令和三年の太陽が、二回昇って二度落ちた。
冷たく冴え徹った蒼天に、鮮やかな軌跡を描いていった。
新年の感慨、意気込みの表し方は人それぞれだ。清新の気を筆にふくませ、書初めを嗜む方とて少なからず居るだろう。
故に私も趣向を凝らす。和紙に纏わる詩の数々。私が知り及ぶ限りのそれを、ひとまとめにして紹介したく思うのだ。
(越前奉書紙)
まずは吉野川上流、国栖の里に伝わる唄から。昭和十二年、詩人木水弥三郎によって採録。
同地域では遥か遠く壬申の乱、大海人皇子の時代から紙漉きが始まったとされており、その意味に於いて日本屈指の「紙の里」といっていい。
お寺奉公か紙漉か
国栖の紙すき三年したら
髪は辛苦でみな抜けた
何の因果で紙漉
花のさかりに籠の鳥
問屋々々で名を残す
わたしゃ紙漉紙屋の娘
ひるは暇ない夜おいで
わたしゃ紙漉き主ゃ筏乗り
同じ商売冷たかろ
紙を漉くならお料紙漉きゃれ
大阪問屋に名をながす
一貫して七・七・七・五の都々逸調を基礎とする。
紙漉きは途轍もない反復作業だ。人々はその作業の間じゅう、これらの唄を節のみ変えて何遍も繰り返し歌ったという。
文面だけ見ればよほど苛酷な、それこそ牛馬に等しい労働を強いられていた印象を受けるが、雇い主の目と鼻の先で職場への不満をこうも赤裸々にぶちまけられるということは、考えようによってはよほど自由な環境であるやもしれず、ソ連や中共、その他赤色勢力が愛してやまない、いわゆる強制労働と同一に看做すべきではないだろう。
お次は月刊雑誌「創作」に、出雲の詩人安部幽香志が寄せた作品の数々。
心にみたぬ紙ばかりなり
紙漉きにくたびれたれば麦飯の
結びをうまく頂きにけり
作業場の窓に間近き柿の木の
ゆれやまざるを見つつ紙漉く
干あがりし紙の反射のまぶしさに
眼を細めつつ紙はぐわれは
日曜の昼のラヂオは面白し
紙すき紙
紙漉きも今日で十日目春風の
そよ吹く野良に心ひかるる
最後はちょっと時代を溯り、江戸時代後期の詩人橘
歌うたひつつ少女紙すく
昭和に於ける国栖の里の光景は、この延長線上に在ったろう。
(古民家の和紙工房)
這ひまとはれる垣をしるべに
居ならびて紙漉くをとめ見ほしかり
垣間見するは里の
水に手を冬も打ひたし漉きたてて
紙の白雪窓高く積む
流れくる岩間の水に浸しおき
打敲く草の紙になるとぞ
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
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