穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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大戦前夜の工学者 ―地獄の鬼も出でて働け―

 

 我が国に於ける地熱発電の歴史は意外と古く、大正八年早春の候、海軍中将山内万寿治別府温泉掘削にまで遡り得る。


 坊主地獄近辺の地盤を八十尺ほど掘り進み、幸いにも案に違わず盛んな蒸気の噴出を見た。


 将来的な化石燃料の枯渇に備え、今のうちから代替たり得るエネルギー源を確保せんとの意気込みのもと、何年もかけて日本各地の温泉地帯を練り歩き、調査の果てに別府ならばと期待をかけた山内である。流石に嬉しかったものとみえ、溢出する感情のまま、こんな歌を詠んでいる。

 

雷公も船や車を押す世なり
地獄の鬼も出でて働け
 
 

Masuji Yamanouchi

 (Wikipediaより、山内万寿治)

 


 惜しむらくは同年九月に山内が世を去ってしまったことであろうか。


 事業は東京電燈研究所長の太刀川平治に引き継がれ、やがて大正十四年、1.12kWの実験発電に成功している。


 以上、一連のことどもを、私は本書『工業日本の進路』に触れてはじめて知った。

 

 

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 昭和十六年、工学博士加茂正雄により上梓された本である。

 


 国際間の折衝は結局実力によって解決されるのが常例である。凡そ如何なる国際条約も、実力さへあればこれを破棄することも可能である。実力によらなければ、またこれを実施させることも難しいのである。(108頁)

 


 大東亜戦争の開幕を目前に控えた時期だけあって、物々しい記述も多い。


 が、内容自体は正論であろう。所詮人間社会は力の世界だ。薄皮一枚めくってみれば、相も変わらず万人の万人に対する闘争が渦巻いている。そして近代以降の世紀に於いて、「工業」が国力涵養に果たす役割は非常に多く、また重い。加茂の話はそんな具合に展開してゆく。

 


 普仏戦争当時、中欧の農業国として知られたドイツが、戦後仏国より受くる償金の殆ど全部を科学の研究、工業の発達に向けた結果、工業国として遂に今日の大をなすに至ったことは、又国力の充実が工業の振興に伴ふものなることを裏書きする好適例である。(109頁)

 


 こういう合理的発想、冷厳なまでの現実認識は大いに私の好むところだ。最後まで興味を絶やすことなく、いい読書ができたと思う。

 

 

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(カイザー・ヴィルヘルム研究所)

 


 本書はまた、昭和十年の時点に於ける我が国鉄道路線の総延長が16535㎞であった事実も教えてくれた。


 以前、こちらの記事を書く上で参考にした大正二年のデータから、ざっと4000kmもの増設具合を示している。


 22年で4000㎞。


 年平均で181㎞、なかなかのハイペースではなかろうか。


 まあ、間に原敬という鉄道利権の第一人者を挟む以上、妥当なところやもしれぬ。


 加茂は更に話を進め、16535㎞のうち、電化が完了しているのは661㎞、全体のわずか4%でしかない事実に触れて、

 


 我国の如く至る所に水力が散在して居る国に在っては、広く之を電力化して鉄道の電化を促進し、可及的に燃料を節約する様心懸けたいものである。(97頁)

 


 意欲も露わに書いている。


 なお、2007年度調査に於ける日本の鉄道路線総延長は実に27337㎞を数え、地球を3/4周できる距離。電化率は67%に達するというから、加茂が聞けば隔世の感にさだめし瞠目するだろう。

 

 

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 一つ書き忘れたことがある。加茂正雄の出身が、愛媛県ということだ。


「神出鬼没の漫遊家」、件の布利秋といい、どうもこのごろ、伊予のくにびとと縁が濃い。


 なかなかどうして、面白い人材を産む土地だ。愛媛について、改めて学び直してみようか。そんな気分にもなっている。

 

 

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