穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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非常時に於ける詩人の貢献

十徳の一つ、「毎號大家の傑作を満載するキング」そのままに。 「非常時国民大会」は少なからぬ文化人の力添えあって完成している。 それは漫画家のみならず、詩人もまた同様だ。 北原白秋、篠原春雨、土井晩翠、川路柳虹――実に豪華な顔触れである。 折角な…

日立造船所の苦闘 ―松原與三松の鐘―

鐘一つ売れぬ日もなし造船所 戦後まもなくの日立造船所を題材にした歌である。 宝井其角の古川柳、 鐘一つうれぬ日はなし江戸の春 を、あからさまにもじった(・・・・)ものであるだろう。 それにしても何故(なにゆえ)に、造船所が鐘など鋳ねばならぬのか…

三四半世紀 ―75年目―

八月十五日である。 多くは語るまい。 ただ、この日にこそ開くに相応しい本がある。 以下を縁(よすが)に、共に先人を偲んでくれればありがたい。 身はたとえ南の孤島に朽ちるとも永久に護らん神州の空義烈空挺隊 新藤勝 何時征くか何時散るのかは知らねど…

ますらをの真心こめて一筋に ―原田二郎の積み上げたもの―

嘉永二年というから、黒船来航のざっと四年前のこと。 紀州藩士原田清一郎の長男として、原田二郎はこの地上に生れ出た。 維新後東京に出て洋学を修め、頭角を現し、やがて大蔵省の官僚に。銀行課に奉職するうち、同じく紀州出身の大実業家、岩橋轍輔に見出…

偉大なる勝利のために ―続々・ドイツ兵士の書簡撰集―

前線に在る多くの兵士が認めることを余儀なくされた。 戦争は変わった、という事実を、である。 ハンス・ブライトハウプトもまた、高い授業料を支払って、教訓を得た一人であった。 私たちははじめは、ほとんど子供のやうに真正直に正攻法によって攻撃しまし…

理想家の条件 ―尾崎行雄と新聞のジンクス―

尾崎行雄にはジンクスがある。この男が筆を揮うと、その新聞社は潰れるか、少なくともその寸前まで行ってしまうというジンクスが。 例外は、新潟新聞ぐらいのものであろうか。後は大抵、悲惨な目に遭っている。 朝野新聞は完全に滅亡してしまったし、報知新…

ブロガーバトンを受け取って

つい昨日のことである。 『もったいないブログ』を運営していらっしゃるscene"シーン"(id:scene-no-mottainai-blog)さんからブロガーバトンをいただいた。 www.scene-no-mottainai-blog.com 荘厳なる自然の眺めや美しき日本の原風景を鮮やかに切り取った紀行…

忘れ去られた農村歌

田舎の夕暮 見渡す限り遥々と、田の面(も)の草も朽ち果てゝ、独り残りし尾花さへ、今は影だになかりけり 残り惜しげにたゆたひし、夕日の影も今は早、明日のあしたを契りつゝ、彼方の山に隠れけり 今日の餌にや飽きにけん、三ツ四ツ二ツ後や先、産土神(う…

安政の大獄前夜譚 ―腥風―

その日(・・・)に先立ち、堀田正睦以下幕府側の面々は乾坤一擲の大勝負に出た。 もはや通常のやり口では条約勅許の一件を引き出すことは不可能と断じ、思い切って極論をぶつことにしたのだ。 具体的には、ここで条約を拒否しようものならたちまち戦争、国…

安政の大獄前夜譚 ―九条関白の変節―

結果から先に言ってしまえば、堀田正睦は敗北する。 必死の周旋もとうとう実を結ばずに、林大学頭と同様、空手で京を去らねばならない破目になる。 しかしながらそこに至るまでの道筋は、決して平坦なものでなく、紆余曲折、起伏重畳せしものだった。 ある時…

