穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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戦前の詐欺広告 ―妙な頓智の効かせ方―

 

 日露戦争後の不景気の只中――。


 井上馨が金を求めて躍起になってる、その裏側で、以下のような広告が某新聞紙に掲載されて、一部界隈の眼をそばだたせた。
 曰く、

 


「一円送ってよこせば、寝て居て楽に食はれる法を教へる」(『修養全集 11 処世常識宝典』118頁)

 


 罠であろう。
 ちょっと考えれば稚児でもわかる。仙人にでもならない限り、そんな都合のいい話があるわけがない。そしてこの広告主が真に仙術を修めているなら、どうして今更一円などというはした金を請求するのか。

 どの方向から突っついても一つも道理に適った部分が出て来ない、布を被せざる落とし穴も同然な見え見えの罠に相違なかった。


 ところがどういう心理の作用だろうか、こうも露骨に見えている地雷である場合、逆に率先してかかりたくなる衝動が湧き上がって来るものらしい。現にこの胡散臭い広告に一円を払った者がいた。
 で、しばらくして届いた回答にはごくごく短く、

 


「餓狼の穴の入口に寝てゐればよい」(同上)

 


 と書かれていたとのことである。


 楽に食われる――楽に、喰われる


 生活して行けるという意味でなくして、そのまま直截に生物の胃袋に収納される。なるほど確かに、意味が通っていなくもない。


 敢えて異議を唱えるならば、狼に食われるというのは決して楽な――つまり、容易に死ねるという意味で――道とは限らず、長時間に亘って惨烈な苦しみの持続する場合の方が寧ろ多いということなのだが、まあ、これは所詮水掛け論だ。自重しよう。

 

 

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 こういう頓智の効いた、禅坊主の講釈めいた詐欺広告はいつの時代も絶えないもので、現に2ch発祥のコピペの中にも、

 


株で大損したので、インターネットで
「株で絶対損しない(秘)方法」という情報を見つけて
3万円で買ったら、送られてきた封筒の中に、
一枚の便箋が入っていて、

 

「株をやめなさい」

 

とだけ書いてありました。

 

これは詐欺で訴えることができるのでしょうか?

 


 と、軌を一にしたものが見受けられる。
 こういう場合、謂わば「元締め」たるオークションサイトなんかがどんな裁定を下すのか、それは私の知り及ぶところではないのだが、戦前の新聞社の対応ならば把握している。


 詐欺広告を掲載してしまった新聞社の対応は一つ、「何もしない」だ。


 欄を取り仕切る広告係は探偵ではなく、それに一々信用調査などしていては、かかる費用も馬鹿にならぬし何より毎日の締め切りに間に合わなくなる。さすれば他社に先んじられることは必定であり、待っているのは経営不振の奈落以外にないであろう。営利を追求する企業にとって最も忌むべき展開だ。


 ゆえに新聞社は碌に取捨選択もしないまま、この種の怪しげな広告をぬけぬけと掲載し続けた。

 


 胃腸病患者の諸君! 一回試みれば食欲を増進さすること神の如く、薬品機械を要せずして極めて簡単なる科学的新療法。悩み患ふものよ、直ちに申込みて神来の福音に浴せよ!

 


「!」マークに「神」に「福音」――。
 なんともはや、華美なる文字が並ぶではないか。
 それにつられて青白い顔をした学生なんぞがうっかり金を送った日には、やはり紙切れ一枚が送られてきて、

 


「三四日断食すべし」

 


 素っ気なく記されているのみだったという。


 そりゃあ確かに絶食すれば、すなわち飢餓に陥って、熱烈に食物を恋うようになるに違いない。
 人体生理学上、なにもおかしなところはないだろう。ということはつまり、「科学的」ということでもある。だが、この釈然としない感覚はなんであろうか。

 

 

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 こうした現象はひとり大日本帝国のみでなく、海を挟んだアメリでもやはり猖獗をきわめていて、

 


 帽子、衣類、その他何でも自由に掛けることが出来て取り扱いは簡便、如何なる場所にも自由に取り付け得る世界一の重宝器具提供。現に全国二千万戸の家庭に使用されつつあり。定価送料一ドル。

 


 との広告を某夕刊の、しかも一面に発見し、これはと思って飛びつくと、送られて来た小包は馬鹿に小さい。


 はてな、と訝しがりながらも開封してみれば、出て来るのは四重五重にも重ねられた包装紙ばかりで、いよいよ首を傾げなければならなくなる。


 そのすべてを、やっとの思いで除き終えると、コロンと転がり落ちて来たのは豈図らんやただ一本の五寸釘

 

 

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 なるほどこれなら場所を選ばず何処にだろうと取り付けられるし、扱いだって簡単だ。コートも帽子もなんであろうと掛けれる。全国二千万戸の家庭で使用されているというのも嘘ではない、むしろ控え目な表現だろう。


 怒りを通り越して、いっそ感心したくなる。智慧の使いどころをあからさまに間違えている輩というのは、なかなかどうして絶えないものだ。

 

 

だましの手口 (PHP新書)

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