うまい言い回しを思いつく。
あるいは頓知の一種だろうか。戦前昭和、円が惨落した際に、人々はかかる現象を「円
なかなか以ってキレのある、良いセンスに違いない。
(『Far Cry 5』より)
大正時代、大庭柯公と親しくしていた西洋人旅行者が、あるとき顔を見せるなり、
「今日はキャラメル親王のお墓にお詣りしてきたよ」
と、さも嬉しそうに言い出して、大場を唖然とさせている。
(なんのことだ。――いったい誰の
詳しく話を聞くにつれ、それがどうやら鎌倉市、二階堂の丘にたたずむ護良親王の墓所であるのが
護良、モリナガ、森永ミルクキャラメルと、そんな連鎖がどうも彼の脳内で発生していたらしかった。
――異国の客の思慮にまで! 森永製菓の広告も、ずいぶん浸透したものだ。
と、大庭柯公は苦笑している。
毎日毎日、数多の言葉が生み出され、そしてほとんど同じだけ、炭酸水の泡みたく弾けて消えて失せてゆく。
類似の淘汰作用はきっと、言語の上にも施されるに違いない。
「円侮曲」も「キャラメル親王」もその選に洩れ、零れて落ちて忘れ去られたシロモノだ。
それらを態々掘り返し、埃を払って矯めつ眇めつ愛でてみる。
この趣致、妙味は、廃墟探索の風情にもどこか通ずるやも知れぬ。
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