安政の大獄前夜譚 ―京の魔窟化―

幕府が如何に上方を軽視しきっていたかについては、勅許もまだ得ていないのに、いそいそと条約調印の日取りを決めてしまっていたという、この一事からでもよくわかる。 彼らにしてみれば、それは規定事項以外のなにものでもなかったのだ。 ――長袖者流ふぜい…

大震災にまつわる川柳

権兵衛のやがて耕す焼野原 五七五の定型的に考えて、公称である「ごんのひょうえ」よりも「ごんべえ」と読むのが正しかろう。 言うまでもなく、関東大震災の翌日に組閣された第二次山本内閣を題材とした川柳である。 (Wikipediaより、山本権兵衛) 以前にも…

石黒忠悳の座談術 ―「兵役逃れ」への対処―

義務はなるたけ回避して、権利は最大限に主張する。どうもそれが、近代式の「賢い生き方」というヤツらしい。 さる子爵の一門も、ご多分に漏れず賢明に生きようと心がける人々だった。 この家の次男坊の年齢が、もうじき二十歳に達せんとした秋(とき)であ…

シュプリューゲンの雪崩決闘 ―岐阜の地震に思うこと―

真っ白な瀑布が山襞を滑り落ちてゆく――。 昨日13時13分、岐阜県飛騨地方深さ10㎞を震源として発生した地震。マグニチュード5.3のエネルギーは隣接する上高地の山体を揺さぶり、数ヶ所に渡って雪が崩れた。 あの映像を見て、ひとつ思い出したことがある。 溯…

家康公と東郷元帥・後編 ―猛火を防いだ物惜しみ癖―

吝嗇――物惜しみする心の強さも、東郷は家康に劣らなかった。 たとえば菓子や果物の類を贈られたとする。受け取った東郷、箱を捨てないのはもちろんのこと、その箱を覆っていた包み紙や、あまつリボンの一本までをも、破らないよう注意深く取り外し、皴をのば…

与謝野夫妻と山本実彦 ―屏風の歌に在りし日を偲ぶ―

晩年、渋沢栄一は、「論語」を書きつけた屏風をつくり、その中で寝起きすることを何よりの愉快としたらしいが、改造社社長、山本実彦も似たような逸話を持っている。 彼の場合、屏風に墨を入れたのは、与謝野鉄幹と晶子の夫妻に他ならなかった。 (左から、…

銀座久兵衛と鮎川義介

戦時中、鮎川義介が面倒を見ていた呑ん兵衛は、実のところ伊藤文吉のみでない。 今田寿治(ひさじ)という寿司職人も、銘酒「白鹿」の恩恵にあずかっていた一人であった。 そう、日本きっての高級寿司店、「銀座久兵衛」の創業者たる彼である。 久兵衛は酒が…

鮎川義介漢詩撰集

元日産自動車株式会社役員という繋がりゆえか。 衆議院議員・朝倉毎人が鮎川義介を題材に編んだ漢詩は数多い。 (朝倉毎人) その中から特に秀逸と感じたものを得手勝手に抄出すると、大方次のようになる。 雲煙飛躍満華箋描出毫鉾画裏仙餘技義翁能若此朝昏…

鮎川義介、危機一髪 ―日比谷焼打ち事件の火の粉―

歴史を揺るがす大事件に、なにかと際会しがちな人物だ。 鮎川義介のことである。 日比谷が焼けた現場にも、この人はいた。最前列で見物していた。 ポーツマス条約の内容が報道されてからこっち、 ――こんな馬鹿な条件があるか、屈辱もまた甚だしい。 ――十万の…

祇園、春の夜、夢うつつ

春寒の花見小路は灯しけり 長田幹彦の歌である。 未だ電車も通らねば、電柱の一本も立っていなかった嘗ての祇園。桜舞い散る春の夜、闇の黙(しじま)を仄かに照らすは篝火と、煽情的な赤提灯ばかりであって、詩情を掻き立てること無限であった。 宛然画中の…

