外科手術に喩えられるほどの鮮やかさで敵中枢の刈り取りを行い、一ツ意思のもと統制された軍集団を単なる群衆――個々人が寄り集まっているに過ぎない烏合の衆に戻してしまう。
『幼女戦記』の主人公、ターニャ・デグレチャフが得意とする手口――通称「斬首戦術」を説明すれば、大まかにいってこのようなものだ。
先日来読み進めている『予ガ参加シタル日露戦役』に、その実例とも言うべき記述を発見した。
沙河会戦にて著者である多門二郎が実見した出来事だ。戦闘の最中、著者の前面の散兵壕に敵砲弾が落下して、しかも運の悪い事にそこら一帯の散兵線を指揮していた石狩という少尉の至近に着弾、彼の肉体をずたずたに引き裂き、有無を言わせず即死させてしまったのである。
さて、残された部下達の反応だ。
之と同時に附近の散兵は言ひ合はした様に後方の斜面に飛び降りた、其の早いことは想像が出来ぬ、之れ皆砲弾の此の命中で殆ど無意識に飛び下りたので丁度弾丸の音がすると首を縮める様なものである、併し此の侭にすることはならぬので大隊長と僕とは兵を叱り飛ばして辛うじて旧の線に就けた(314頁)
それまで勇敢に戦っていた兵士達が指揮官の戦死した途端、向きを逆さに壕を放棄し脇目も振らず遁走する。
背中に機関銃を突き付けられて前進するのを強いられる、ソ連や中国お得意の「督戦隊」ではないのである。
世界的にも屈指の練度と士気とをほこる、この時期の大日本帝国陸軍を以ってしてさえ
斬首戦術が如何に有効か、十分な証明になるだろう。
多門二郎もこのあたりの呼吸をよく呑み込んでいて、反射的な行動であり、やむを得ないと認めている。このときは刈り取られたのが前線指揮官の頭であり、すぐさまより上級の多門二郎や大隊長が叱り飛ばして統制を回復したからいいものの、『幼女戦記』の劇中でターニャ・デグレチャフが常套的に斬り飛ばしているのは彼らの更に上級の、時には作戦の根幹を担う司令部ですらある。
その禍害、推して知るべし。「ラインの悪魔」と呼ばれるのも納得だ。
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