穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

三島由紀夫と英国紳士 ―「優しさ」の正体への私見―


 前々から準備されていたのであろう。


 一九三九年九月三日、ネヴィル・チェンバレン首相によって対独宣戦布告が為され、イギリスが戦争に突入すると、さっそく新聞紙面には、


「婚約中の応召者に告ぐ」


 などと云う、妙な記事が出現あらわれた。


(これはこれは)


 たまたま現地に滞在していた日本人が興味を持った。個人主義の国イギリスも、一朝有事ともなれば斯くも私的な領域にまで「指導」の手を伸ばすのか。


(いい土産話になるだろう)


 彼の名前は植村益蔵


 救世軍の少将であり、先月中旬から下旬にかけてロンドンにて開かれた、同組織の最高会議に出席するため現地入りした人物だ。

 

 

Uemura Masuzo

Wikipediaより、植村益蔵)

 


 任務を終えて、帰国の準備にとりかかっていたところ、風雲急に巻き込まれたわけである。


(来るものがついに来たか)


「二十年の停戦」が目の前で木っ端みじんに打ち砕かれる、時代そのものが決壊した爆音に胴震いをしながらも、先の見通しをつけるべく、植村は半ば本能的に情報収集にいそしんだ。で、片っ端から読み漁った新聞中に、上の表題があったのである。


 恋人をのこして出征いかねばならない青年に向けしたためられたその記事は、一貫して激励の気に満ちており、後ろ髪を引かれるな、情けなくグズグズ逡巡するな、泣きっ面を晒すなど以っての外との論旨を維持して、とどめとばかりに、


君の婚約者の眼は、君を素晴らしい英雄として讃えている。願わくば、この幻を破壊することなきように


 煌めくような「殺し文句」がついていた。


(なんともはや)


 さすが前の大戦で、兵役拒否者を銃殺にした帝国の言うことである。

 

 まるで三島由紀夫であった。

 

 

Ishihara Mishima

Wikipediaより、三島由紀夫石原慎太郎

 


 あの文豪もよく似たことを折に触れては書いている。他者が己に視ているであろう手前勝手な幻想を、敢えて言葉にされずとも態度の節々から察し、その蜃気楼が霧散きえないように振る舞いに細心の意を払う。「優しさ」とは、すなわちそれ・・だ。虚飾を維持する隠れた努力の別名だ。


 裏を返せば、


 ――これが本当のおれだ。


 などと叫んで、見ろよ見ろよと突き付けるほど情けない、残酷な真似はないわけである。

 


「理解されようと望むのは弱さです」


「どんな人間でも、その真実の姿などというものは、不気味で、愛することなど決してできないものだ」


「理解されようとねがったり、どうせ理解されないとすねたり、反抗したりするのは、いわば弱さのさせる甘えに過ぎぬ」


「どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです」

 


 名著『不道徳教育講座』で、三島は繰り返し述べている。


 一九三九年の名も知れぬ英国人記者と、この認識は偶然にも一致した。

 

 

(ロンドン市内の高射砲陣)

 


 新聞にはまた立場を移して、残される婦人へと向けた心構えも載っていた。いわく「婚約者の出発を悲しみもて鎖す勿れ」、曰く「常に身につけることの出来る記念品を贈るべし」、曰く何、曰く何……。


「とにかく余りくよくよしないでサッと別れよ、と言っていました」


 と、植村は帰国して後、雑誌『雄弁』の取材に応え述懐したものである。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