風邪が流行っている。
――じゃによって、マスクをつけろつけろと言っても、若い女性は見目への配慮が先行し、我々の忠告に無視を決め込む。
まったく沙汰の限りだ、と。
帝都の保健に責任を持つ、とある内務官僚が、しきりとこぼしていたものだ。
彼の名前は福永尊介。
大正九年の愚痴である。
(フリーゲーム『Dear』より)
思い通りに動いてくれない人民に、よほど業を煮やしたか。まさにこのとし、内務省では電気局と協議して、電車内での禁止行為リストの中に新たな項を加えることを決意した。
すなわち
「痰唾を吐くこと」
「太腿を出すこと」
「煙草を吸ふこと」
既存のこの三件に、
「手放しで咳すること」
を書き添えようず、ということを。
その際に、警視庁衛生部長の座に在って電気局との協議を主導した人物が、冒頭引いた
――福永尊介
なのである。
(Wikipediaより、福永尊介)
東京帝大法学科の出身で、樺太庁やら青森県視学官やらを歴任し、ゆくゆくは福井県知事や千葉県知事にまで昇る、まさにエリート、官僚として働くために生まれて来たかの如き者。そういう彼が説いている、
「一般に市民の衛生に対する自衛的観念に乏しいことは驚くほどで近来感冒予防の為めマスクを使用してゐる人は幾人もない、殊に婦女子はこれを直ちに体裁の上から考へる、恐るべき伝染病の感染を放任してゐることは実に持っての外である、感冒のみならず一般伝染病の空気、飛沫伝染は実に恐るべきもので電車内で手放しの咳を禁ずることは自衛的衛生、公衆徳義の外一般市民に公共的なものに対し自己の我儘を抑制すると云ふ観念を抱かしむるに効果あるものと思ふ」
と。
「人に迷惑をかけるな」。
放っておけば際限なく肥大する、我儘勝手増長を矯めんとするこの狙い。
末尾に書かれた方針に、筆者以前に見覚えがある。そうだ、内藤鳴雪だ。松山藩士を前身とする明治・大正の俳人も、自家の教育方針に関し、よく似たことを言っていた。
せっかくなので引っ張り出そう。
「小生は既に七十三歳にして教養訓育すべき者は曾孫に
典型的だ。
当時の有識層として、まったく
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