穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

ロシアンセーブル物語 ―シベリア開発を支えた毛皮―

 

 黒貂くろてんこそは、実にシベリアを象徴する野生獣でなければならない。


 ロシア人の東進にかける熱情は、屡々「本能の域」と評された。「不可避的傾向」とみずから告白したこともある。なるほど僅か100年前後の短期間中にウラル以東の無限に等しいあの曠野を征服し、オホーツク沿岸にぶちあたってもまだ飽き足らず、ついにはベーリング海峡を押し渡ってアラスカまで進出してのけたあたりをみるに、その貪婪な欲念は、もはや妄執の相すら帯びつつあったといってよかろう。

 

 

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 (Wikipediaより、ベーリング海峡

 


 シベリアは過酷な環境だが、何もまったき無人境というわけではない。


 土着の先住民族がそこかしこに点在し、中には「王国」を名乗る大規模集団さえ存在していた。「シベリア」という名称自体、その国名の借用に過ぎぬと主張する声もあるという。


 そんな彼らを、征服者たるロシア人がどう扱ったか。


 ひとえ「苛烈」の二文字に尽きている。

 


 ロシアのシベリア政略は、その規模においても、その謀略においても、数ある白人の罪悪史中では、イギリスの海上発展と共に、有色人種に加へられた白人帝国主義の双璧だと喝破した論者もあるが、これは断じて酷評ではないと思ふ。(『シベリアの自然と文化』86頁)

 


 ロシア人たちは容赦がなかった。


 自身の征路を塞がんとする不届き者に対しては、常に「ほとんど信じられない暴行と破壊」を加えたという。


 数える気力も無くなるほどの屍が積まれ、価値あるすべてが略奪された。


 そうして半死半生に陥っている土着民の頭上には、更に納税の義務が降り落ちてきたからたまらない。


 この新税の中、特に重視されたのが、ヤサークと呼ばれる現物税。当時のシベリアでは無尽蔵に捕まえられた、黒貂の毛皮を納めよというに他ならなかった。

 

 

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 (Wikipediaより、黒貂)

 


 体長せいぜい半メートルほど、肉もさして多くないこのいきものの毛皮はしかし、類稀なる手触りと光沢に恵まれており、非常に古くから高級品として珍重された。


 ヨーロッパの市場に持ち込めば、たちどころに金貨の山に化けたろう。事実、帝政ロシア年間収入の三分の一を、この黒貂の毛皮が担っていた時期もある。


「ロシアのシベリア開発は黒貂によって支えられた」


 とか、


「ロシア人は黒貂を追って、シベリアを奥へ奥へと進んでいった」


 とかいった数々の評価も、あながち的外れではないわけだ。


 それだけにその乱獲ぶりは燎原の火に匹敵するものがあり、黒貂はどんどん個体数と生息域を縮小してゆく憂き目に遭った。


 1900年には5万枚の毛皮がモスクワに届けられたと記録にあるが、この数字とて最盛期から比べれば、よほど目減りしているだろう。欧州大戦前夜にまで時計の針を進めると、これが更に先細りして、1万枚に届くかどうかというところにまで落ちている。


 シベリア鉄道の完成により、輸送の手間は遥かに緩和されたのにも拘らず、だ。いよいよ枯渇の気配が感ぜられて痛ましい。

 


 最近にはこの貴重な動物が殆んど根こそぎされて、カマ及びペチョラ両河の上流、西部シベリアの北方、時々は東部シベリアの森林中に発見する位だ。その他では、シベリア南部の山中から狩り出すこともあるやうだが。(274頁)

 


 いずれにせよ、微々たるものだ――と、尾瀬敬止も嘆息しながら書いている。

 

 

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(A・コワリスキー画、猟人)

 


 シベリア産の黒貂の毛皮はロシアンセーブルの名で知られ、現在でも毛皮の中の毛皮、文句なしの最高級品として熱烈に持て囃されている。

 

 

シベリア最深紀行――知られざる大地への七つの旅

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