花見小路は
灯しけり
長田幹彦の歌である。
未だ電車も通らねば、電柱の一本も立っていなかった嘗ての祇園。桜舞い散る春の夜、闇の
宛然画中の趣を呈する、比類なきこの花柳の巷を長田幹彦は愛し抜き、数知れぬ情話小説を紡いでいった。
口さがのない批評家からは、「遊蕩文学」と攻撃されたこともある。
然り、斯様な小説を書けるだけのことはあり、遊び人としても長田はなかなか堂に入っていたようだ。
(Wikipediaより、花見小路)
おぼろおぼろの、花の香に
夢かとまがふ、東山
かすむ篝も、三つ五つ
消えて果敢ない。更くる夜の
愁ひをつゝむ、振袖に
また心なの、
ある年のこと、円山公園の
このとき、長田は独りではなかった。
桜吹雪の只中で、長田は少女と相並び、以下の会話を交わしたという。
「なあ、へ、花ちうもんは、何んでこないにはよう早う散ってしまふのどすやろなあ。こないに綺麗にきれいに、咲いたんのにもうちょっとこのままゐたらええのになあ」と、呟くやうにいふ。私はその言葉がいぢらしくなって、
「そんなことを云ったって、無理ぢゃないか花には花の生命があるんだもの。咲いたものはどうせ一度は必ず散るに決まってゐるさ、人間だってさうぢゃないか、今あんたはそんなに綺麗にしてゐるけど、年月がたつとお婆さんになって、死んでしまはなけりゃならないものね」
さういふと政勇は別に何んの気もない調子で
「人間かて、一度は死なんならんのどすてなあ。そなこと思ふと、何んや可笑しいおすえなあ」
私は笑って
「何が可笑しいもんか。この世の中で、死ぬことが一番悲しいことぢゃないか」
「さうかて、
と、いって、くっきり濃化粧をした顔を傾げて、私の方を見上げる。その
私はその無邪気な言葉が訳もなく嬉しくて、思はず笑ひだしながら
「はゝゝゝ。そんな馬鹿な。年をとらないなんていふことが、何うして出来るもんかね」
といふと、政勇は真顔で、
「阿呆らしい。
「私もこなこちうて、ほんまに阿呆どすえなあ」(昭和八年『京阪百話』69~70頁)
その天真爛漫な笑顔で以って長田を魅了した政勇は、しかし翌年、流行り病を罹患して呆気なく世を去ってしまった。
お婆さんになる暇もなかったというわけである。彼女は若々しい姿のまま土に埋められ、骨になり、やがてはその白骨すら徐々に形を失ってゆく有り様を、長田幹彦はやや呆然とした面持ちで想像している。
以来、円山に春が訪れるたび、長田は必ず政勇のことを思い出し、ともすれば枝垂れ桜の樹下にたたずむ少女の姿を幻視した。
散りくる空を、見あぐれば
若葉の山に、鐘の聲
燃ゆる思ひの、葉がくれに
影もほのめく、月のかさ
たゆたふ風も、
ふけて冷たき、
一樹の老桜は人の世の運命の外に超然として、今年も泡雪のやうに咲き零れ、そしてまた泡雪のやうに果敢なく散っていくことであらう。(72頁)
どこかしら無常感をにじませて、長田がしみじみと見上げた枝垂れ桜。しかしながらこの老桜とても、昭和二十二年には枯死を迎える運命であり、必滅の理は曲げられなかった。
現在花見客を楽しませている枝垂れ桜は、後に植樹された二代目に当たる。
初代に劣らぬみごとさであるが、どうも近頃、枯れ枝が目立ちつつあるようだ。
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