穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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古書

ハミガキ、エンピツ、子規の歌

「歯の健康」。 蓋し聴き慣れたフレーズである。 口腔衛生用品なんぞの「売り文句」として日常的に耳にする。 あまりに身近であり過ぎて、逆に注視しにくかったが――どうもこいつは相当以上に年季の入ったモノらしい。 具体的には百五十年以上前。維新早々、…

徒花街道 ―仮死を求めた紳士たち―

途中で死ぬのが、永く英人の悩みであった。 羊のことを言っている。 牛と並んで、オーストラリアの名産品だ。 先住民(アボリジニ)を――主にあの世へ――叩き出し、土地を横領、くだんの植民大陸を牧場として整備したのは素晴らしい。 それ自体は上出来だ。 た…

島帝国のニヒリスト

露帝ニコライ一世は身を慎むこと珍奇なまでの君主であって、例えば彼が内殿で履いた上靴は、生涯一足きりだった。 (Wikipediaより、ニコライ一世) むろん、時間の荒波により生地は痛むし穴も空く。しかしながら空くたびに、針と糸とを携えた皇后さまが駈け…

無効票に和歌一首

黒白を 分けて緑りの 上柳赤き心を 持てよ喜右衛門 投票用紙に書かれた歌だ。 もちろん無効票である。 明治四十二年九月に長野県にて実行された補欠選挙の用紙には、とにかくこのテの悪戯が、引きも切らずに多かった。 (信州諏訪の風車。「これは地下のアン…

銃器と大和魂と

伝統とは、ときに信頼なのだろう。 フランスがスエズ運河の開削に、オランダ人らを大挙雇用した如く。 村田銃の量産作業に際会し、明治政府もひとつ凝った手を打った。 玄人衆を引き入れたのだ。 彼らは西南から採った。種子島の鉄砲鍛冶に声をかけ、遥々帝…

明治二十年の外道祭文

非常に意外な感がする。 まさか天下の『時事新報』に、「キチガイ地獄外道祭文」を発見するとは。 不意打ちもいいとこ、予想だにせぬ遭遇だった。 明治二十年三月三日の記事である、 「西洋諸国にては遺産相続の際などに、一方の窺覦(きゆ)者が他の相続人…

Apocalypse Now

「なあ、おい、聞いたか、あの噂」「どの噂だよ、はっきり言えや、てやんでえ」「どうも世界は滅ぶらしいぜ」 こんな会話を、人類はもう、いったい幾度繰り返し交わし続けて来たのだろうか。 千か、万か、それとも億か。たぶん、おそらく、発端は、西暦開始…

真面目な変態野郎ども

日光東照宮こそは、家光の狂信の結晶である。 (日光東照宮 陽明門) 先述の通り、家康をして日本歴史開闢以来、最大・最強・最高の英雄なりと百パーセント心の底から信奉していた家光は、神にも等しい、そういう祖父の、御霊を祀るための廟所は、これまた当…

外圧余談

余談として述べておく。 度を越して過熱した欧化運動、その分かり易い例として、明治十二年一月の日枝神社を挙げておきたい。 同月十五日付けの『東京日日新聞』紙を按ずるに、 「今十五日は日枝神社の月次の祭典なるが、神楽は我が神代より有り触れたるもの…

外圧こそが起爆剤 ―明治人らの相似形―

明治の初め、本格的に国を開いて間もないころの日本に、どやどや上がりこんで来た紅毛碧眼の異人ども。我が国固有の風景を好き放題に品評した彼らだが、こと建築に限っていうと、嘆声を放ったやつはほぼ居ない。 「なんだこの、薄っぺらな紙と板の小細工は」…

獅子のまねごと ―ロッペン鳥奇話―

我が子を崖下に突き落とすのは、ライオンのみに限った習性、――専売特許でないらしい。 「ロッペン鳥もそれをする」 と、三島康七が述べている。 昭和のはじめに海豹島の生態調査をした人だ。 (Wikipediaより、ロッペン鳥ことウミガラス) そう、海豹島――。 …

Linga ―雄の象徴―

昭和十五年十月二十三日、大日本帝国、オットセイ保護条約の破棄を通告。 その一報が伝わるや、たちまち社会の片隅の、なんとはなしに薄暗い、陰の気うずまくその場所で、妙な連中が歓喜を爆発させていた。 猟師でも毛皮商でも、はたまた国際社会のすべてを…

薪の子

アイヌラックル然り、ポイヤウンベ然り。 アイヌの世界観に於いて、雷神はよく樹木を孕ませ、そして英傑を産ましめた。 前者はチキサニ、すなわち春楡(ハルニレ)の樹木から、 後者はアッツニ、すなわち於瓢(オヒョウ)の樹木から、 それぞれ誕生したのだ…

継がれゆくもの

商人の仕事は金儲けだ。 守銭奴が彼らの本質である。 世界に偏在する富を、己が手元に掻き集めること、一円一銭一厘たりとも忽(ゆるが)せにせず、より多く。それ以外にない、ある筈もない。またそうしてこそ、それに徹してみせてこそ、敏腕とも呼ばれ得る…

メキシコ情緒 ―天地殺伐、荒涼の国―

メキシコ。 血に塗(まみ)れた国名だ。 殺人、強盗、誘拐、密輸。拷問、処刑も付け足していい。そして勿論、麻薬もだ。この名前から呼び起こされるイメージは、邪悪を煮詰めたモノばかり。それが正直な心情だ。マラカス振って陽気に踊り、タコスを頬張るな…

