穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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奴隷騎士哀歌

 

 

「私は求める。常に何ものかを求めずにはいられない。しかし、本当に私の求めてゐる最後のものは、表現することによってのみ、即ち生きることによってのみ、近づくことが出来るのだ」
「私は求める最後のものへと近づいてゆく。しかし、その最後のものはつひに私には攫めないであらう。攫めない代りに、私はそのものになり切るであらう」

 


 相馬御風がその著書『人生行路』に記したこの一節(494頁)を読むたびに、私はどうしても奴隷騎士ゲールを彷彿とせずにはいられなくなる。ダークソウル3最終盤、真実の輪の都にて異様に肥大し、土手っ腹に「虚ろ」が穿たれ、呪詛を恰も蒸気の如く全身から噴出させつつ襲いかかってくる、彼の姿を。

 

 

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 新たなる絵画世界の顔料――暗い魂の血を求め、最果てたる輪の都を追ったゲールは、しかし小人の王たちに見え、その血がとうに枯れ果てていたことを知り、ついに彼らを喰らいはじめた。


 その結末があの異形。暗い魂の血を求めたゲールは、しかしそれを攫むことなく、攫めぬ代りにそのものに――暗い魂の化身へとみずからを変生せしめたのである。

 


 冒頭に掲げた相馬御風の人生観の、まさに体現例と言えなくはないか。

 


 本編――敢えて換言するなら表側・・のラスボスに「王たちの化身」を置き、裏側DLCのラスボスに「暗い魂の化身」を置く。この配合の妙には、ほとほと感服せざるを得ない。火と闇の神話を閉じるにあたって、これ以上の構図はないであろう。

 

 

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 先日のE3にて、フロムソフトウェアの新作『エルデンリング』が発表された。


 昨今の日本ゲーム業界に於いて、フロムの出来は明らかに群を抜いているといっていい。フロムを超えられるのはフロムだけではなかろうかとすら、私なんぞは時々思う。


『エルデンリング』が紡ぎ出す新たな神話は『ダークソウル』を――あの火と闇の神話を超えられるのか。否が応でも期待が高まる。

 

 

DARK SOULS III DESIGN WORKS

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