夢の中で鏡を覗くということは、考えようによってはひどく不気味な行為でないか。
丁度そんな体験をした。
つい今朝方のことである。
手洗いを終え、水滴を拭っている最中、何の気なしにふと顔を上げ、目の前の鏡に視線を投げる。
どこの家の洗面所にもありそうな、飾り気を排した縦長の鏡だ。
その中に、毛むくじゃらの、肥満した、熊のような大男が立っていた。
(えっ)
回路がまとめて焼き切れでもしたかのように、頭がカーッと熱くなり、しばしのあいだ思考が止まる。
腫れぼったい目蓋の下でどろりと白く濁った瞳が、私の視線を真正面から受けとめる。そのことで、これが紛れもなく自分の姿なんであると認めぬわけにはいかなくなった。
(なんということだ)
そりゃあ確かに年が明けてからこっちというもの、コロナだの自粛だのなんだので外出する機会が減って、ちょっと運動不足かなという懸念はあった。
心なしか、ズボンがきつくなったような感触もある。
しかしよもや、これほど如実にその弊害があらわれるとは――私は眩暈を抑えかね、ふらふらと二三歩後ろに退がった。魂が脱け出るときの気分とは、きっとあんなものだろう。
目が覚めてのち、私はすぐに鏡の前に馳せ参じ、大きく口を開いたり、満面の笑みを作るなどしてほっと安堵の溜息をついた。
このあたりの心理は、自分自身よくわからない。表情筋を思い切り動かすことにより、何がしかの実感を得た気になったのだろうか?
昨晩の夢で、また私はポケモンセンターの職員であり、客の一人から「マスターボールの入荷予定はあるか」と訊ねられる場面もあった。
ポケモンなど、最後にプレイしたのはGBAの「ルビー」であって、以来十数年触れてさえもいないというのに。つくづく不思議な夢見であった。
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