穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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鮎川義介のヒトラー評・前編 ―重工業王、ドイツへ渡る―

 

 鮎川義介に関しては、わずかなれども以前に触れた。


「正三角形をフリーハンドで描けなければ、絵を描く資格がない」と変なことを言い出して、事実そのためにのべ三万枚もの紙を使った人物である。

 

 

 


 奇妙人といってよく、しかしこの奇妙人こそ、あの日産コンツェルンを一代にて築き上げた戦前日本の重工業王に他ならない。


 ――その鮎川が。


 ドイツ第三帝国総統、アドルフ・ヒトラーに面会したのは1940年3月5日のことだった。

 

 

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『百味箪笥 鮎川義介随筆集』より、晩年の鮎川義介

 


 順を追い、事のあらましから述べるとしよう。


 当時の鮎川の肩書は、満州重工業開発株式会社初代総裁。東条英機岸信介松岡洋右などと組み、どこどこまでも曠野の広がる彼の地を以って一大工業地帯に変ぜしめんと日夜精力的に働いていた時分であった。


 そんな鮎川義介にとって、ABCD包囲網ほど迷惑だったものはない。否、迷惑を通り越して死活問題ですらある。なんとなれば鮎川が、満州の重工業化に使っている機械資材は、そのほどんどをアメリカに仰いでいたからだ。


 そのアメリカとの通商が切られた。


 手を打たなければ、いずれ満業は干上がってしまう。


 そう考えていた矢先、新京駐箚のドイツ公使、ワグネルから打診があった。


「それならば我々が新たな活路になりましょう」


 是非とも一度、本国を訪問してみて下さい――そのようにすすめてくるのである。


 この提案に、鮎川は乗った。

 

 

Manchukuo Hsinking avenue

 (Wikipediaより、新京の街並み)

 


 で、1939年の暮れごろに、彼の地の土を踏むわけである。


 行って早々、鮎川は驚きに目を白黒させねばならなかった。彼を待ち受けていたものは、まるで国賓を迎えるような、下にもおかぬ手厚い歓待だったからだ。


 重要機密に指定されているはずの軍需工場、特に航空機の最新工場も鮎川が行けばたちどころに総てのカーテンを取り払い、隅から隅まで観覧に具した。その噂を聞きつけて、三菱商事の某技師が同行を哀願して来たほどである。


 彼はメッサーシュミットの工場を一目見るべく命を受け、もう半年も現地に滞在している人物で、その間絶えず交渉を続けてきたものの、いつも門前払いを喰らわされてばかりいる。ほとんどヤケになりかけていたとき、鮎川が来た。


 地獄に垂れ下がる蜘蛛の糸を発見したカンダタならば、あるいは彼の心境に共感できたかもしれない。


「どうか私を随員に」
「よかろう」


 鮎川は、二つ返事で受け入れた。何食わぬ顔で連れて行ったところ、既に彼と顔見知りになっていた門番が、こいつめ性懲りもなくまた来たかと彼をつまみ出そうとした。
 その挙動を制止して、鮎川は案内役の主任航空大佐をかえりみ、


「ドイツがこの方面の技術に如何に進歩しているかを充分日本に知らせた方が、日独提携の上に大いにプラスになるからどうか聴き入れてやって欲しい」


 という意味のことを懇々と説いた。
 この航空大佐は物の分かった人物で、即座に彼の同行を許してくれた。

 

 

Bundesarchiv Bild 101I-662-6659-37, Flugzeug Messerschmitt Me 109

 (Wikipediaより、メッサーシュミット Bf109)

 


 極楽に紛れ込んだ僧侶のような顔をして、工場内を穴のあくほどつぶさに眺め、


「おかげで半年の苦労が報われました」


 と両手を合わせ、まるで神でも拝むような格好で鮎川に礼を言ったこの技師の名は、残念ながら伝わっていない。

 


 鮎川がこれほどの特別待遇を受けたのには、むろんのことわけがある。

 


 ドイツは当時、大豆を求めること熱烈で、ほとんど喉から手が出んばかりであった。


 大豆は油脂の原料になるし、あぶらを絞ったその粕が、鶏や牛の飼料にもなる。まこと貴いこの作物が、しかしドイツの周囲では、ルーマニアから年十万トンを僅かに産するに過ぎぬのだ。


 そこで満州が浮上してくる。


 彼の地が豊かな大豆の産地であることは、夙に知られたことだった。


 ドイツとしてはこの満州から、なるたけ多くの大豆を輸入したい。


 今、満州に巨大な影響力を保有する、鮎川義介がやって来た。ドイツ人としては是非ともこの男から、大豆に関して色よい返事を引き出したい。その願望が人から人へと伝わるうちに次第に潤色されてゆき、終いには鮎川義介と言えば、大豆の一万トンや二万トン程度、その気になればいつでもポケットから取り出せる、一個の巨人であるかのように印象されるに至ったらしい。

 

 

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 何処の工場を訪ねても、見学の後の会食の席で必ず豆の話になった。


 ドイツ人が大豆を求める熱烈ぶりは、さながら「男が美人を欲しがるような風情」であって、その供給元と目されている鮎川に媚態を尽くすのも無理はない。


 実像と風聞のあまりの乖離になにやらくすぐったい感じもしたが、この誤解はまず以って好都合と言えたので、鮎川も敢えて解こうとしなかった。このあたり、流石に彼はチャッカリしている。


 鮎川が記憶している限り、彼の背後に大豆を見なかったドイツ人は一人しかいない。――アドルフ・ヒトラー、ただ一人しか。

 

 

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