新時代の開闢に旧世界の残滓など、しょせん野暮でしかないだろう。
可能な限り速やかに視野の外へと追っ払うに如くはない。ましてやそれがカネになるなら尚更だ。
(飛騨高山レトロミュージアムにて撮影)
――維新回天、王政復古、文明開化に際会し、当時の日本蒼生が流出させた古美術は夥しい数である。
什器、錦絵、刀剣どころの騒ぎではない。叩き売りの乱暴は、なんと仁王像にまで及ぶ。
大阪骨董屋の老舗、山中春篁堂の記録によれば、明治五年以降同二十三年までの間、国外へと輸出した仁王像の数たるや、実に三十六対躯、すなわち七十二体なり!
英、米、仏へと専ら売られ、博物館へ収蔵されたり、富豪の屋敷を装飾したりしたそうだ。
ちなみに二十三年でひと区切りとしたワケは、もはやこのとし、春篁堂の在庫の中に真物が払底、種切れ状態、「古代の仁王あらざるを以て、古像に模して新たに数十体を彫刻し目下外国へ輸出する」プランを開始させたため、方針に一転機を加えた故のことである。
(Wikipediaより、山中商会本社)
大正・昭和の実業家、大阪商工会議所議員、林安繁はこの風潮を後年大いに嘆いたものだ。
――無惨やな。
なんとも勿体なきことを、と。
覆水盆に返らずと重々承知しながらも、臍を噛まずにいられなかったようである。
「大体乱暴者でも、三十歳を超え四十前後の分別盛りとなれば、過去を反省することになるが、一般社会も革新後半世紀経つと、考へが堕付くものである。近来古美術品の海外流出を防ぐやうになったのもそれであり、能楽の復興もそれであり、その他謡曲の復興、陶窯の復興等数ふるに暇ないが、何れも善いことである、只惜むらくは粗末にされた大切な品物が遂に再び帰って来ないことである」
林安繁の随筆集、『屑籠』から引用させていただいた。
先日の神田古本祭りにて贖った品の一である。
(著者近影)
状態は良い。九十年前の本とはちょっと思えない程に。
奥付に捺された「非売品」の三文字がコレクター魂を満たしてくれる。
我ながらあさましいことだ。
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