穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

砕かれた幻月、エフェメロン

 

 このところ、『科学随筆 線』なる古書を読んでいる。


『浮世秘帖』『煙草礼賛』と同じく、古本まつりの収穫物だ。


 お値段、たったの300円
 安い。破格といっていい。


 刊行は、昭和十六年十月十日
 日本が大東亜戦争に突入する、たった二ヶ月前である。
 そのような時期に、

 


 現代は科学戦であり、特にそれは技術戦である。(中略)技術なき国家、工業なき国家は、適者生存の範囲よりオミットされつつあるのである。実行力なき政治、団結なき国家、技術を国策の劈頭に掲げざる政治、技術を尊重せざる国家は自然消滅の一路を辿るの外なきを承認しなければなるまい。(6頁)


 採算のとれぬ戦争は少なくとも現代的ではない。(9頁)

 


 このような言辞のひるがえる本が出版されたということは、まず注目に値しよう。

 

 

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『科学随筆 線』はその名の通り、当時日本で活躍していた第一線の科学者たちから十ページ前後のエッセイを書いてもらって一冊に纏めたモノであり、上の文章は東京帝国大学教授・池田謙三工学博士の筆に依る。


 他にも名古屋帝国大学教授、九州帝国大学教授、厚生省予防局長等々と錚々たる肩書が並び、このうちの何人が戦後公職追放に遭ったことやら、それはそれで興味の堪えないところだが、まあ今日のところは措いておく。


 本日着目したいのは、東京工業大学助教授・竹内時男理学博士から寄せられた、「地球の周りの環」という小稿だ。


 その中で博士はペルム紀――今から約2億9900万年前から約2億5100万年前までを指す地質時代――初期の異様な「寒さ」に言及し、その原因をめぐって学会大いに紛糾し、議論百出する光景を述べている。


 太陽活動の低迷に解を見出す者も居れば、海流の大規模変化を主張する者とて出現あらわれた。


 が、中でも特に奇抜でオリジナリティに富んでいたのが、博士が稿のタイトルにも採用した、「地球の周りの環」説である。

 


 この論者の主張するところによると、なんと地球の月は一つでなかった。

 


 現在天上を運行している我々の見知ったあの月よりも、もっと小さく、かつ地球寄りの軌道を疾走していた第二の月――エフェメロンと呼ばれる衛星が、かつて在ったと言うのである。

 

 

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 エフェメロン。
 この単語をGoogleにぶち込んで検索するとFF11の武器ばかりが引っかかって些か閉口するものの、元々はカゲロウの学名で、「(1日と持たない)儚いもの」を意味するギリシャ語に由来しているという。


 なるほど架空天体のエフェメロンも、実に儚い最期をたどった。


 質量の小ささとその軌道が災いし、公転を繰り返すたびエフェメロンは地球に接近。ほんのわずかづつではあるが、何十億回も繰り返せば流石に膨大な量になる。その積み重ねはやがてエフェメロンをしてロシュの限界に踏み込ませるにまで至り、あわれ彼の幻月は地球の潮汐力により粉々に崩壊してしまう。


 その大破壊が起きたのが、丁度ペルム紀初期である。


 エフェメロンは崩壊した。だが「消滅」したわけではない。かの天体の残骸はやがて地球の周囲にリングを形成土星の輪の如きそれにより太陽光が遮られ、結果あの寒冷時代が訪れたのだ――それが例の学派の訴えだ。

 


 輪の内縁は不明積で、大気に連なってゐた。外縁は何万キロといふ距離に及んでゐたであらう。
 地軸が黄道面に垂直でないため、輪が地球面上に太陽の影を投じた。これが場所によって濃淡を生じ、又気候に大異変を起こしたのだとする。(78頁)

 


 どうであろう、なんとも浪漫に満ちた学説ではなかろうか。
 これを初めて読んだとき、私はにわかに血が酒に変じたようなくるめきを感じ、自分が未だに現役の中二病患者であることをまざまざと思い知らされたものである。

 

 

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 なお、竹内博士はあくまでこれを「愉快な奇説」として紹介しており、本人が真に受けていた形跡はない。


 実際問題、ペルム紀初期の寒冷気候の原因はゴンドワナ大陸――後にユーラメリカ大陸と衝突してパンゲアとなる超大陸――が南極に位置していたことによる、氷床の大発達というのが目下に於ける定説で、言うなればマントル対流の作用の結果。天上ではなく地下にこそ答えが隠されていたとは、いやはや皮肉が効いている。

 

 

大絶滅 ―2億5千万年前,終末寸前まで追い詰められた地球生命の物語―

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