穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

暗殺雑考 ―南京事件と阿部守太郎・前編―

 

 大正二年八月二十一日、第二革命の真っ只中にある支那に於いて、袁世凱率いる北軍に日本の将校が拉致された。


 事件の起きた場所に因んで、漢口事件と呼び習わされる一件だ。被害に遭ったのは中清派遣隊付歩兵少尉、西村彦馬。少尉は拘束された後、軍服を剥がれ、指揮刀を奪われた上に、その姿を白昼街中で晒しものにされたりと、尊厳をずたずたに切り裂かれる処遇を受けた。


 当時北軍の間では、


「第二革命は日本の犬養毅頭山満ら――所謂『アジア主義者』たち――に後押しされたものであり、日本政府も南方援助に傾いている」


 との噂が毒煙の如く兵卒の端々にまで浸み入っており、あるいはそれに対する復讐だったのかもしれない。


 これだけでも日本国民の人心を沸騰させるには十分な出来事であったのに、立て続けに起こった南京事件で、憤激はいよいよ頂点に達した。


 九月一日、国民党第二革命軍を敗走させた張勲率いる北軍が、代わって南京に雪崩れ込み、そのままの勢いで略奪、強姦、虐殺等をほしいままにした一件である。


 中国の歴史上、こうした光景は珍しくもなんともない。
 きっと王朝が変わるたび、幾度となく繰り返されてきたものだろう。
 ただ今回は日本人を巻き添えにしたことが、言うなら伝統の外に位置する行いであり、問題を惹き起こす元種になった。多くの日本人商店は被害を避けるために日章旗を掲げ、自分の所属を明確に示していたにも拘らず、それでもお構いなしに襲撃された。結果三名の邦人が犠牲となり、焼き捨てられた日章旗の灰がむなしく舞った。


国旗を焼く」という行為がどれほど相手の神経を逆撫でするかは、敢えて語るまでもないだろう。「致命的」の一言で足る。国民の激怒はもっともだった。だいいち人命が喪われた時点で、言語道断の沙汰ではないか。……

 


 ところがこれに冷厳たる態度を示したのが外務省に他ならなかった。袁世凱の、ではない。日本の外務省である。

 


「南京に於いて日本の国旗が蹂躙されたと云うけれども、それは公使館や領事館等の国旗ではない。単に個人が戦禍を免れんが為に携帯していた出来合いの国旗に過ぎないから、これを以って国旗を侮辱したとして、国際問題にすべきか否かに就いては、なお大いに研究の余地がある」


 と、戦後日本の弱腰外交でもなかなか飛び出しそうにない趣旨の意見を平然と吐いたのだから一周廻って畏れ入る。
 袁世凱政府を支持してきた関係上、日本政府としてはこの一件を下手に突っつき事を荒立て、両国の関係悪化を招きたくはなかったのだろう。


 にしても、この対応はあんまりである。人情の機微を無視するどころか、踏み躙るに等しいものだ。


 むろん、こんなことで国民の感情が鎮静されるはずもなく、却って拍車をかける結果になった。


 高まり続けるエネルギーは捌け口を求めて荒れ狂い、ついに対支問題の国民大会が開催される運びとなる。

 九月七日午後一時から日比谷公園を会場として行われる予定のソレに備えて、壮士達が宣伝のビラを配ったり、出演弁士の噂に花を咲かせていたときのことだ。突如として、外務省政務局長阿部守太郎暗殺されたとの報せが雷鳴の如く四方八方を駆け巡り、甚大な衝撃を与えていった。

 

 

Abe Moritaro

 (Wikipediaより、阿部守太郎氏)

 


 実行犯は岡田みつる宮本千代吉の二人組。

 九月五日午後八時過ぎ、赤坂にある阿部次官の自宅門前で発生した凶行だった。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