穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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身を焼くフェチズム、細胞の罪

 

 1911年英国ロンドンにたたずむセント・メリー病院に、一人の女性が駆け込んだ。


 頻りに胃の不快感を訴える彼女を診察してみると、確かに腹の上部に於いて、異様な手応えの瘤がある。


 早々と手術の日取りが決まり、いざ腹腔を開いてみると、予想だにしない光景に執刀医は目を剥いた。彼女の胃には大量の人の髪の毛が、しかも複雑に絡み合い、塊になって詰め込まれていたのである。


 患者が重度の食毛症であることを、雄弁に物語る証拠であった。


 髪の塊は摘出できても、精神の病巣はそう簡単に除けない。案の定、彼女はこの先セント・メリー病院外科の、謂わば「常連」になってしまう。

 

 

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 再入院は9年後の、1920年に。やはり同様の手術を受け、しかし「三度目」は思い切って間が縮まり、僅か二年後の1922年に。


 こうも度々胃の腑を開かれ、縫い合わせていたならば、身体の負担も並ではなかろう。


 まして彼女は初手術の段階に於いて既に35歳を数え、当時の栄養及び衛生事情を勘案すれば、到底若いとは言い得ない。無理の利く年齢では断じてないのだ。
 相当な苦しみが、彼女を襲っていたはずである。


 にも拘らず、この女性は髪を喰うのをやめられなかった。四度目の入院は更に間隔が短くなって、なんとたった一年後の1923年10月に。


 この時のことは詳細な記録が残されていて、彼女の腹部は傍から見ても一目瞭然なほど腫れ上がり、ひっきりなしに疼痛が湧いて、この三ヶ月来ほとんど食欲が無いと言う。
 従来の病症からどうせまた毛髪塊だろうとアタリをつけて、早速腹を開いてみると、案の定期待を裏切らず、出るわ出るわ、さても見事な毛の束が。

 

 

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 最も太い部分では15インチ(38センチ)にも及ぶ周径をもつその束は、非常に多くの毛から成り、一部は幽門を越えて小腸にまで到達していたそうである。
 術後、摘出したその塊を秤に乗せてみたところ、2.5ポンド(1.13キログラム)という数字がはじき出されたからたまらない。たった一年でこれほどの髪を喰らうとは、明らかに病状が悪化している。


 そして、その手術から満一年後の1924年11月。彼女はまたもセント・メリー病院の門を潜る。むろん、前四回とまったく同じ事情で、だ。


 もはや中毒といっていい。ダイヤモンドは砕けない吉良吉影「植物の心のような人生」を、平穏無事な生活を何よりも尊く仰いで渇望しながら、しかし美しい手を持つ女性の殺害という、不穏・波瀾を招き寄せる沙汰事をどうしても自制できなかったように、生まれもっての性癖というのはどうにもならない、一種不可抗力的なモノであろうか。


「性癖は細胞の罪」と言い放った嘘喰い鞍馬蘭子組長は、蓋し慧眼であったと思われる。

 

 

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