穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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武士たるものは

 

 赤穂浪士四十七士の処分には、幕府も随分と悩んだそうだ。
 とある伝承によれば、懊悩するあまり当時の将軍綱吉は、この事態をどう裁けばよいかと輪王寺宮に相談している。その顔つきや口ぶりから将軍の本心が義士に同情的であり、自分に彼らの命乞いをする役を演じてもらいたがっていると輪王寺宮は直感した。


 が、故事に明るく英邁な宮は即答を避け、


 ――なにぶん事が事であるゆえ、しばし熟慮する間をいただきたく。


 とその場をつくろい、一旦は棚上げにして引き取った。
 しかし宮はこのとき既に、


 ――切腹させる以外にない。


 と、綱吉の期待とは真逆の考えに腹を決めていたという。


「人間の心は計られないものだ。明鏡もいずれは曇る。若し助命して後に万が一にも連中の中から失策する者が現れれば、折角示された忠義を汚すことになろう。それよりも立派な忠臣となっている今日の間に切腹させれば、末代まで武士の鑑となるに違いない」

 

 これを打算と呼ぶなら、おそろしいほど透徹した打算であった。


 宮にとって考えるべきこととは、この自説にどう言辞的装飾を施して、綱吉の耳に入りやすい触感へと加工するかという、その一点に絞られていた。
 その後の歴史的経過を見る限り、宮の苦心は見事報われたのだろう。四十七士は従容として腹を切り、切ったがために完全無欠の聖像イコンと化し、日本民族の続く限りその意識の中で永遠に息づく権利を得た。

 

 

Kagakuji Ako10n4272

 


 つくづく以って、武士とは凄まじきものである。

 
 1918年、欧州大戦真っ只中のドイツにあって『西洋の没落』という書籍を著し、世を騒然とさせた哲人オズワルト・シュペングラーは、こうした日本人の姿を観察して次のように批評した。


日露戦争当時日本は、古来よりの自尊心強く、名誉心厚く、且つ勇気に富みたる武士と称する統治階級が支配していた。この武士という階級は有史以来地上に現れたる『人種性』の最上模範の一つであった。しかし今日に於いては我ら外界の者は、日本に於いてもまた、急進論者あり、ストライキあり、過激派のプロパガンダあり、大臣の暗殺あることを耳にする。然らばこの優秀国家もまた白人国の衰亡症状たるデモクラシーとマルキシズムの毒するところとなって、その全盛期を過ぎたるか――しかも太平洋争覇闘争の正に決定期に入らんとする今日に於いて?」

 

 

Bundesarchiv Bild 183-R06610, Oswald Spengler

 


 シュペングラーの激賞した武士の姿は決して自然発生的なものでなく、輪王寺宮が払ったような努力が水面下で山と積まれたことにより、辛うじて維持されてきたものなのだろう。

 


武備目睫』も、あるいはそんな努力の一つと言えるかもしれない。

 


「秘事は睫」――奥義や秘伝はすぐそこにあるが、睫のようにその存在に気がつかないだけという意味の諺に名を由来するこの書には、以前触れた通り、「介錯可仕心得」という章がある。


 その名の通り、介錯人がいざその場・・・に臨むに際して心得おくべき知識全般が載っているのだ。


 面白いのは「柔術捕術などの業も心得ありてよかるべし」の下りだ。輪王寺宮の見抜いた如く、人間の心は計られないもの。白装束に身を包み、いざ奉書紙に包まれた短刀を差し出されたところで急に錯乱の様相を呈し、にわかに立ち上がってしまった切腹人がどうやら現にいたらしい。


 介錯に出で候処切腹人逃げ候上は力及ばずと申しても済むまじきなり。首を落す役に当りたれば、是非首を落さで叶ふまじきなり。然れば変あるの時の心得なくんば有るべからず。


 介錯役の立場でその場に臨んだ以上、なにがなんでも目当ての首を落とさなければ帰れない。急に逃げ出したので、なんて言い訳が通用する世界ではないのだ。
 その役を果たせなければ、いっそ自分が腹を切れ、と言い出しかねないばかりに『武備目睫』の書きぶりときたら凄まじい。


 切腹人若し立上りたる時組とめて首を掻きたりと言例はきけり、未だ放し討に討留めたりと言例はきかず。手詰の場なれば組伏する事肝要なるべし。


 屹立した切腹人を地面に捩じ伏せ、首を掻き取った例はあっても立っている相手を追いかけまわして刃を浴びせ、さんざんに切り刻んだあと漸く首と胴とを分離させた例は未だ聞かない。
 介錯人はやはり介錯人らしく、その刃は首を切り離すためにのみ使われるべきだ。
 組み伏せ、身動きを取れなくするにはやはり素手が望ましい。
 よって、「柔術捕術などの業も心得ありてよかるべし」の一節に繋がるわけだ。
 いやはや、介錯人も命懸けである。

 

 


介錯可仕心得」にはまた、山口貴由先生の傑作、『シグルイ』にて示された「首の皮一枚を残す」手並みについても触れられている。「懸けて討て」と表現されている。


 介錯懸けて討てと言ふ事有り。首を落しきらず皮ばかり懸りて首の逆さまに下り候事なり。


 どうであろう、十一巻にて示された、孕石雪千代の手並みそのものではないか。
 その理由について、鵜飼半左衛門平矩は次のように説明している。


 何のために落さずして懸る様には打つぞと言ふに、古人の用心は厚き事なり。首落たる時は目ばたきし、口を動かし或は石砂にかみつく事など有るものなり。士の一大事の時なればかかる見苦しき事もありては恥辱なりとも思ふ様に打ずして手心をひかへたるなり。古人のなし置たる事にはいささかの事にも意味有る事多く、能く吟味すべき事なり。


 切り離された頭部が瞬きしたり、石や砂を噛んだりする。さすれば当然顔は汚れ、見栄えが甚だしく悪化する。
 切腹が士にとって如何に重い意味を有するものかは今更論ずるまでもない。そんな一大事を見苦しく汚してしまっては、それこそ忍びないというものだろう。


 つまり首の皮一枚を残すのは、介錯人の惻隠の情の発露である。


 おそるべき思いやりといっていい。これでこその武士なのだ。

 

 

  

 

 


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