とある識者に、
「全ヨーロッパをバルカン化するつもりか」
と吐き捨てられた悪名高きヴェルサイユ条約が成立してから、そう間を置かずしてのことである。ウィーンの映画会社にとんでもない商談が持ち込まれた。
なんと、自分が自殺する一部始終をフィルムに収める権利をやるからその代わり、遺される妻と四人の子供達の生活を保障してくれと、見るからに健康状態のよくなさそうな、みすぼらしい中年男性が申し入れてきたのである。
古代インドの仏教徒なら、あっぱれこれこそ『ジャータカ』にある、みずから火中に身を投じたウサギの心意気に相違なしとて感涙のひとつもしただろう。
が、ここはブッディストの勢力希薄なヨーロッパである。
男性の行為は「栄養素の欠乏により脳髄の働きが著しく低下して、結果錯乱の態を示したもの」としか受け取って貰えず、つまりはすげなくあしらわれ、一文の価値も生じなかった。
実際問題、この男の類型なぞ、当時のオーストリアには掃いて捨てるほどいただろう。
戦争に負けたのだ。
それもただの戦争ではない。100年かけて漸く積み上げた死体の山を、たった4年でかるがると越えてのけた前代未聞の大戦争に負けたのである。
これは誇張でもなんでもない。ナポレオン戦争からこっち、クリミヤ戦争だの普仏戦争だの、或いは日清日露の両戦役だのと、無数に起きた戦争の全戦死者数を累計しても、精々450万に届くかどうか。
ところが欧州大戦は、なんと一挙に1000万人。1000万もの人間を、物言わぬ肉の塊へと加工している。前一世紀通しての
なお、これらの数字はあくまで「軍関係者のみに限った統計」であり、民間人の犠牲者数は含んでいないと付記しておく。
そんな戦争に、彼らは敗れた。
自然、科せられた桎梏の重さもまた未曾有のものとなる。精神の一つや二つ、そりゃあ破綻させたくもなるであろう。
が、自暴自棄に陥った彼らの狂態に一々付き合っていたら時間がいくらあっても足りず、下手をすればこっちにまで狂気が伝染しかねない。この映画会社の対応とて、あながち冷酷とも言い切れぬだろう。敗戦国の末路とは、得てしてこうしたものなのだ。
とはいえ、戦勝国なら我が世の春を謳歌していられたかというと、それも違う。彼らは彼らで悲惨であった。
イギリス、イングランド南東部、ブライトンという海岸沿いの街に存在した某病院には、戦場で手足を失った患者が200名ばかり収容されていたのだが、この人々があるとき政府にとんでもない請求を突き付けている。
曰く、自分達はこれ以上生き永らえたところでとても前途に希望が持てず、楽しみも見出せそうにないからいっそ銃殺に処してくれ、というのである。
折衝上手の英政府も、さすがにこれには途方に暮れた。
なんということであろう。
煉獄の情景そのものではないか。
どっちを向いても修羅の巷が広がっている。一度開いた地獄の釜は、そう易々と閉じてくれないものらしい。
以上、久しぶりに『西部戦線異状なし』を視たので、ついこんなことを書きたくなった。
ただそれだけのことである。
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