穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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我ガ代表堂々退場ス ―1919年、イタリアver. 前編―

 

 よくよく思い合わせてみれば、パリ講和会議が開かれてから今年でちょうど100年である。
 折角なので、もう少しこのあたりのことどもについて語りたい。
 そう思ったとき、ふっと頭に浮かんだのが、題名に据えた伊国全権ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド首相の退席劇に他ならなかった。

 

 

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 フィウメ帰属問題という、早い話が「未回収のイタリア」に関連する議題に於いて、オルランドとウィルソンの主張が真っ向から対立したことに端を発する事件である。


 イタリアはロンドン秘密条約に基きこの地が自分達に与えられることを要求し、一方アメリカは新たに建国されたユーゴスラビア王国領に付するべきと主張する。話はもつれ、多くの国境問題がそうであるように救い難いほどこじれ・・・、ついに激怒したオルランド代表による会議離脱という破局にまで達するのである。


 ところが1933年の松岡洋右と異なる点は、オルランドのこの行為が、欧州の連合国の人々から爆発的な称賛を浴びたということだ。


 ウィルソン大統領、ひいてはアメリカ合衆国が講和会議の席上で散々重ねてきた横暴に対する反撥だった。

 

 

Woodrow Wilson (Nobel 1919)

 


 順を追って説明しよう。まず、連合諸国にとって欧州大戦は紙一重の勝利であった。
 一応勝ちはしたものの、イギリスもフランスもまたベルギーも、国力は倒壊寸前まで疲弊して、人口ピラミッドがえげつないことになっている。この上は一刻も早く講和条件を取りまとめ、敗戦国からモノとカネをむしりとりたい。


 人情からいって、至極当然な欲求だろう。


 将来の安全保障に関する相談など、その後からでよいではないか。


 ところがアメリカは劈頭一番、まず国際連盟という、まさに「将来の安全保障に関する相談」を行う必要性を強弁し、ドイツに課すべき講和条件の相談など後回しだとやり出した。


 何故か。
 そこにはアメリカらしいマキャベリズムがはたらいている。
 合衆国が会議前から警戒の焦点としていたのは、実のところアフリカ及び太平洋上に分布するドイツ帝国植民地領に他ならなかった。

 

 

Deutsche Kolonien

 


 もし会議の席で下手を打ち、例えば大日本帝国をしてドイツ領ニューギニアをそっくり相続されるような展開になれば何が起こるか。知れたこと、マリアナ諸島カロリン諸島マーシャル諸島の各所に於いて、雨後の筍の如く日ノ丸印の軍事基地が群立するに違いない。


 さすれば米国にとっての太平洋上に於ける足掛かりたるグアムはどうなる。日本の勢力に包囲されて、軍港としての価値をすっかり喪失するではないか。ひいては太平洋戦略の破綻に繋がる。米国人でこれを見過ごすやつがいたならば、それこそ売国奴として銃殺されても文句は言えまい。


 アフリカも同様に問題だった。イギリスは既にオスマントルコからエジプトをぶんどり、自家のものとしているのである。この上更に領土を与えてしまったら、どこまで肥大するか知れたものではないだろう。


 せっかく欧州が黄昏を迎え、合衆国が若々しく屹立したばかりというに、そう簡単に復活されてはたまらない。


 以上の事から合衆国はかねてより、パイの切り分けに異様なまでの注意を払い、あらん限りの知力をしぼり、ついに「国際連盟」によって突破口を開こうとした。


 壁が生乾きだろうが木組みが剥き出しになっていようが、どんな粗普請でも構わないからとにかくまず第一に国連という組織をでっち上げ、これに旧ドイツ帝国植民地の領有権をどしどし与えてゆけばよい。そうすればこれらの土地が軍事的役割を発揮するおそれもなく、アメリカの貿易にも差し障りがなく、それどころか資本の投下も合法的に達成出来て危険がない。いいことずくめではないか。


 ゆえにアメリカはなんとしても、まず国連の存在をいの一番に議決させる必要があった。


 むろん、永きに亘る勢力の相克を繰り返してきた老練なる欧州各国のことである。
 この程度の魂胆は見透かしていた。
 見透かしていたが、国力の差というのはどうにもならない。


 なにしろ当時のパリにあっては、電話口で交換手に「大統領官邸へ」と告げたなら、フランス大統領官邸ではなくウィルソンの滞在先の電話のベルが鳴ったのだ。苟もフランスの首都たるパリにあって、この現実はどうであろう。自国の政府は何処へ消えたと訊きたくなるが、やんぬるかな、それほどまでにアメリカの存在は重かったのだ。


 結局のところ、米国の意が通された。


 ウィルソンはさぞや痛快だったろう。が、彼が痛快であればあるだけ、そのぶん欧州人達の不快さがいや増した。

 道理であろう。
 思えばこれは、今に始まったことではない。アメリカという国は昔からそうだ。モンロー主義を口にして他国による新大陸への干渉・容喙を拒絶しながら、そのくせ自分は何をしたか。


 ロシアからアラスカを、フランスよりルイジアナを、スペインよりフロリダを買ったのはいいとしよう。それは国家間の正当なる取引だ。だがテキサスをメキシコから奪い、進んでカリフォルニア、ニューメキシコを併呑すると、19世紀末には米西戦争をおっぱじめ、新大陸からスペインの勢力を一掃するや、尚且つそれに飽き足らず、今度はハワイを合併し、フィリピン、グアムまでぶんどってゆく、この一連の手管はどうか。


 おまけに今度は大西洋―太平洋間の連絡に不便を覚えたものとみえ、解決のためパナマ運河に手を染める、新パナマ国なる傀儡政権をつくりあげ、コロンビアから「独立」させる。こんなことをやらかした国が、よくもまあぬけぬけと日本の満州国建国を非難できたものだ。


 斯様にアメリカは欧州からの干渉を拒絶しながら、一方自分はどんどん欧州に対する干渉を強めてゆくという、マキャベリズムのお手本のような国だった。


 最初こそウィルソンをして「平和の使者」、「救世主」扱いしていた欧州各国の人々も、段々とその事実を思い出してきたのである。

 

 

侵略のアメリカ合州国史―“帝国”の内と外

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