(中略)…之では『カーライル博物館』を、寧ろ『婆さんの家』とでもした方が、彼女の逆鱗を徹底さすべく、より善かったであらうとも考へる」
謂わば作品のモデルから苦情を捻じ込まれた形。
時代が違えば苦情どころか、訴訟を招きかねないケース。
女性にとって「容色」が如何にデリケートな話題であるか、迂闊に触れてはならないか。否でも応でも実感せずにはいられない、これはそうした景色であった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