続・屠殺街 ―肉食系の中心地―

不思議なものだ。 日本で過ごしていた頃は油絵を長く観ていると陶酔よりもくどさ(・・・)を感じ、濃厚すぎる色彩に胸がむかつくばりであった。 ところがひとたび海外に出て、獣肉を常食にしてみたならばどうだろう。 かつてあれほど不快に感じた油絵が、ま…

栗本鋤雲を猜疑する ―彼の伝えたヨーロッパ―

身を滅ぼすという点で、疑心暗鬼も軽信も、危険度はそう変わらない。 しかるに世上を眺めるに、前者を戒める向きは多いが、後者に対する予防というのは不足しがちな印象だ。「疑う」という行為自体に後ろめたさを感じる者も少なくないのではないか。ことによ…

RAGE ―「千倍にして返すべし」―

いやもう、怒髪天を衝かんばかりと言うべきか。 公使遭難の報を受け、当時滞在中だった英国人らは軒並み色めきたってしまった。彼らの激昂ぶりたるや、予測を遥かに上回る、日本の要路一同を冷汗三斗に追い込まずにはいられない、猛烈無上なものだった。 慶…

血で血を洗う

行き過ぎた精神主義が齎す害を、日本人はきっと誰より知っている。 八十年前、骨身に滲みて味わい尽くしているからだ。「痛くなければ覚えない」。苦痛とセットになったとき、記憶は最も深刻に、脳細胞に刻印される。あの戦敗は、計り知れぬ痛みであった。 …

洋行みやげ ―文久遣欧使節団―

馬のみならず、ロバにも乗った。 福澤諭吉のことである。 文久二年、エジプト、カイロに於いてであった。 咸臨丸で太平洋を往還してから、およそ一年七ヶ月。福澤は再び洋行の機会に恵まれた。幕府の遣欧使節団に選ばれたのだ。幸運でもあり、実力ででもあっ…

馬上風を切る

「ものども、よろしく馬を飼え」 こういう趣旨の「お達し」が、政府の威光を以ってして官吏どもに下された。 明治十七年八月一日の沙汰だった。 世に云う乗馬飼養令である。 内容につき要約すると、 「官員にして月給百円以上の者は最低一頭、 月給三百円以…

相模の水がめ

心如水――心は水に似ると云う。 「堰けば瀑津瀬(たきつせ)、展ぶれば流(ながれ)、澱ませれば水底に雲が行くかと思ふばかりの碧を凝らす深淵となる。淵、瀑津瀬何れを取っても水であると同時に直にそれをもって水を定義することは出来ない。それと等しくか…

三千世界の何よりも

「汝の妻を汝の霊の如くに愛せよ。而して汝の毛皮の如くに打て」「最愛の人の殴打は痛くない」 ロシアの古い諺である。 夫の暴力にさらされないと妻は却ってこれを侮辱と認識し、「不実」となじり、本気になって憤る。あの国の下層社会にはどうもそういう精…

奇妙な肉の舌触り

「…頬は唯々筋肉のみから出来て、笑窪さへなければ、奈良の三笠山の様な平凡極まるものでありますが、例へば庭園の芝生と同じ様に、之が広いか狭いか、又どんな形をしてゐるかゞ目、鼻、口等の道具を引立てるか、見殺しにするかの、重大なる役割をするのであ…

御稜威かがやく地の事情

ちょっと信じ難いような話だが――。 京の街では昭和三年に至るまで、江戸時代が生きていた。なんと牛車が街中を相も変わらず往行し、その巨体が、体臭が、日々の暮らしの風景に、ごくさりげなく溶けていた。 (昭和初頭の京都駅) 牛車といっても貴人が使う、…

追憶・東京日日新聞

『東京日日新聞』の調査に信を置くならば、満洲・ソ連国境地帯はキナ臭いこと野晒しの火薬庫も同然であり、昭和十年と十一年と、たった二年の期間の中に四百を超す不法行為がソ連側から仕掛けられたそうである。 もっともこれはあくまでも、「事件」として表…

語り部、ふたり ―咸臨丸夜話―

咸臨丸の航海は次から次へと不便続出、安気に暮らせた日こそ少ない、冒険というか、苦行であったが。わけても特に苦労したのは、水に関することだった――。 当の乗組士官たる、幕臣・鈴藤勇次郎はそんな風に回顧する。 左様、鈴藤勇次郎。 江川太郎左衛門に兵…

志士の肖像 ―板垣退助、会津戦争の戦利品―

中江兆民は奇行で知られた。 とある酒宴の席上で、酩酊のあまりにわかに下(・)をはだけさせ、睾丸の皮を引き伸ばし、酒を注いで「呑め呑め」と芸者に迫った件なぞは、あまりにも有名な逸話であろう。 その兆民の語録の中に、 「ミゼラブルといふ言葉の標本…

「勝ったものが強いのだ」――ver.1939

数理で全部を割り切れるほど、闘争とは浅くない。 生きて、物を考える、心を有(も)った人間同士が競い合うのだ。番狂わせでも何でも起きる。強さは一定不変ではなく、常にうつろう(・・・・)ものだから。年がら年中、カタログスペック通りに動く機械のよ…

大演説者 ―グラッドストンの六ヶ条―

およそ門外漢にとり、財政演説ほど眠気と倦怠を催すものは他にない。 頭の中にソロバンが入っていない身としては、小難しい専門用語と無味乾燥な数字の羅列がべんべんだらだら、連なりゆけばゆくほどに、意識は白濁、五感はにぶり、阿呆陀羅経でも聴いてるよ…