穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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言葉の廃墟に寝そべって


 うまい言い回しを思いつく。


 あるいは頓知の一種だろうか。戦前昭和、円が惨落した際に、人々はかかる現象を「円曲」と呼び称し、半分以上ヤケクソ的に囃し立て、政府の無能をののしり倒す合言葉としたものだ。


 なかなか以ってキレのある、良いセンスに違いない。

 

 

(『Far Cry 5』より)

 


 大正時代、大庭柯公と親しくしていた西洋人旅行者が、あるとき顔を見せるなり、


「今日はキャラメル親王のお墓にお詣りしてきたよ」


 と、さも嬉しそうに言い出して、大場を唖然とさせている。


(なんのことだ。――いったい誰のなんだって・・・・・?)


 詳しく話を聞くにつれ、それがどうやら鎌倉市、二階堂の丘にたたずむ護良親王墓所であるのが判明みえてきた。


 護良、モリナガ、森永ミルクキャラメルと、そんな連鎖がどうも彼の脳内で発生していたらしかった。


 ――異国の客の思慮にまで! 森永製菓の広告も、ずいぶん浸透したものだ。


 と、大庭柯公は苦笑している。

 

 

護良親王墓

Wikipediaより、護良親王墓)

 


 毎日毎日、数多の言葉が生み出され、そしてほとんど同じだけ、炭酸水の泡みたく弾けて消えて失せてゆく。


 くだんの洋画家、岡田三郎助はいみじくも言った、「作家が亡くなってから何十年何百年と経ってくると、たとへ真物でも作の出来によっては偽物だといはれて後世の人々から見捨てられたものだ。そうして良いもの丈が後世に遺される。而もこれは大変結構な事で、之があるからこそ人は煩はしい思ひを味はずに安心して古代の芸術や文化に接する事が出来る。此点何代かかって識らず識らず民衆が整理して呉れる掃除こそ、本当の立派な厳正な批評だといひ得る事が出来よう」と。


 類似の淘汰作用はきっと、言語の上にも施されるに違いない。


「円侮曲」も「キャラメル親王」もその選に洩れ、零れて落ちて忘れ去られたシロモノだ。


 それらを態々掘り返し、埃を払って矯めつ眇めつ愛でてみる。

 

 

 


 この趣致、妙味は、廃墟探索の風情にもどこか通ずるやも知れぬ。

 

 

 

 

 


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