「私は求める。常に何ものかを求めずにはいられない。しかし、本当に私の求めてゐる最後のものは、表現することによってのみ、即ち生きることによってのみ、近づくことが出来るのだ」
「私は求める最後のものへと近づいてゆく。しかし、その最後のものはつひに私には攫めないであらう。攫めない代りに、私はそのものになり切るであらう」
相馬御風がその著書『人生行路』に記したこの一節(494頁)を読むたびに、私はどうしても奴隷騎士ゲールを彷彿とせずにはいられなくなる。『ダークソウル3』最終盤、真実の輪の都にて異様に肥大し、土手っ腹に「虚ろ」が穿たれ、呪詛を恰も蒸気の如く全身から噴出させつつ襲いかかってくる、彼の姿を。
新たなる絵画世界の顔料――暗い魂の血を求め、最果てたる輪の都を追ったゲールは、しかし小人の王たちに見え、その血がとうに枯れ果てていたことを知り、ついに彼らを喰らいはじめた。
その結末があの異形。暗い魂の血を求めたゲールは、しかしそれを攫むことなく、攫めぬ代りにそのものに――暗い魂の化身へとみずからを変生せしめたのである。
冒頭に掲げた相馬御風の人生観の、まさに体現例と言えなくはないか。
本編――敢えて換言するなら
先日のE3にて、フロムソフトウェアの新作『エルデンリング』が発表された。
昨今の日本ゲーム業界に於いて、フロムの出来は明らかに群を抜いているといっていい。フロムを超えられるのはフロムだけではなかろうかとすら、私なんぞは時々思う。
『エルデンリング』が紡ぎ出す新たな神話は『ダークソウル』を――あの火と闇の神話を超えられるのか。否が応でも期待が高まる。
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