悠々たるかな大襟度、鷹揚迫らざるをモットーとする大英帝国様々々も、いよいよ以ってケツに火が着いてきたらしい。
ある日、こんな誘い文句が新聞を通して発表された。より一層の志願兵を得るために、壮年男子――本人
「戦争終りし時御身の夫又は息子等が『君は大戦争に於て何事を為せしや』と問はれんに彼をして御身が彼を送り出さゞりしが為に赤面して其頭を掻かしめんとするか。
英国の婦人よ御身の義務を盡せ、今日御身の男子を吾等の光栄ある軍隊に加入せしめよ」
(訓練中の志願兵)
邦訳は第一次大戦期間、ロンドンに在った『東日』新聞特派員、加藤如風の筆による。
格式張った言い回しをしているが、煎じ詰めればなんてことはない、村八分を仄めかしての脅迫である。
いい歳こいた五体満足の立派な立派な男性が、祖国の危急存亡の秋に銃を執って闘いもせず、いったい何をしてたんだ、と。
資格があるのに兵士にならず、頭抱えて隅っこで小さくなって慄えてやがった腰抜けは、戦後確実に社会から冷眼視される事態になるぞ、それも家族ぐるみでだ。いいのかそれで、よかないだろう、だったら尻を蹴り飛ばせ、私のために戦って、勇敢なとこを見せなさいよと訴えろ、と。
そんな陰湿な同調圧力。
およそ紳士らしからぬベタついた智をめぐらせて、それでも結局、大した成果は挙げられなかったのであろう。
1916年に徴兵制を採ったことからでもわかる。
法の権威で無理矢理にでも男子を兵士にせぬ限り、イギリスは勝ち得なかったのだ。
如風によればこの宣伝が載った新聞の日付とは、1915年1月12日だそうな。
英国で発行されている全新聞に載ったのか、はたまた『タイムズ』とか『メール』とか、大手のみであったのか。
そこまではちょっとわからない。
対内宣伝の猛烈さ、吹きまくるプロパガンダの観測記録は生田葵も書いている。
この小説家もやはりまた、1915年初頭に於いて英国入りしたようだった。で、「寄席や活動小屋へ往けば必ず応募兵を勧誘する歌が
軍事国家イギリスの、尋常ならざる有り様を。
総力戦の現実を、その網膜に焼きつけた。
「御寺の門口、広場の広告壁、酒場の入口迄にもスコッチ兵、騎兵、砲兵、歩兵と勇ましい服装の姿を各自に描いた広告紙が貼出されて居る。市中を往来する辻自動車の風除けの処には、
『汝等の責任を想へ』
『国家が強制的に汝等に臨む迄待つ勿れ』
『国家は汝等を要求す』
『祖国の光栄を省よ』
と云った文字が貼附されてあって、未だ志願しない若者を威嚇もし、侮辱もしている」
正気にて大業はならず、勝利に
狂気横溢の時勢であった。
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