お見舞いとして贈られた汁気たっぷりなフルーツを、
「それは銅で出来ている!」
と、顔じゅうを口にして絶叫し、一指も触れずに突っ返す。
(たわわに実った甲州葡萄)
曲がり角に突き当るたび、その蔭に、ドリルを構えて待ち伏せしている医者の姿を幻視して、俺の頭蓋に孔を開けるつもりなのだと恐怖する。
誰もいない虚空の上に銀行家や仲買人の姿を描き、本人以外の誰にも見えぬ彼らに向けて熱っぽく、一般庶民の年収を遥かに超える大取引を持ちかける。
腹の中に宝石が詰まっているからと、それを失うのが惜しいと言って便所に行くのを拒絶する。
以上に掲げたことどもは、総てひとりの人間により演ぜられた狂態だ。
フランス・パリはブランシュ博士の精神病院、そこに収容されていた、第十五號患者の記録。ギィ・ド・モーパッサン――それが番号で管理されるより前の、彼の本当の名前であった。
偉大な知性が壊れてゆく過程ほど、見るに忍びないものはない。
短編小説の巨匠として世を風靡したモーパッサンが、いったい何という有り様だろう。
彼の正気を破壊したのは梅毒だったと、今日ではほぼほぼ確定している。
「文明化とは梅毒化することである」――こんな言葉さえ編まれるほど深刻に、どうしようもなく広範に、社会を毒した感染症。
その被害者リストには軍の大将の名前もあれば、隠れもなき文豪も含まれていたと、つまりはそういうわけなのだ。
脳神経が蝕まれるのは第四期――病膏肓に入りきった、末期症状に位置付けられる。
それより以前、第二期と第三期の中間あたりを彷徨っていたころ。目のかすみや片頭痛を抑えるために、エーテルやクロロホルムを吸引したり、マリファナ、アヘン、コカインあたりに手を出したのも、結果としてはまずかった。
(『ゴーストリコン ワイルドランズ』より)
モーパッサンの主観に於いて現実と妄想の境界線は次第に曖昧模糊となり。一八八六年、英国旅行を試みた際にはもう既に、急に笑い出したかと思えばまただしぬけにこの世の終わりが来たみたいに沈み込む、重度の躁鬱状態に陥っていたそうである。
「私は長生しようとは思わない。流星のように文壇に入った私は、今度は電撃のように去るのだ!」
友人たちに宣言したとき、果たして彼はどちらの極にあったのか。
そして運命の
一八九二年一月一日、新たな年の始まりを、モーパッサンは自殺未遂の鮮血により彩った。
カミソリで喉を裂いて死のうとしたが浅手に止まり、死にきれず、ならばとばかりにピストルで頭を撃とうとしたが、引き金を引いてもこはいかに、一向に弾が出てこない。
実は以前、被害妄想に駆られたモーパッサンが窓の外の見えない敵へと乱発した
失意と出血が、やがてモーパッサンを昏睡させた。
次に彼が目を開けたのは、一月二日の夜である。覚醒するなりモーパッサンは、
「戦争に行くから仕度をしろ」
と執事に向かって言いつけた。
青年時代、普仏戦争に召集されて敗軍の憂き目を舐めさせられてからというもの、戦争自体を強烈に憎んだはずの人格が、どういうわけか真逆になった。
執事が命令を拒否すると、モーパッサンは怒り狂い、ついに人間の態をなさぬまでに昂った。
もはや手の施しようがないことは、誰の眼にも明らかである。事ここに至っては万やむを得ない。翌日三日、ブランシュ博士のところから看護人がやって来て、入院のための準備を始めた。
そして彼は分厚い塀の中へ行き、そこが終の棲家となった。
残骸のようなモーパッサンの身体からその魂が離脱したのは、一八九三年七月六日、午後三時のことである。
享年、四十二歳に過ぎなかった。
入院中に彼が示した狂態はまだまだあるが、これ以上の詳述は、どうも私の精神の方が持ちそうにない。
病的なものへの過度の興味はそれ自体が病的である。心せよ、亡霊を装いて戯れなば、汝亡霊となるべし。
ここらあたりで止めておくのが賢明か。
息をひきとる数時間前、モーパッサンが「闇だ、おお闇だ!」と繰り返すのを、看護人らが目撃している。
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