穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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「幻華在目十四年」 ―秋田小町と犬養毅―


 正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。

 

 況や犬養に於いてをや。


 明治十年代半ば、犬養毅は特に招かれ、東北地方の日刊紙、『秋田日報』の主筆として活動していた時期がある。「才気煥発、筆鋒峻峭、ふるゝ者みな破砕せり」とて衆の威望をあつめたものだ。

 

 

(秋田のなまはげ

 


 それと同時に土地の名歌妓・お鐵にめちゃくちゃ入れあげて、交情熱烈大紅蓮であったのも、蓋し有名な逸話はなしであろう。


 明治の青年たちにとり、艶彩迷酒の歓楽はほとんど通過儀礼の一種。酒で腸を焼き鉄拵えにするのと一般、娼妓おんなの肌に触れてこそ、志は磨かれる――と、大真面目に主張したとて誰も不審に思わない、大仰な倫理問題を惹起せずに赦される、そんな雰囲気、空気であった。


 よって犬養木堂の、やがて大日本帝国の首相にまで登り詰めるこの人物の秋田時代の行状も、不真面目なりと責められるには及ばない。後ろめたさを感じる必要性もなく、大いにやったようだった。

 

 

(秋田の女性)

 


 斯くて結ばれた両者の仲は甚だ深く、また固く。


 昵懇と呼ぶに些かの躊躇も挟むに及ばないもので、最大の試練、時の流れに対してすらも二人の絆はよく耐えた。


 それを示す佳話がある。


 犬養毅が秋田を去って十数年後が、すなわち舞台背景だ。


 中央で声価を稼ぎまくった犬養は、もはや一介の書生にあらず、堂々たる政客に羽化変身を遂げており。


 在野大政党の領袖として東北地方を行脚演説する途上、自然な流れで秋田に入り、主筆時代の旧交を大いに温め合っている。

 

 

The Akita Sakigake, headquarters 04

Wikipediaより、秋田魁新報社

 


 もちろん嘗ての「想いもの」たるお鐵とも、顔を合わせる機会をもった。


 その席上で、犬養は漢詩うたを詠んでいる。


 極めて私的なその漢詩うたを、他人の寝所をこっそり覗き見るような後ろめたさを覚えつつ、しかし、やっぱり、それでも敢えて、以下に掲げて置きたく思う。

 

 

憶昔曼陀羅坊中選
阿鐵才色名最顕
満城少年競豪奢
不愛千金買一眄

 

吾會一見如舊知
為吾慇懃慰客思
尚記旭川春雨夜
又記池亭別離時

 

雲山重々路萬千
幻華在目十四年
如今相見先恐問且答
不禁為汝靑衫濕

 

 

Inukai Tsuyoshi

Wikipediaより、犬養毅

 

 

 犬養毅人間性


 世に立つ上でひどく大事な「情味」の部分に触れられる、好個のエピソードであった。

 

 

 

 

 


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ハミガキ、エンピツ、子規の歌


「歯の健康」


 蓋し聴き慣れたフレーズである。


 口腔衛生用品なんぞの「売り文句」として日常的に耳にする。


 あまりに身近であり過ぎて、逆に注視しにくかったが――どうもこいつは相当以上に年季の入ったモノらしい。

 

 

 


 具体的には百五十年以上前。維新早々、明治五年の段階で、大衆の目に既に触れていたようだ。


 そのころ東京赤坂で輸入雑貨を扱っていた斎藤平兵衛なる者が、「独逸医方西洋歯磨」なる商品に関連し、こんな広告を出している。曰く、

 


「我国従来の歯磨は房州砂に色香を添、唯一朝の形容のみにて歯の健康にわるし。抑此歯みがきは西洋の医方にして、第一に歯の根をかため、くちげんぜうごかざるを薬方の効験とす」

 


 云々と。


「医学の本場はドイツ」という認識の、はしり・・・のようでもあったろう。


 この歯磨き粉は瓶詰めで、大・中・小の三種に分かれ、


 大が十三匁入り、


 中が十匁入り、


 小が五匁四分入りとの次第であった。

 

 

 

(viprpg『メビリナのホワイトデー』より)

 


 なお、ついでながら、せっかくなので、歯磨き絡みで付け足すと、明治二十九年度に正岡子規が詠んだ句に、

 


春風に こぼれて赤し 歯磨粉

 


 こんな一首が見出せる。


 当時、いまだに練り歯磨きは――少なくとも現代人が咄嗟に言われて想起する、チューブ入りの練り歯磨きは――未登場。歯磨き粉とは文字通り粉状の品ばかりであって、それは専ら、薄紅色になっていた。


