穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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粘膜の発狂 ―傍迷惑な生殖活動―

 

 粘膜で春の到来を実感する。より正確を期するなら、鼻孔と眼球の粘膜で。
 この痒さ、この鼻水の量、炎症を起こしているのは明白だ。今年もついに、地獄の季節が来やがった。何箱のティッシュペーパーが消費されることになるのやら、考えるだに気が沈む。

 

 昔はこうではなかったのである。少なくとも小中学生の時分には、花粉が黄色い靄の如く濃密に飛散している真下にあっても健康上何らの支障もきたさなかった。若葉芽吹き生命萌え出づる季節なりと、無邪気に春の訪れを喜んでいられた。


 ところが悲劇は唐突に。二十歳の峠を越すか越さないか、たしかそのあたりの筈である。
 とにかく突然、我が肉体の免疫機能は花粉に対してまったく無用な攻撃精神を発揮する仕様と化してしまった。
 花粉症の発現である。以来、私は春が近付くたびに陰鬱な、呪わしい気分に鎖され、地上から杉という植物が絶滅するのを半ば本気で願うに至った。

 

 ああ、本当に忌々しい。なんと傍迷惑な生殖活動であることか。やめろやめろふざけるな、去勢したいぞ子孫をつくるな畜生め。

 

 自分で自分が何を書いているのかわからなくなる。鼻が詰まって脳の働きが鈍った所為だ。つまりは花粉だ、何もかも花粉が悪いのだ。
 人間の精神が肉体的条件によって如何に激しく左右されるか、しみじみ実感させられる。日頃偉そうなことを言っていたって、いざこうなると憐れなものだ。

 

 

 

 昔の人は大抵腹にサナダムシを飼っていて、そちらの対処に免疫機能が忙殺されていたがため、花粉症なぞ全然無縁でいられたと云う。


 人糞を肥料に使っていた時代の話だ。


 未来の食物の上に糞をぶちまける嫌悪感を超克した中世日本人の合理精神は称賛するに値する。


 だからといって寄生虫との共生まで見倣うというのはどうなのだ。ちと極端に過ぎないか。そも、尻の穴から紐が出るのと、顔面を涙と鼻水まみれにされるのと、まだしもマシなのは実際問題どちらであろう。
 悩ましい。悩ましいが、排便の時だけ不快さに堪えればよいのなら、前者にこそ旗を挙げるべきなのか――?

 

 知ったことか。そんなもの、どちらも等しく碌でもないに決まってる。
 ああもう、頭の中まで花粉に犯されやがったか。支離滅裂もいいところだ。書けども書けども、何一つとして纏まらない。思考が像を結ばないのだ。確かなのは、鼻のかみ過ぎで皮膚が破れてずきずきする、この痛みだけだちくしょうめ。

 

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