穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

宣伝上手な戦前の医者

 

「診察」と称して真面目な顔で、患者のあたまに聴診器を当てる医者がいた。


 志田周子の記事でわずかに触れた、医学博士にして文筆家、高田義一郎がその現場を目撃している。なんでもこの診断法を開発した何某は、


「どうもこの男は、時々調子はずれの事をするので困ります。どうでしょう、やはり精神病なのでしょうか?」


 付き添いの者から発せられたその質問に、如何にもその道の権威といった重々しい態度で応え、


「では、少し診てみましょう」


 これまた如何にも慣れた雰囲気の手付きで以って、患者の頭のそこここへ、聴診器を押し当てていったということである。

 

 

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 むろん、そんな真似をしてみたところで、意味のある音など欠片たりとも拾えない。


 ところが無意味な事をしているはずの、彼の態度ときたらどうであろう。眉間に緊張をみなぎらせ、時折小首を傾げたりして、どう見ても全身を耳にして事に臨んでいる風だったから、ネタを知っている義一郎さえともすれば滑稽がるのを憚られるほどだった。


 やがて医師は顔を上げると、


「ははあ、成る程、この左側の方が少しばかりではあるが、調子が狂って居りますな。少々時日はかかるけれども、辛抱して服薬を続けて見て下さい。入院できれば一層好都合と思いますがね」


 と、「患者に都合がいいのか、それとも医者自身に都合がいいのか、殆ど判断出来ない様な事」を告げるのだった。(高田義一郎著『らく我記』43頁)


 しかしながら、「本職」の義一郎ですらともすれば呑まれかねない雰囲気を演出した後の発言である。


 患者も、その付き添いも、進んで彼の言葉を鵜呑みにした。


 実際この医師の評判は近辺に於いて頗るよく、そのもとだね・・・・を探ってみれば、やはり聴診器を頭部に当てる、例の診察法に行き着くのだった。


 医学的知識に疎く、聴診器をあたかも魔術師の杖と錯覚しがちな大正・昭和の人々である。


 それをふんだんに使ってくれるというだけで、心身ともに快癒する思いがしたのだろう。


 ――あの医者は親切に、よく診てくれる。


 このように、誰も彼もが口をそろえて褒めそやした。

 

 

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 実際問題、患者に医師への信頼がなくば、如何に投薬してみたところで治る病気も治らない。彼らの心を得るためには、このようなケレンも必要だったということだろう。


 似たような話はまだまだある。


 やはり医学的知識に疎い、地方の旧家で危篤が出た。


 かかりつけの医師、ここでは仮にAとしよう、そのA医師は既に手遅れだと悟ったが、こういう場合の通例として、


「念のため対診を願いましょう」


 と提案した。


 臨終に立ち会う頭数を増やすことで、責任を分担させる魂胆である。


 ただちに顔馴染みのB医師とC医師の二人が呼ばれ、一足先にBが屋敷の門をくぐった。


 ところがいざ患者の手をとってみると、既に脈が絶えている。

 

 

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 指先から伝わる冷たさといい、彼の心臓が停止したのはもうずいぶん前のことだろう。下手をすれば自分にお呼びがかかったときには、もう死んでいた可能性すらある。

 そこでBは正直に、


「お気の毒ですが、もう為す術がありません」


 紋切り型の挨拶を述べ、さっさとその場を辞去してしまった。


 ところが入れ替わるようにやって来た、Cの態度ときたらどうであろう。


 脈をとるまでは前任者と同一だったが、しかしそこからの反応が、天と地ほどに異なっている。「それに電気をかけて見たり、人工呼吸を施してみたりしながら、冷い石の様な残骸を、彼是一時間あまりいぢり廻して(57頁)のけたのである。


 そうして額に滲んだ汗を拭き、かたちを改めてからようやくのこと、


「まことに残念です。いろいろ手を尽くしまして、一時は少し御恢復の兆も見えましたが、再び危篤に陥られて、遂に亡くなりました」


 死亡確認の内容を、親族一同に告げたのである。
 むろん、恢復の兆候など一瞬たりとも見えてはいない。
 だが、そのことが、どうして素人の目にわかるであろう?

 

 

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 患家の人々は蘇生措置にここまで尽力してくれたCに感謝し、手をとってまで礼を述べ、その感謝のぶんだけ素っ気なかったBへの憎悪を募らせた。


 その後の運命は言うまでもない。Cは繁盛し、Bは凋落の一途をたどった。


 医業が人間相手の仕事であるということを、如実に示す噺であろう。自分が如何に患者に対して真摯に向き合う、誠意あふるる仁者であるかを積極的にアピールして行かねばならない。


 結局のところ、どの業界でも最後に嗤うは宣伝上手な人間だ。

 


 ――如何に大人物であっても、如何に有用な事業であっても、如何に優良な商品であっても、これを天下に知らしめなければ、その当事者の損害ばかりではなく、人類全体の失うところ、これより大きなものはない。

 


 そう開眼し、広告会社をおっぱじめたアイビー・リーこそ正しかった。宣伝とは元来、神聖行為の側面すら持つのだと、彼は知っていたのである。

 

 

Ivy Lee

 (Wikipediaより、アイビー・リー)

 


 白砂青松の良地を卜してサナトリウムを建設した某人が、開業当時に駆使したとされる宣伝術こそふるっている。これを紹介して、此度の記事を閉じるとしよう。

 

 なんでも彼はなるたけ多くの種類の人を掻き集め、周辺の道端や門前で、次のように言わせたそうだ。

 


「アノー此の辺に肺病を非常に上手に癒す、○○さんといふお医者があるといふので来たものですが、どの辺でせうか? 何でも××の近所で□□の所を右に曲がるんだと聞いて来ましたが――」(56頁)

 

 

アイビー・リー 世界初の広報PR業務

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  • 作者:仁, 河西
  • 発売日: 2016/11/02
  • メディア: 単行本
 

 

 

 


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