「この句を味ふのには、それだけの予備知識を要する」――とは、森銑三がその大著、『明治東京逸文史』で言ったこと。歌は背景を踏まえて観賞むとまた格別な味がする。なんのことはない、史跡めぐりと同様だ。

 

 

 

 

 もうちょっと蛇足を加えたい。


 広告文で感心したのは、なんといっても真崎鉛筆それ・・である。


 本邦鉛筆工業の嚆矢たるの名誉を担ったこのメーカーは、明治二十八年に、

 


「真崎鉛筆は広島大本営の御用を蒙り尚従軍記者の御用を蒙れり、又先般貴族院御用を蒙り貴衆両院の賞讃を博し又逓信省より絶へず数十万本の御用を辱しつゝあり、是実に内国製品中第一等の証拠なり」

 


 折からの日清戦争勝鬨に乗じた、こんな広告を打っているのだ。


 流行りを上手く捉えたものといっていい。


 文章自体の質の方とて上々である。


 諭吉先生の教えに曰く、

 


広告文は達意を主とす。余計なる長口上は甚だ無用なり。他人に案文を依頼せぬ自筆の広告文の中には、時に由り文法にも適はぬ悪文もあるべしといへども其意味の分らぬ様の事は決してなきものなり。意味さへ分れば、其文法の可笑しき抔は、自ら其中に其人の率直淡白敢為の気象を示して、却て衆客の愛顧を引寄するものゆゑ、決して恐るゝには足らざるなり

 


 真崎鉛筆の広告は、まさに如上の「率直淡白敢為の気象を示」す類と、筆者わたしの目には映るのだ。

 

 

 


 宣伝術、広告法の秘訣に関し、福澤諭吉は更に続けて、

 


「唯広告文を認むるには一通り我思ふ儘を書き下したる後、今一度熟読して無用の字句を削り去るべし。六行のものは必ず五行にて済むものなり。一行にても少なければ夫れ丈の新聞広告代を省き得べし」

 


 自分自身新聞社を経営しながら、しかも当の新聞紙上でこういうことを――「冗長さは慎んで、なるたけ安く済ませ得るよう励もうぜ。新聞社へのショバ代は、一銭でも切り詰めろ」――言うから凄い。「三田の洋学先生」は、ほとほと自由な人だった。この精神はやはり新聞経営者でありながら「押し紙」事情を暴露した、武藤山治の血の中に、もっとも色濃く受け継がれたといっていい。


「人を祭るの要は其人の志を継ぐに在り」慶應義塾の、実に麗しき伝統だった。

 

 

 

 

 


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無効票に和歌一首


黒白を 分けて緑りの 上柳
赤き心を 持てよ喜右衛門

 


 投票用紙に書かれた歌だ。


 もちろん無効票である。


 明治四十二年九月に長野県にて実行された補欠選挙の用紙には、とにかくこのテの悪戯が、引きも切らずに多かった。

 

 

(信州諏訪の風車。「これは地下のアンモニア水を汲みあげ稲田に引いてゐるので、この地方を旅する者の旅情をそそる」。大正末には百個以上も立っていた)

 


 当選したのは、上柳喜右衛門


 12代続く酒屋のあるじで、無効票には明らかに、それを揶揄ったやつもある。

 


飲まれても 酒屋なりけり 上柳

 


 まず以って、この一首が例としては適当か。


 候補者氏名を書く欄で大喜利を展開する阿呆は、こんな頃から居たわけだ。


 大正デモクラシー以前、選挙は当然、制限選挙。十八歳以上の国民すべてが有権者など思いも寄らぬ。満二十五歳以上の男子に加え、直接国税十円以上を一年間に納めなければ貰えない、斯くも貴重な代物を、よくまあ無為に出来たもの。大胆と言えば、なかなか大胆な遊びであろうが。


 あるいは勝者が分かりきっているゆえの、捨て鉢的な抵抗ないし嫌がらせだったやもしれぬ。

 


雲を平らげ降旗捲かす、
独り舞台の上柳


雨風も なくて気楽な 上柳
独り舞台で 心喜右衛門


妥協から 出るも幽霊 上柳
身を降旗の 恐れ喜右衛門


軍門に 降旗掲ぐも 是非もなく
元太を問へば 金のなきゆゑ

 


