穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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オックスフォードの喫煙競争

 

 1723年9月4日の出来事だ。英国はロンドン、オックスフォード・ストリートにある劇場で、世にも珍しい「比べ合い」が開催された。


 三オンスの煙草を、誰が一番早く吸い尽くせるかという競技である。

 

 

Oxford Street 1875

 (Wikipediaより、1875年のオックスフォード・ストリート)

 


 優勝賞金は12シリング。参加条件は特になし。老いも若きも男も女も、腕に覚えさえあるならば誰でも歓迎。なんなら事前の申し込みすら不要であって、当日の飛び入り参加も構わないという気前のよさ。


 反則はたった二つだけ。飲料の摂取と、「リング」たる舞台の上から一歩でも下に降りること。
 この二項が確認された瞬間、即座にその人物は失格となる。


 たちまち志願者が殺到した。


 そして14:00、いよいよ開幕のベルが鳴る。


 劇場は濛々たる紫煙に包まれた。


 現代の感覚からすればとんでもないマナー違反にあたろうが、18世紀のイギリスに於いては何の問題もないらしい。
 なにせ、この時代人ときたら教会の中でも平気な顔してパイプをふかす。


 スコットランドの文学者、ウォルター・スコット『ミドロジアンの心臓』にもアンジール侯の執事ダンカンが牧師の説教中一時間半に亘ってタバコを吸い続ける描写があるし、


「他人は皆讃美歌の長いのを悦ぶようだが、自分はパイプの長い方がいい」


 と公の場で放言した詩人もあった。


 こうした気風が横溢した結果、ついに教会が議会に対して苦情を言い立て、限定的な「禁煙令」を発せしむるに至ったのだと、『煙草礼賛』は書いている。

 


 一六六九年にマサチューセッツの植民地では特別に喫煙制限令を布くことになった。其法令は今日から見ると随分不可思議千万なもので、礼拝の日に往きでも帰りでも教会から二マイル以内の所で喫煙する者を発見した場合には十二ペンスづつの罰金に処すと云ふので、何のことはないアメリカの領海内で禁酒が航行の船に布かれるやうに、ある一定の個所で喫煙を禁ずると云ふわけなのである。記録に残ってゐる所によると新教徒で早速此罰則に引っかかって罰金を支払はされたのは、リチャード・バリー、シェディア・ロンバート、ベンジャミン・ロンバート、ジェームズ・メーカーの四人だったとちゃんと名前までわかってゐる。(88~89頁)

 


 神の家たる教会でさえ一服するのだ。
 劇場だけが、どうして例外に置かれようか。
 彼らは何の疑問もなくマッチを擦った。

 

 

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 競技は見応えのある進行を遂げた。


 参加者の中に東部からの旅裁縫師と自称する男があって、この人物が群を抜いて鮮やかな喫煙ぶりを発揮したがゆえである。


 彼の吸いぶりはおそろしく早く、息も継がずに何本も何本もパイプをとっかえひっかえするもので、観客の視線は専らこの男に集中し、一位をかっさらって行くのはほぼ間違いないと思われた。


 ところが、なんということであろうか。彼の身に、明らかな変調が。


 視線が一箇所に定まらず、顔面からは血の気が引いて蝋のよう。誰がどう見てもこれ以上は危険なのに、


 ――あと少し、あと少しだけ我慢すれば勝てるのだ。
 ――折角ここまでやったのに、無駄にするのは惜しすぎる。


 そんな誘惑に駆られでもしたのか、なおも無理に喫し続けたことにより、すわ断末魔かと疑いたくなる異様な狂態を晒しながら苦しみ悶え、やむなく退場。


 酒の「一気呑み」と同様に、煙草の「一気吸い」も危険らしい。


 この裁縫士のハイペースにつられて無茶な吸い方をしていた選手たちも、後を追うように次々棄権。


 結局最後まで壇上に留まり、三オンス――約85グラム――の煙草を吸い尽くしたのは、周囲の喧騒を意にも介さず、ひたすら己のペースを貫き続けた老大工に他ならなかった。


 このあたり、競馬やマラソン競技にもどこか通ずるものがあって面白い。

 

 

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 喫煙競争は、その後幾度となく開かれた。


「酒の呑み比べ」「めしの大食い比べ」に比べれば遥かに稀少ではあるものの、それは確かにあったのだ。


 中心となったのは、やはり英国。際立って太く、また長い、特注品の葉巻をば、二時間内に何本吸えるかという大会をロンドンで開いたこともある。


 このときは17名の愛煙家が「選手」として立候補し、そのうち10名が一時間で根を上げて途中棄権したのだから、「特注品」の特注ぶりがよくわかる。


 優勝者の記録は10本完喫。二位の者は9本半と、実力はまず伯仲していた。

 


 しかしまあ、こんなことにまで優劣を決めねば気が済まないとは、人とはつくづく勝負好きに出来ている。

 

 仏教徒なら業が深いと嘆くだろうが、私はそんな性質を、むしろこの上なく快く思う。

 

 戦い続ける喜びを。勝利を求めて必死になる姿こそ美しい。どんなにくだらない勝負でも、当事者が真剣でありさえすれば、確かに清々しさが宿るのだ。

 

 

 

 

 


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