リアル『ドグラ・マグラ』 ―式場隆三郎のコレクション―

18世紀のイギリスで、その紳士はちょっとした名物男として名を馳せていた。 グローリング卿と呼ばれるその人物を一躍紙上の人としたのは、彼が極端な女嫌いという、その天性の性癖による。 いや、その烈しさは「嫌い」などという微温的な表現で済まされるよ…

『母国印度』 ―志士ラス・ビハリ・ボースの詩―

東恩納寛惇の『泰 ビルマ 印度』を読んでいて、ちょっと気になったことがある。 インド亜大陸を紀行中の東恩納の想念に、しばしば「ボース」という名が登場するのだ。 釈迦の時代から変わらず――否、下手をするとそれ以上の酷烈さで――運用されるカースト制度…

表札盗み三奇譚 ―樋口一葉、東郷元帥、横山大観―

筆跡に価値を見出す手合いは多い。 古くから後を絶たないといってよかろう。古本なども著者のサインが有るか無いかで、値段に天と地ほどの隔たりが生まれる。 著名人の表札なども、よくこうした好事家たちの興味の対象として上がったものだ。 樋口一葉の日記…

檻の中の鮎川義介 ―大国魂神社の珍談―

その日、鮎川義介は例の空気銃を携えて、小鳥撃ちに興ずべく牛込の自宅を後にした。 大正から昭和へと、元号が移り変わったばかりの話だ。 当時の東京は、今のようなコンクリートジャングルではない。藪も多く残されていて、野鳥のさえずりはずっと身近にあ…

日本国の擬娩事情 ―足利郡の臼担ぎ―

今はもう、すっかり廃れてしまった風習だが。―― ほんの一世紀前までは、南洋に分布する先住民族たちの間で広く行われていた「ならわし」だった。 女性が産気づいたとき、その旦那に当たる人物を鞭やら何やらで手酷く痛めつけることは、である。 特に強烈なの…

正岡子規の妓楼遍歴 ―古島一雄の証言―

正岡子規をして生涯女人に親しまなかった、童貞を貫いた人物だと看做したがる向きが巷間の一部に行われている。マクシミリアン・ロベスピエールとこの明治日本の俳聖を、同じ殿堂に入れたがる動きが。 だがしかし、これは根も葉もなき謬見だ。 (長谷川哲也…

伊藤文吉と鮎川義介 ―血を継承する男ども―

灘五郷の酒「白鹿」については、日産コンツェルン創業者、鮎川義介にもいわく(・・・)がある。 彼にはアル中の親友がいた。 ビール、日本酒、ウイスキー等アルコールなら何でもござれ、一日の摂取量が二升を割ったらおれは死ぬと豪語していたその人物こそ…

酒の肴の禁酒本 ―長尾半平の警告―

銚子の口には狐がすむよコンが重なりゃだまされる 福島県のとある地方に古くから伝わる俚謡である。 一献、二献と酒量の単位を表す「献」と、狐の鳴き声たる「コン」をかけたわけだ。 悪い出来ではない。私はこれを、昭和五年の小雑誌、『禁酒之日本』八月号…

給料自粛の不文律 ―官尊民卑の激しき時代―

このころの「官」が如何に強大なりしかを象徴するエピソードとして、「給料自粛の不文律」が挙げられる。 これがいったいどういうものか。慶応義塾の出身で、実業家にして衆議院議員、波多野承五郎の筆を借りてお目にかけよう。 其頃の三菱や郵船は勿論、日…

日本国の物流史 ―町飛脚誕生にまつわるこもごも―

町飛脚成立の経緯については、なかなか興味深い伝承がある。 折角なので紹介しよう。こんな具合のあらすじだ。 元和元年、家康公が豊臣家を覆滅し、大坂が主を失ったとき。幕府は当然、この政治的にも軍略的にも重要すぎる経済都市を諸侯の手に委ねる真似は…