 このあたりを窺うに、どうもロクな対立候補が存在しないか、資金調達が捗らず、立候補すら覚束なかった気配がにおう。


 端から結果は見えている、出目の決まったサイコロ勝負、真面目にやるのも馬鹿くさい。


 已むを得ざる人情として、一定の共感は得られよう。

 

 

 


 剥き出しの悪意――歌に昇華される前、原料そのまま、素材の味を、投票用紙にぶちまけた、粗忽野郎も居たようだ。

 


「涜職院収賄呑六居士アーメン」――やはり酒屋にかこつけたに違いない。


「御茶にもならない選挙」


「何と書いていゝか更に分らぬ」――だったら白紙のまま出せや。


「今度に限り一文にもなり申さず候」


「妥協たァなんだべら棒め! 皆んな金だ無警察」

 


 総じてえらい剣幕である。

 

 

(viprpg『みそげ!やみっち!』より)

 


 南と北とで角突合って、屡々血を見る争いをする、信州人の気質というのをよく表徴しているだろう。


「日本の政治は何度やっても結局源平・・になっちまう」


 そう呟いて肩を落とした尾崎行雄の心境に、ちょっと共感シンクロできそうな、つまりそんな景色であった。

 

 

 

 

 


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紀州伊都郡、柿の村


 およそ七秒。


 紀州伊都いど四郷しごう村のなにがしが、柿の実一個を丸裸にする時間であった。


 特殊な器具は用いない。ごくありふれた包丁一本のみを頼りに、十秒未満でくるくると、柿の皮を剥きあげる。


 ひとえに神技といっていい。


 人間の手は、指先は、これほど精緻に動き得るのか。


 機械顔負け、残像さえも伴いかねない俊敏ぶりに、見物に来た誰しもが息を忘れて見入ったという。

 

 

 


 ――わたしゃ四郷の柿仕の娘、着物ぬがれて白粉おしろいつけて、華の浪華の祝柿。


 大正・昭和の昔時に於いて近畿地方で口ずさまれた上の里謡の「柿仕」とは、まさにこうした早業を体得済みな村人どもを指したろう。


 見物客には、ジャーナリストの影もある。


 新聞に、雑誌に、はたまたラジオの台本に。――彼らが走らせたペンにより、四郷村の勇名は徐々に四方よもへと広まった。


 過去に幾度か触れてきた、下田将美なぞもまた、そうした宣伝者の一人いちにんとして数え入れていいだろう。


『大阪毎日新聞の禄に与るこの記者は、まず四郷村の沿革を――この地に於ける串柿作りが今に始まったことでない、遠く寛永、江戸時代開幕初期にまで遡り得る伝統産業であるのを明かし、更に続けて、

 


「歴史が古いだけにその製造方法も組織も大分現代ばなれがしてゐる。秋になって満山の柿の木が累々と実を結ぶとどの家でも柿もぎに忙はしい。もがれた柿は山のやうに積上げられる。柿は皮をむいて干されるのであるが、柿むきは全村の共同作業となってゐる。息子も娘も庖丁一本もって集る、大勢の柿むきは今日は誰の家、明日は誰の家と順々に各戸を尋ねて柿むきにかゝる。
 昔はかうした柿むきの人達にはもともと村の共同作業であるのだから、仕事の合間に餅でも馳走してやればいゝことになってゐたさうであるが、今日ではさすがにこの長閑な風習は続かず柿いくつで何銭といふ賃金制が多くなってきた

 


 斯くの如き情景を、その紙上にて書き表したものだった。


 文明はやはり、人の性根をすれっからし・・・・・・に導くらしい。

 

 

鏡餅 (4296045959)

Wikipediaより、鏡餅

 

 

 ちなみに今更感が強いが、そも串柿とは何ぞやというと、正月祝いの飾り物。


 鏡餅に添える目的の品であり、かっ喰らうにはあまり向かないとのことだ。

 

 

 

 

 


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暑気払いの私的撰集


 詩歌の蓄積が相当量に及びつつある。


 ここらでまとめて放出したいが、なにぶん折からの猛暑であろう、見事に脳が茹だりはじめた。


 頭蓋の中で創意が融ける音がする。


 お蔭でロクな前口上も浮かばない。エエイまだるっこしい、こんなところで何時までも足止め喰らっていられるか、さっさとおっぱじめちまおう。

 


忍ぶ此の身の手拭とりて、
月に着せたや頬冠り

 


 まずはこれ、高杉晋作の都々逸である。

 

 

 


 逃亡生活中にでも詠んだのだろうか? 作者が作者であるだけに、背後を探ってみたくなる。

 


