穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

エピキュリアンなみやこびとたち ―石田幸太郎の観察―

 

 もし仮に、時の法則を誤魔化して、百年前の日本人現代いまに連れてこられたとして。


 東京の街並みを見せたところで、これがかつての江戸であると合点し得る人物は、おそらく一人も居はすまい。


 それほどまでにこの関東平野の新興都市は変化しすぎた。大震災後の再建を経て、その傾きにいよいよ歯止めがきかなくなった。


 ところがこれが京都ならばどうだろう。おそらく総ての前世紀人が、ああ、ここは確かに京都だと、即座に言い当てるのではないか。

 


 日本における唯一の変わらない町こそは、この京都である。防火設備のととのった、現代的な建築物が、幾分調和を破ってゐるやうではあるが、こんなことはどうでもいいと思ふのだ。大きな神社が十社と、九百八十の寺院とが、森林の多い坂道に並んでゐたならば、うつくしい二条離宮金閣寺、修学院の庭園などが、昔ながらの、なつかしい気分をかきたててくれるならば、またいづこへ頭を向けようとも、世界で最も風変わりな、魅力のある商店が打ち並んでゐるならば、京都の公会堂が、いかにデトロイトの公会堂みたいであらうとも、なんでもないぢゃないか?(『外人の見たる日本の横顔』310頁)

 


 昭和六年に日本を旅した米国人、R・バレットのこの観測は、確かに一つの真理を衝いていよう。

 

 

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 (清水寺

 


 ――その京都に住む、「みやこびと」の特徴として。


 嵐山出身の英文学者、立命館大学教授、石田幸太郎なる人物は、まず真っ先に極端な吝嗇りんしょく気質かたぎを挙げている。


 吝嗇――つまりはケチ臭いということだ。


 石田自身、京都生え抜きなだけあって、それにまつわる様々な体験を積んでいる。


 とりわけ思い出深い一件は、彼がまだ小学生であったころ、友人の家に遊びに行った日のことだ。


 実を言うとこの友人、京の街でも名の知れた、さる資産家の子息であって、仰ぎ見ねばならないほどの立派な屋敷に初訪問の石田少年、ちょっと気圧される感がした。


 ところがいざ門扉をくぐり、草履を脱いだ邸宅内で出された茶菓子はどうであろう。


 そら豆を炙り、塩をふっただけのもの。


 家の富貴さとはかけ離れたものであり、金平糖やアイスクリームをありがたがる子供の舌にはいささか旨味が解し難い品である。


 これが最初の一回だけなら、


 ――ははあ、俺を試してやがるな。


 と納得することもできたろう。
 ここで失望の色を露にするかどうかで、息子の友人に相応しいかを測っていると。


 ところがその後、何度通い詰めたところで出される茶菓子は一向に変わらず。中学校を卒業するまで継続したこの現象から、石田は一つの真理を見出した。


(あれほどの分限者ですら、こうか)


 物惜しみは庶民階級のみならず、京の上下に共通した気分であった。なればこそ幕末、みやこびとは長州人にあれほどの同情を寄せる気にもなったのだろう。――彼らが花街でさんざっぱら金をばら撒き、京の経済を潤すこと大だったから。

 

 

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 (Wikipediaより、嵐山)

 


 石田の言には、一定の説得力を認めていい。


 では何故このような人情が形成されるに至ったか? その原因を、石田は以下の如くに解剖している。

 


 一つは、保守的な質素な手堅い気風にもよる。変化の少い、消極的な土地柄にもよる、一つは「傾城買の五斗味噌汁」といふやつで、享楽生活を出来る限り充足させるために、一方家庭の日常生活を極度に切詰めるといふ極端なエゴイストのエピキュリアンが多かったせいもある。(『京阪百話』288頁)

 


 アニメやゲーム、古書のためなら一日のめしを二食にするのも厭わない私にとっては、身につまされるものがある。


 実際問題、趣味のためなら生活を犠牲にするというのは、程度の差はあれ現代人に多く見られる傾向ではなかろうか。今の世は、あまりに多くの享楽要素に溢れているのだ。


 石田幸太郎、続けて曰く、

 


「汚う稼いで清う暮せ」(世間妾気質)といふのが彼等のモットーであり、島原に金を撒き散らし乍ら「たとひ兄弟同然の人に物を買ひ継いでやるにも二割かけねば置かぬ程の町人気質」(世間母親容気)が徹底してゐては成程しわからざらんとするも豈得べけんやである。(289頁)

 


 生国だけに、彼の批評には遠慮会釈というものがない。「京都」を理解する上で、重要な手掛かりとなるだろう。

 

 

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(『隻狼』より、宮の貴族たち)

 


 なお、例の資産家の子息であるが、彼は中学を卒業してから急にグレだし、最終的には家を傾けるほどの蕩児ぶりを発揮した。


 浮世草紙の筋書きをそのままなぞるかの如き、斯様な人間現象は京都では少しも珍しくないと、べつだん悲しみを滲ませもせず、渇ききったまなざしで、石田幸太郎は物語ったものである。

 

 

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