穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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日露戦争戦死者第一号・伊藤博文 ―後編・上―

 

 長州人で「桂」と聞くとどうしても、桂小五郎――木戸孝允――の名前の方がまず浮かぶ。

 

 

Takayoshi Kido suit

Wikipediaより、木戸孝允) 

 

 

 晦渋な顔をした男である。
 このイメージが先行するあまり、ともすればもう一人の「桂」の方とごっちゃになって、太郎・・小五郎・・・の血縁だとか、そういう血筋に支えられた強力な地盤があったからこそ桂園時代なんてものを実現できたんだろうとか、そんな風に思い込んでいる人は存外多い。


 が、事実に於いて桂小五郎桂太郎、両者の系図はまるで別なものである。


 共に長州萩の生まれであり、歴とした上士の家柄ではあるものの、前者が藩医和田家のもとから大組士桂家に養子入りしたのに対し、後者は馬廻役桂與一右衛門の嫡男であって、筋目の正しさで言うならば、むしろ太郎の方が優れていよう。
 幼名は、壽熊ひさぐまといった。

 

 

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 一見温和な風貌をしていながら、万延元年、風雲急を告げる長州に於いて新式の西洋操練が実施されるという噂を聞きつけるや、居ても立ってもいられなくなり、弱冠十四歳の身空でありながらこれに加わりたいと熱烈に願い出たあたり、温和さの中に獰猛さを包んでいること、正に熊の如しである。


 もっともこの請願は「若過ぎる」という理由で却下され、やむなく太鼓の打ち方を習うだけに止まったが。

 


 ――その桂太郎が。

 


 日露戦争を目論む例の結社に加わったのは、彼に大命が降りる寸前。一ヶ月に及ぶ内閣の空白期の末尾、同じ陸軍所属の児玉源太郎からの度重なる熱烈な呼びかけに応えてである。

 

 

Gentaro Kodama 2

Wikipediaより、児玉源太郎) 

 


 児玉は児玉で、大日本帝国の未来のためにはロシアと戦争をすることが絶対に必要だと確信している男であった。杉山の見るところ、児玉源太郎という身長わずか155cmに過ぎないこの小男は、しかし日露戦争を実現するために生れて来てゐるのかと思はれるほど熱心な日露戦争論者(『熱血秘史 戦記名著集9巻』500頁)に他ならず、その矮躯に詰め込まれた圧倒的熱量に、時に杉山ですらも気圧されるほどであったという。


 それだけに児玉源太郎は、明治三十四年六月二日に誕生したこの桂太郎内閣に、期待の総てを懸けていた。


 といって、杉山も児玉も、まさかこの「新入り」が次の総理大臣と見抜いて勧誘を行ったわけではない。結果があまりにも出来過ぎていてついそう勘繰りたくなるが、誓って全くの偶然である。

 


 政局の変転推移といふやうな、大勢の力で動いて行くことは、一人や二人の、どれほど頭がすぐれた者があっても、その考へ通りには、決して成るものではない。世間にはよく策士だとか何だとかいふ者があって、彼等は自分一人で芝居の筋書きを書いて、その筋書通りに、多くの政治家を人形として動かしてゐるやうな顔をしたり、甚だしきは之を吹聴したりしてゐるが、嗤ふべくあはれむべき誇大妄想狂である。それは無論、策士も策謀も必要ではあらうけれど、決して万事がその策動に順応して来るものではない。あて・・事と何とやらは、向ふから外れて来るものと、昔から相場がきまってゐるではないか。(同上、493頁)

 


 このあたり、伊藤博文あて・・にしてあれこれ策動した挙句、その伊藤本人から盛大な梯子外しを喰らった杉山茂丸だけあって、言説に説得力が満ち満ちている。


 杉山の謀略論、なおも続く。

 


 茲に於てか、偶然の機会といふやうな事が、時に思はざる奇功を顕はすのである。特に日露戦争前の政局の変動には、この偶然の機会といふ奴が、屡々強大な力を顕したことは、少しく政変史に注意する者の見逃さない所である。(同上)

 


 しかし真に優れた策士と云うのは突然降って湧くようにして現れたその「偶」を、あたかも最初から自分の計画通りでございとばかりの顔をして、巧みに且つさりげなく利用してのける手腕を有した者だろう。


 果たして杉山茂丸は、この「偶」を最大限に利用した。
 桂太郎内閣の安定に、彼はあらゆる骨折りを惜しまなかった。
 甲斐あって着々と戦争への準備は進み、そしてついに局面は、最大の難関を目前に控えることとなる。


 いざ日露の間に風雲急を告げた秋、決して黙っているはずのない、列強中最大の利害関係を東洋に有する国への対処――。


 すなわち、大英帝国との交渉だった。

 

 

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 東洋で事を起こせば英国が嘴を突っ込んでくる。連中は決して、局外中立なぞ保たない。


 これは明治期に於いて、ほとんど動かすべからざる、一つの定理の如き観さえあった。


 問題となるのは、その嘴の突き入れられる角度・・である。日本に好意的にか、それともロシアに好意的にか。前者ならいいが、後者となればその瞬間に大日本帝国の敗北が決定しよう。


 これほど重要な沙汰事を、丁半博奕さながらに運頼みにする心算は要路の誰もが持ち合わせてなどいなかった。杉丸にしても同様である。どうあっても日英間で攻守同盟を締結しておく必要がある、それも可及的速やかに。


 ――ところが、これがそもそも大問題である。


 と、杉山は言う。
 なにしろ相手は英国だ。


 日本からどうか同盟国になってくださいませお願いしますイギリス様と、哀願するかのようなそんな調子で頼み込めば、あの腹黒紳士のことである、たちどころに足元を見抜き、日本が破産するかしないかギリギリの、とんでもなく高価な代償を条件としてふっかけて来ること必定である。


 事実、日本は英国との同盟を、哀願したくなるほど希っている。


 砂漠で渇えた者が水を求める心情に、勝るとも劣らない必死さである。
 しかしながらそのことは、断じて見抜かれるわけにはいかなかった。おくびにも出さず振る舞って、あくまで英国をして自発的に同盟の儀を提案させるべく仕向けなければならない。さもなくば、

 


 多くの犠牲を拂ってロシアの勢力を東洋から駆逐しても、お代りに英国を連れて来るやうなものである。前門の虎を追うて、後門に狼の襲来を受けては何にもならない。まさか英国はロシアほどの横暴は極めないであらうけれど、日本が条件で縛られれば、実質に於いては同じことになる。(同上、512頁)

 


 だが、果たしてそれが可能であろうか?
 相手は舌が何枚あるか到底知れたものではない、老獪極まるイギリスだ。
 メッテルニヒの義理の祖父、オーストリアの名外交官たるカウニッツをして、


「かくの如き不可思議なる政府相手には、実に何事をも信頼する能わず」


 と言わしめた、筋金入りの国である。
 難易度は文句なしに最高峰と言っていい。

 

 

 

 

 


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