穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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「我関せず」は許されぬ ―阿鼻叫喚のベルギーよ―


 戦争の長期化に従って「心の余裕」を加速度的になくしていった国民は、一にベルギー人だろう。


 なんといっても教皇」にすら噛みついている。


 第一次世界大戦期間中、ベルギー人の手や口は、屡々当時のローマ教皇ベネディクトゥス15世批難のために旋回したものだった。

 

 

Benedictus XV, by Nicola Perscheid, 1915 (retouched)

Wikipediaより、ベネディクトゥス15世)

 


 知っての通り、ベルギーは旧教国である。


 その勢力は政財界を筆頭に、社会のありとあらゆる面に分かち難く沁み透っている。


 しかるにそんな「愛し子」であるベルギーが戦禍によって半死半生、悶絶しかけている今日に、ヴァチカンは何をやってくれたか。


 答えは「何も」。


 何もしていないに等しい。


 少なくとも当人たちの実感上では、そうだとしか思えない。


 教皇猊下は「平和の祈祷」などという微温的な消極退嬰の儀式のみを事として、未だドイツの残虐行為をロクに抗議もせぬではないか。ふざけるな、ああふざけるなよ、まったくなんて不誠実。もっと烈しく、最大級に過激な言葉で、あの連中を責め立てろ。


 十字架の威光を以ってして、帝政ドイツを人道の敵、文明への叛逆者、悪魔王朝と糾弾すべきときである。


 さもなければ我々は、ヴァチカンからの分離すら、本気で検討するからな――と。


 鼻息荒くする者も、一定数居たという。

 

 

 


 敵に国土の大半を占領されている以上、焦慮するのも当然だ。


 しかしここまで来るともう、物狂いの様相を半ば呈していないだろうか。


 メーテルリンクの如き文豪さえも、およそ戦争後期には外貌を取り繕う余裕をなくし、「ドイツ人は人間じゃない、ヒトの皮を被った獣、隔離すべき病原体、邪悪の化身そのものだ」、――…こんな感じの、トランス状態に陥った巫女の託宣みたような、ヒステリックといっていい、切羽詰まった文章を高みの見物決め込んでいる中立諸国めがけて書いて送り付けたものだった。

 


「…中立国民といふ名を帯ぶる卿等にのみ彼等の横暴を阻止し之を処罰するの力を有す、我等は既に無力にして到底之を阻むに由なし、彼の独人たる犯罪人は卿等の間に交はり卿等の家屋に接待さる、彼等は卿等を囲繞して追従、弁侫、威嚇至らざるなく斯くして卿等の利益を犠牲にして富を蓄積す、今や卿等は彼独人をして彼等は此世の如何なる人間とも同等の資格を有せざる事を知らしむべきなり、彼等と人類との間には一大溝渠の画され彼等が之を越えんとするは今後多年其罪悪に対し懲罰を受け其罪を懺悔せる後ならざるべからざる事を感ぜしむべきなり

 


 長文ゆえ、引用は一端に止めるが、それでもしかしおおよその雰囲気は察せよう。


 アメリカの参戦を聞いたとき、メーテルリンクは雀躍りしたに違いない。

 

 

Maurice Maeterlinck 2

Wikipediaより、モーリス・メーテルリンク

 


 第二次世界大戦時にもやはりヴァチカン教皇庁は「不偏的態度」を表明し、ナチス・ドイツの暴虐をはっきりと批難しなかったということで、戦後追及を免れず、弁明に力を割いている。

 

 

 

 

 


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