犬養毅の信念である。
あるいは政治哲学か。
ひとり犬養のみならず、大政治家と呼び称される人々は、揃いも揃って
平民宰相・原敬また然りであろう。
「一円のものを二円に働かせる人であった」と、例の林安繁が言葉を盡して褒めている。「…党員が金が欲しいなと思ふと、要求せぬ前に直に幾許かを喜捨する。金額が常に思惑の半ばにも達せぬでも、先手を打たれて快く出されるには何れも感激してその温情に打たれたことは、屡々吾輩の聞くところである。換言すれば金の使ひ方が上手であった。一円のものを二円に働かせる人であった。察しのよい人であった。温情のある人であった。三百の頭顱を一糸乱れず統率して一言半句も文句をいはさなかったのは実に故あるかなと思ふ」云々と、件の随筆、『屑籠』にて、だ。
斯かる美徳は星亨にも共通したものである。星と原とは政友会の先輩後輩。先達者の遣り口を、忠実に踏襲したものだろう。
奇しくもこの両名は、その最期まで酷似していた。どちらも気狂いの刃に斃れ、天寿を全うし得なんだ。
(Wikipediaより、星亨)
また原敬はずいぶん賄賂を集めたが、己が私腹を肥やすためにはビタ一文も取らなかったそうである。そういう
「原氏が西園寺政友会総裁の下に総務をとられたとき、金銭の出入は中々やかましかった。しかして西園寺家には今なほ原氏が書いた当時の伝票が記念のために残ってゐるのみならず、その死後に帳簿を調べてみると、自分の財政と党の財政とは画然として区別されており、八十万円といふ党の金は一銭一厘の誤りなく高橋総裁に伝へられたそうである」
私欲ではない。
すべては国のため。実に清らかな目的のために原敬は汚れたカネをも役立てた。
大人物とはこういうものだ。ただの単なる清廉居士に政治家業は務まらぬ。そんな奴らはなれてせいぜい批評家どまり、責任のない立場から勝手な熱を吹いているのがお似合いだ。
理想的でない人間どもを纏めあげ、理想的繁栄の至福へと導き接近させるには、善も使う、悪も用いる。狭隘な二元論を超越した剛力こそが必要なのだ。
心底同意だ、こいつはなんとも、素敵に話せるオヤジじゃないか。
古本祭りは、蓋し良縁を結んでくれたものである。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