井戸のかはづとそしらばそしれ、
花も散り込む月もさす

 


 頼山陽のこの句には、

 


井の中も 住めば蛙の 都哉

 


 誰の作ともわからない俳句一首を添えておく。

 

 

 


他人恐ろし闇夜は怖い、
親と月夜はいつも好い

 


 わけのわからぬ動機の凶行、理屈に合わぬ微罪処分が相次ぐ昨今、なかなか他人事でない。

 


世間渡らば豆腐の様に、
豆で四角で柔らかに

 


 それが叶えば結構至極なことだろう。が、

 


招く蛍は手元へ寄らず、
払ふ蚊が来て身を責める

 


 世の中そうそう注文通りに運ばぬものだ。

 


どうにもならぬと知ってる無理が、
どうにかしたいとあせる愚痴


男一貫胸一杯に、
有っても泪は見せぬ意地


さびしからうが山ほとゝぎす、
泣くな月夜に雲が出る

 


 苦の味の滲みたものとして、上の如きは気に入っている。


 所詮浮世は痩せ我慢の連続と、そう思わせてくれるから。

 

 

Cuculus poliocephalus

Wikipediaより、ホトトギス

 


金に飽かせて迎へた妻に、
金を生むよなためしゃない


小指切るとは当座のことよ、
金が無くなりゃ手迄切る

 


俚諺は大衆の承認を得た国民的体験である」とは、さる英国紳士の言葉であった。


 銭の切れ目が縁の切れ目。つまりはそれだけ実際に切られた奴が居たわけだ。


 色香に迷った挙句の果ては、身代限りと相場が決まっているだろう。

 


美しい 貧乏神に 気がつかず


酒酌んで 三味線ひいて 気を奪ひ

人を取り食ふ 鬼の多さよ


蟲も殺さぬ笑顔の中に、
鬼も大蛇も棲むさうな

 


 ここぞという時、悪魔はみな優しいのだ。

 

 

(『サイバーパンク2077』より)

 


正月を 馬鹿で暮して 二月哉


生者必滅これ見て知れと、
教へ顔なる雪達磨


油断する間に頭は禿げる、
頭光って身は錆びる


お正月とて油断はおよし、
又も来るぞえ大晦日

 


 うわあああああああああ!


 信じられない、信じたくない、冗談だろう夢であれ、2023年が、もはやとっくに半分以上終わったなどと――。

 

 

 


 光陰矢の如し、時の流れが早すぎる。


 暑さに挫けて気を抜いている場合ではない。二度と還らぬ今日この日、一分一秒、有効活用しなければ。

 

 

 

 

 


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あゝ満鉄


 日高明義は満鉄社員だ。


 実に筆まめな男でもある。


 連日連夜、どれほど多忙な業務の中に在ろうとも、僅かな時間の隙間を見つけて日記に心象こころを綴り続けた。


 それは昭和十二年七月七日、盧溝橋に銃声木霊し、大陸全土が戦火の坩堝と化して以降も変わらない。

 

 

 


 日中戦争の勃発に伴い、「特殊輸送」の名の下に、満鉄社員も大々的に動員された。祖国の軍旅を補佐し円滑ならしめんがため、多くの社員が長城を越え大陸本土に馳せ向い、言語を絶した苦闘に直面したものだ。


 破壊された線路の修理に赴いて、伏兵による機銃掃射を浴びるなぞはザラであり。


 食糧の欠乏、資材の払底、衛生不良、言語不通――ありとあらゆる悪条件がのべつ幕なしに彼らの身を打ちすえて。開戦から二年弱、昭和十四年四月の段階で既にもう、殉職した満鉄社員は五百名を突破するの惨状だった。


 日高明義の日記にも、鬼の炮烙で煎られるような極限状態の辛酸が、「一睡もせず且つ激務」とか「暖かい飯でも食ひたいがそれもできず」とかいった言葉によって如実に表現されている。

 

 

(満鉄社員の墓標)

 


 そういう窮境下にあって、

 


八月十一日(晴)
 昼頃から腹がチクチク痛みだした。ビオフェルミンを飲み懐炉を入れる。夜になって寸時良いやうだが多忙のため寝る暇がない。午前二時まで起こされてゐる。総站に来てから丁度十日目、毎日睡眠不足のため目は充血し痛む。小便の色は白くなることがない。満鉄社員の首に百円の懸賞がかゝったといふ話だ。首は惜しくないが少し安いと大笑ひした。
 駄句一句 百円の首を並べて夕涼み

