穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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大正天皇の大御心


 次の元号、「令和」が世に公表され、皇位継承も間近に迫った今日このごろ。今だからこそ、触れておきたい話柄がある。


 遡ることおよそ100年、大正天皇皇室費に関することだ。


 まず、皇室費とは何かからはじめよう。ざっくばらんに述べてしまうと、天皇皇后両陛下はむろんのこと、さらには皇族御一同方の生活費全般に充てられるための金銭だ。国庫から毎年支出され、明治43年に450万円と定められて以来、少なくとも昭和初年に至るまで、この金額が変動したことはない。


 しかしながら、この間、円の価値は大きく動いた。


 第一次世界大戦、シベリア出兵、関東大震災等々と、歴史的大事件を幾つも間に挟んでいるのだ。動かない方が不自然であろう。政府の一般会計だけに着目しても、明治43年には5億8千万円であったのが、大正13年には16億円を突破している。実に3倍近くの増加であり、物価もほとんどこれに比例して、およそ3倍の上昇を見た。


 ゆえに政府が陛下に対し、皇室費の見直し――むろん、増額方向にである――を伺い奉ったのは、何ら不自然な発想ではなかったろう。
 ところが陛下は、


「それは無用だろう」


 柔らかな物言いで、しかし頑としてこの献策を受け容れ給わず、所定の金額450萬円を、御在位の間ついに貫き通されたのである。


 倹約のみを経済政策上の正義とでも思っているのかなどといった揚げ足取りは、正直言って聞きたくもない。そんなものは雑音として、この際捨て置いてしまって構うまい。


 私はただ、大正帝がお示しになられたこの大御心おおみごころが、次代の天皇皇后両陛下にも無事に受け継がれんことを、切に、切にお祈り申し上げてやまぬ者だ。

 

 

天津日嗣あまつひつぎ高御座たかみくら
千代萬代ちよよろずよに動きなき
もとい定めしそのかみを
仰ぐけふこそ楽しけれ

――唱歌紀元節」三番――

 

 

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