穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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人類の友、汝の名は犬である


 忠犬ハチ公の芳名はまったく世界的である。


 この風潮は昨日今日誕生したのにあらずして、戦前昭和、彼の秋田犬の存命時よりそう・・だった。


 何日、何週、何ヶ月、何年だろうと主人の帰りをじっと待つ、けなげで一途な有り様はひとり大和民族のみならず、アングロサクソンの胸をも締め付け、感傷に濡らしたものだった。


 そうでなければハチの葬儀に、態々海の向こう側、ロサンゼルスの小学校から百円もの香典が届けられた一事への説明がつけられそうにない。

 

 

Chuken Hachiko at Shibuya Station c1933

Wikipediaより、渋谷駅のハチ公)

 


 筆者はこれを、この情報を、清水芳太郎から知った。


 石原莞爾の盟友であり、国家主義団体「創生会」のリーダーたる彼である。


 当該部分を以下に引く。

 


「ハチ公が死んで十六人の坊さんが読経したり花輪が二百何十対弔辞が二百何十通、酒一樽、実銭二百何円と集まったさうであるから全く犬死にではなかった、人間様より立派な葬儀だったかも知れぬ、尚ほアメリカのロサンゼルスの小学生達が香料百円ばかりを送ったとあるからハチ公は世界的になった。亡き主人が帰る時間に毎日出迎へに駅に来てゐたといふことは和犬を飼ったものでなくてはうなづけない。…(中略)…斯くの如き美風が人間に見出されなくなって、終に犬に見出され犬を銅像にせねばならぬことは悲しむべきことではある、しかしまだ犬でもこれに感じ賛美するだけ善いとせねばならぬ、佳言善行に感じなくなればいよいよ末だ

 


 国の未来を憂うる者に似つかわしい口吻としか、これは評しようがない。

 

 

(渋谷駅前、ハチ公像)

 


 ほぼ同時期、ノエミ・レーモンドが発したところのコメントなぞも、この認識――ハチの名前の国際性――の裏付けとなることだろう。

 


「ハチ公がとうとう死にましたか、可哀想なことをしました、あれの話は外国へも伝はり、向ふの新聞雑誌にも紹介されてゐた位で、私の方ではあの犬の銅像が出来るときに醵金もしてやったことがありました、全く美しい話で、その忠誠はそのまま人間の模範となると思ひます、アラスカの或る港で主人と別れた犬が入港する船の汽笛を聞くたびに波止場へやって来てションボリともう五年も主人の帰りを待ってゐるといふことですし、又アメリカでは愛犬がその主人と一緒に自動車で西部を出発して大陸を横断し、ヴァージニア州で主人と別れ三千マイルの道を一年かけて故郷へもどったといふ話もあります」

 

 

 遙か太古の原始より、地球上のあらゆる場所で、犬は人間の友だった。

 

 

Antonin Raymond and Noémi Pernessin in New York, ca. 1914

Wikipediaより、レーモンド夫妻)

 


 死とは一面、永遠への入り口である。


 ハチは確かに永遠になった。


 彼の名前は渋谷の街に深く、深く根を張って、もはや誰にも引き剥がせない。


 今日も駅前広場では、ハチを目当てに内外問わず実に多くの観光客が集まって、パチパチ写真を撮っている。

 

 

 

 

 


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