 


 まだこれだけの気勢を張れるということは、尋常一様の器量ではない。


 肝っ玉が練られているにも程がある。どうすればこんな人間性形成つくれるか、ほとんど想像の外だった。


 やはり教育が違うのか。よほど指導に宜しきを得た結果であろう。幼少期から入念に研磨されたと見るべきだ。満鉄は社員採用に、単に才覚のみならず、人品もまたしっかりと考慮に入れていたらしい。

 

 

The mark of South Manchuria Railway

Wikipediaより、満鉄社章)

 


 ところが精神より先に、肉体の方が参りはじめた。日高の腹痛、小康は得ても根治に至らず、折に触れては悪化して、ために屡々下痢となり、肛門が荒れ、遂には痔をも病んでいる。


 それでも日記を書くのを止めない。


 一種の執念すら見える。

 


八月十七日(火) 晴
 昨夜来の痔病が大分痛むので北寧医院救護班にて治療をうく。入院をすゝめられたが輸送が終るまでは頑張らねばならんので薬を貰って帰る。乗務員の任業時間東站豊台間百四十粁であるが単線運転のため輻輳してゐるので片道十二時間くらゐより甚しきは二十四、五時間を費すので疲労と空腹に困ってゐる。

 


 なんという男であったろう。


 願ってもない大義名分、医師の勧めに従えば、殺人的な激務から一時なりとも解放される。デスゾーンで酸素ボンベにありつくような福音にも拘らず、しかし日高は、敢えてそれを選ばない。


 いったい何が彼をそうまでさせるのか。


 責任、義務感、連帯意識、滅私奉公、不惜身命? ……そういう紋切り型の言葉では、なにやら、こう、徒に上っ滑りするばかりであって、核心に喰い込めている気がしない。


 日本人が名実ともに日本人をやってくれていた瀬戸際と、うまく言語化できないが、しかしそういう実感だけが切々として胸を圧す。

 

 

 


 しかし十日後、すなわち八月二十七日、早朝厠に赴いて用を足すなり、さしもの日高も蒼褪めた。


 便に混じって大量の血がぶちまけられていたからである。


(これはまずい)


 と、便壺を満たす夥しさに俄然危機感を煽られて、その日のうちに病院を訪ね、みっちり検査を受けている。


 診断が下った。


 病名、大腸カタル。有無を言わさず入院である。「当分入院し下剤をかけられた」と、病床にてなおも書く。

 


八月二十八日(土)
 朝七時厠へ行く。血便出る。昨日からの下剤のため歩行困難となった。


八月二十九日(日) 晴
 石川君の見舞をうく。元気がないので話をすれば疲れる。総站待機の社員多数病院附近の仮宿舎に入ってゐる。元気な姿を見ると羨ましい。


八月三十日(月) 晴
 無風快晴誠によい天気だ。寝てゐるのが惜しい気がする。北寧医院も今日から開始するらしい。


八月三十一日(火) 雨
 朝から雨で鬱陶しい。今日は下剤を止めて初めてみる便通である、余り良くない。食物が支那料理のためであらう。腸の悪いのに支那料理は誠に苦手だが致し方がない。恐る恐る少しづつ食べることにする。


九月一日(水) 晴
 同室の同病患者は頻りに便の相談してゐる。即ち「君の便は良いから乃公にもくれ、そして早く退院しようではないか」笑話ではあるが笑話としては聞き逃せない。何時までもこんなにしてゐては同僚に済まんといふ切実な気持だ。

 


 ああ、ちくしょう、日本人だ。


 あまりに日本的すぎる。しつこいようだがこれ以外、どんな感想も浮かばない。南満洲鉄道会社、当代きってのエリート集団。なるほど確かに大日本帝国の「上澄み」たるに相応しい。遡ること三十余年、日露戦争の最中に於いて発揮され、フランシス・マカラーを驚嘆せしめた異様なまでのあの意気を、彼らは確かに受け継いでいた。

 

 

 

 

 

 

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ひいばあちゃんの知恵袋・後編


 頭は冷えた。


 再開しよう。

 


鋸屑おがくずを濡らして固く搾り、箱に入れて、伊勢海老をその中に埋め、暗いところにおくと、一週間くらゐは、生きたまま保たせることができます。新年など、かうしておくと重宝です。

 


