「禿頭予防・最先端の毛生え治療」――。
斯くも胡乱な看板に、倉知鉄吉ともあろう男がまんまと引っかかったのは、若さと、そこがドイツだったからだろう。
(ライン河畔の眺め)
当時倉知は二十八歳。ドイツの日本公使館に二等書記官の身分で属し、キャリアを積み重ねている最中。カルテといえばドイツ語という先入主がある通り、日本にとって近代医学の卸元はドイツである。
つまりは「本家」。神々しいその雰囲気に、東京帝大法科大学英法科卒の、この超エリートですら幻惑された。現実にはドイツの医者にもピンからキリまで、名医もヤブもごく当たり前に居るというのに。
(Wikipediaより、外務官僚時代の倉知鉄吉)
果たしてこれを「治療」と呼んでいいのか、どうか。
門戸を潜った倉知を待っていた処置は、あからさまに形式だけの診察と、よくわからない軟膏をどっさり頭皮に塗られるという事態であった。
当人の言葉を参照すれば「チャコールかペンキの如き」感触だったそうであり、もうこの時点で嫌な予感がひしひしとする。
そんなものを満載した状態で、椅子に腰掛け、安静にするよう命じられた。
暫くの後、
――もうよろしかろう。
薬は十分滲み込んだということで、頭を洗い流してみると、こはいかに。毛生えどころか、却って髪がどんどん抜ける。配管を詰まらせかねないその勢いに、流石に恐怖がせき上げて、
「話が違うではないか」
と詰め寄ると、
「ご案じめさるな、不良な髪が抜けた先から、新しく優良な毛髪が
その質問は聞き飽きてると言わんばかりに。
無感動な調子でもって断言されると、つい倉知の中でも
(そんなものか)
なにやら腑に落ちたような気分が芽生え、抗議の意志が萎えてしまった。
が、現実は残酷である。
医者はやはり、ヤブだった。
転ばぬ先の杖と掴んだ木の棒は、どっこい蛇の尾であった。
春を迎えた野の如く、倉知のあたまに生命が芽吹くことはなく。荒涼たる曠野ばかりがただ残された。
「返す返すも痛恨である。魔が差したとしか言いようがない。あのような詐欺に引っかかっていなければ、きっと、今頃、もう少し――」
若さゆえの過ちを、倉知は後年、溜息混じりに述懐している。
(Wikipediaより、倉知鉄吉)
ときに賢愚の垣根を超えて。エセ科学に惑わされるのは、人類の宿痾なのかもしれない。
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