▼▼▼前回の「いろは歌撰集」▼▼▼
い 出や此世に生れては
ろ 露命も僅か朝顔の
は 花の盛りも僅かなり
に 憎き可愛ゆき薄きうち
ほ
へ 片時も油断すべからず
と 兎に角勇み
ち 力づくには行かんぞよ
り 利口の人も無筆では
ぬ
る 類に寄りては何事も
を 覚えて悪しきことは無し
わ 我身を降げて人を立て
か 神や仏に誓ふても
よ 余所の悪事は語るなよ
た 仮令貧しく暮すとも
れ 礼儀は常に心がけ
そ 粗末に物を遣ふなよ
つ 常に我身を顧見て
ね 寝ても起きても親の恩
な 何んに就ても思ひ出せ
ら 楽を好むは身の亡び
む 無用の金銭遣ふなよ
う 嘘をいはぬが身の出世
ゐ 急がぬ人も
の 後よ明日よと延ばすなよ
お 老ての怨み返らんぞ
く 苦しき時の神頼み
や 病募りしその時は
ま 間には合はんと覚悟せよ
け 喧嘩口論
ふ 不幸の種と思はれよ
こ 心の鬼が身を責める
え 得手と勝手を棚に上げ
て 天下の掟国の法
あ 仇だ疎そかに思ふなよ
さ 差手引手に身を責めて
き 飢寒を忍び勤むべし
ゆ 雪や蛍を集めても
め 名誉を得るは
み 身より引出す財宝は
し 死しても尽きぬ宝ぞよ
ゑ 円満利益も心より
ひ 貧に落るも心より
も 若しも家業の暇には
せ 先祖祭を怠るな
す 好きこそ物の上手なれ
京 今日の言葉を忘るなよ今日の心を忘るなよ
南品川猟師町に住む中山洞泉なる人物から、『浮世秘帖』の著者、羽太鋭治に寄稿された歌である。
江戸時代、江戸湾沿いには幾つもの漁業専業者集落が在り、そうしたものを「浦」または「猟師町」と呼んでいた。
この中山洞泉も、あるいは年がら年中潮風に身をなぶらせている漁師であったやもしれぬ。もしそうならば、これは正しくプロレタリア文学と呼べるだろう。顔色の悪い青びょうたんめいた文学者が机の上で想像をたくましくして作り上げたものでなく、真に労働者の生活の中から汲み上げられた七五調――。
まあ、内容の方は素朴な道徳論の域を出ぬゆえ、左翼の気には召すまいが。
しかし私の好みではある。特に「お」から「ま」までの四行は、なにやら実感が籠っているようで味わい深い。
い 意地が悪い子は生れはつかぬ、直ぐが元より生まれつき
ろ ろくろ心を思案で曲げる、まげにゃ曲がらぬ我が心
は 恥を知れかし恥をば知らにゃ、恥のかきあひするものぢゃ
に 憎む筈なは不忠と不孝、外にゃ憎まうやうがない
ほ 欲しや惜やの思案は鬼よ、楽な心を苦しめる
へ へしたことにはよいことないぞ、知れた通りがみなよいぞ
と 兎にも角にも親孝行と、主人忠義を忘りゃんな
ち ちかひ親子にむごいを見れば、あかの他人は恐ろしや
り 悧巧ぶるのは大方阿呆、知れた通りでよいことを
ぬ ぬかるまいぞや思案の鬼が、とっと地獄へ連れて行く
る 留守といはれぬおのれが心、善いも悪いも覚えあり
を
わ 我を立てねば悪事は出来ぬ、知れよ心に我はない
か 金を欲しがる底意がいやよ、人を見下す天狗ずき
よ よだれ八尺流すは色よ、迷やとろさも覚えなし
た ためによいこといふ者いやで、毒をあてがふ人がすき
れ 礼儀だてこそをかしうござる、たてのないのが礼である
そ 損をかけたり無理をばするは、得ぢゃござらぬ損ぢゃまで
つ 常に主をば大事に思や、仕事するのも手が軽い
ね 寝ても覚めても立っても居ても、無理はいふまい無理せまい
な 無いと思ふはそりゃ早思案、
ら 楽がしたくば心を知りゃれ、楽が心の生れつき
う うそは心に覚えがあるぞ、人は兎もあれ我が知る
ゐ 井手の玉川丸くも見えぬ、何が流れぢゃ果てがない
の 飲めや歌へや一寸先ゃ遠い、騒ぐおのれがまるで
お 奥の奥まで探して見ても、限り知られぬ我心
く 久米の仙人可笑しいことよ、うその顔みてだまされた
や やいとおすやれ孝行ものぢゃ、親も喜ぶ身も無事な
ま 敗けることをば
け
ふ 古いものほど重宝ならば、初め知られぬ我が心
こ 虚空無天に御広い
え 縁にひかれて心はうつる、悪いことには
て 天の恵みで無い物ないと、恩にきせねば恩にきず
あ あたら心に思案の添へ木、それがつかへて動かれぬ
さ さても心は奇妙な物ぢゃ、覚へしらねど覚えしる
き 来たら来たまま去りゃ去ったまま、とかく思案は皆くずぢゃ
ゆ 夢の世ぢゃとは口にはいへど、ねごといふのが物ほしや
め 眼にも見えねば音にもきかず、されど無しとも思はれず
み 見たい知りたいその心ざし、知れば知らるる我心
し 知れば知らるる心を知らで、暮す人こそはかなけれ
ゑ 得たる心を失ひなりで、死んでしまうはあんまりぢゃ
ひ 貧と福とは天命なれば、わがのままにどもならぬ
も もがき貧乏する人多し、ならぬもうけをしたがって
せ 世智で金をば持てても慈悲で、人を救わにゃ金の番
す 住めば
京 京の太平楽々の身に、外の願はみな栄耀
こちらは元禄年間に活躍せし作家、山本長兵衛がその謡本『
一貫して軽妙な調子を保ちつつ、噛み締めてみると思わぬ滋養分が溢れ出すのが分かるだろう。「人間の屑」という罵り方が江戸時代から存在していたと知れるだけでも、これは貴重な作品だ。
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