 冷蔵技術の未熟な時代の工夫であった。


 人間にとっては重宝だろうが、伊勢海老にとってはどうだろう。狭っ苦しい箱の中、身動きもならず、鋸屑まみれで閉じ込められる心境は。「いっそ一思いに殺ってくれ」と懇願するのではないか。それに対して人間は、「やだよ、殺っちまったらお前、途端に腐り出すじゃあねえか、俺の迷惑も考えろ」と答えるわけで……。


 いかん、動物愛護団体の口吻みたくなってきた。


 ああ、そういえば、「海老を煮るのは動物虐待」と言い出したのは、この頃の合衆国が嚆矢だったか。

 

 

 

 

〇家畜を肥満せしむるには、亜麻仁油滓渣かすを以て飼養すれば最も宜しいので、西洋各国では非常に貴重しておりますが、我国では亜麻仁油の製造所がないから、随って滓渣を得ることが出来ません。然し若し亜麻仁三合に対し水一升の割合を以て二十分許りも煮沸し、殆ど半流動体の粘液として与ふれば、脂肪層を増加し、肉質を肥満し、乳牛ならば乳汁の分泌を増加し、又病畜ならば其の恢復期を早からしむるの効があります。

 

〇豚には粗製糖を日に百匁乃至二百匁づつ与へれば、大いに肥満するものです、一体豚は砂糖を好むものでありますから、糖分を含んだものなら何でもよく、就中牛乳の酸敗せるを、水を搾って粕だけ与へれば最も効顕があります。

 


 酸敗牛乳の搾り粕――。


 ヨーグルトの出来損ないみたようなのを想像してみる。


 何でも喰うのが家畜としての、豚の優れた点である。脱脂粉乳や砂糖で豚を肥やすのは、現代でも幅広く採られている手法だそうな。

 

 

(鹿児島の豚)

 


〇玉子の黄身を以て頭部を洗へば、毛髪を柔にし恰も絹の如き光沢が出ます、又頭垢ふけを去るのにも最も軽便なる方法であります、世間には白身の方が有効で、黄身は効の無いものと思っておる人もありますが、これは全く反対で、白身は左程効能のあるものではありません。

 


 これまた今でも実践者のいる知恵だった。


 もっとも卵の値が吊り上がり、一躍「高級品」の仲間入りを果たしつつある今日こんにちの事情、それを洗髪に具するなど、庶民感覚からすれば以ての外の贅沢行為、敷居の高さが百年前より上昇していかねないのが、なんともはや。

 

 

 


〇俎板なり皿なりに脂のついたのを取るには糠でこすって沸湯をかけると綺麗に取れます。


〇蛤の貝柱の容易にとれる様にするには、煮るとき米を七八粒入れるがよい、奇妙によく取れます。


〇玉子の殻を蔭干にし、後薬研で粉末にして、之れに米糠を混ぜ、洗粉に用ゆる、普通の洗粉よりはずっと上等です。

 


 米の力を引き出すことに余念がない。


 流石日本人、稲作の普及を以ってして「王化」と為した民族のすえなだけはある。

 

 

 


〇オリーブ油、糖蜜及びランプの油煙を等分に混じたるものを塗れば、古き色の剥げたる靴も、光沢を発し、新しい靴のようになります、此法は普通靴墨として用ゆるにも最も適しております。


〇樟脳、蓮、茴香、紅花を各々二匁づゝに、アルコールをたっぷり入れ、密封してしばらくおくと、各々の精分が滲出され、エキスができます。これを、肩が凝ったやうなときに、筆につけて塗りますと、凝りもれるものです。

 


 このあたりで、まあ、ざっと、並べるべきは並べ終わった。


 だがしかし、もののついでだ、せっかくなので最近やっていなかった、名歌の列挙もやらせてもらおう。

 


〇ちらす心かアレまあ憎い、春の夜中の仇あらし


〇すねた姿も常盤の松の、操たゞしき春のいろ


〇蚊帳を出てから又見る寝顔、かうも床しくなるものか


〇来るか来るかと待たせておいて、外へそれたか夏の雨

 

 

 


〇しのび足して閨の戸あけて、そっと立ちぎく虫のこゑ


〇末を思へば夜はしんしんと、こゝろ細さや秋の月


〇袖のうつり香まだ消えぬのに、かうもあひたくなるものか


〇諦めましたよどう諦めた、諦められぬと諦めた


〇ぬしは今頃さめてか寝てか、おもひ出してか忘れてか


〇末に添ふとはそりゃ知れたこと、今が逢はずに居られない

 

 

 


 すべて都々逸。艶冶な句を多く集めた。


 情緒纏綿、心に滲みる、歌い継がれるべきである。

 

 

 

 

 


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