穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和初頭の日葡関係 ―ポートワインを中心に―

語り手が笠間杲雄でなかったら、きっと私は信じなかった。 彼がポルトガル公使をやっていたころ、すなわち昭和十年前後。 日葡間の関係はしかし、ワインの銘柄ひとつをめぐって寒風骨刺すツンドラ地帯の陽気並みに冷え込みきっていたなどと――鵜呑みにするに…

「無敵の人」を如何にせむ ―情けは人の為ならず―

明治から大正へ、元号が移り替わらんとしていた時分。 東京市の一角で、菓子商人が殺された。 犯人は、被害者の店の元職工。戦後恐慌――日露戦争で賠償金が取れなかったことに起因する、所謂明治四十年恐慌――の煽りを喰っての業績悪化に対処するため切られた…

夢路紀行抄 ―蘇生の代価―

夢を見た。 噛み殺される夢である。 ここのところ、南洋関連の書籍を好んで読み漁った影響だろう。蛮煙瘴雨の人外境が、ものの見事に昨夜の夢寐に再現された。 私はそこで、何かしらの調査事業に携わっていたらしい。 半球型のコテージまで建て、拠点とし、…

南溟の悲愴 ―オランダ人の執拗さ―

彼の運命は哀れをとどめた。 ボルネオ島バンジャルマシンでビリヤード店を経営していた日本人の青年で、西荻(にしおぎ)という、かなり珍しい姓を持つ。 下の名前はわからない。 いつもの通り、「某」の文字で代用しよう。 さて、この西荻青年の店の扉を。 …

チフス菌を団子に包め ―明治末期の殺鼠剤―

流石に我が目を疑った。 今からおよそ一世紀前、明治日本の農家では、ネズミ駆除のためチフス菌を利用していた――そんな記述を目の当たりにした際には、だ。 青木信一農学博士が明治四十四年に世に著した、『通俗農業講話』中の発見である。 そう、『天稲のサ…

瞑想と演説 ―最初の五分の使い方―

何につけても出だし(・・・)というのは重要だ。 演説の妙技は開幕直後の五分間にこそ尽される。 「私はお話をする前に、禅宗の法として五分間静坐を致します」 釈宗演という僧の、これが決まり文句であった。 (Wikipediaより、釈宗演) 冷静に考えればな…

弾丸小話 ―武士の銃創消毒法―

縄を用意する。 川に入る。 傷口に上の縄を通して、ゴシゴシと、激しく前後に運動させる。 貫通銃創を喰らった際の、武士の消毒術だった。 むろん、痛い。 呼吸困難を起こすほど痛い。 目から火花が迸るとはこのことだ。そのまま拷問に転用されても誰も不思…

伝馬船にて特攻を ―人はどこまで闘える―

薩摩隼人はおかしいと、闘争心の権化だと、命の捨て処を弁えすぎだと、近年屡々聞くところである。 勇猛、精悍、剛毅、壮烈――そんな月並みな表現をいくら陳列してみせたところでまるで空しい。 彼らの狂気はあまりに度を越し過ぎていて、言語さえもぶっちぎ…

猛り狂わす瞋恚の炎 ―秀吉による「女敵討ち」―

豊臣秀吉の漁色癖に関しては、敢えて喋々するまでもなく、周知の事実であるだろう。 彼はまったく、女を好んだ。 この傾向は晩年に入ってもなお熄まず、どころかいよいよ拍車がかかり、もはや「好む」の範囲を飛び越え「女狂い」の観さえ呈す。本願寺上人の…

夢路紀行抄 ―機会損失―

夢を見た。 本を探す夢である。 舞台はどこぞの古本屋、それも床は打ちっぱなしのコンクリートに、照明は等間隔で吊るされた裸電球数個という、いかにも(・・・・)な雰囲気の店だった。 カウンターにでん(・・)と置かれたラジカセからは、どういうわけか…

立憲君主の理想形 ―エドワード七世陛下の威徳―

昭和五年発行、鶴見祐輔著、『自由人の旅日記』。 ここ数日来、いろいろとネタにさせていただいている古書である。 総ページ数、520頁。なかなかの厚さといっていい。読み応え十分な一冊だった。 (鶴見祐輔、シカゴ、ミシガン湖畔にて) 就中、もっとも深く…

跳躍するアングロサクソン ―真の闘争の血液を―

世界大戦中の話だ。 アメリカのとある工場が、深刻な人手不足に陥った。 そこは軍にとって極めて大事な、有り体に言えば軍需工場の一つであって、機能不全を来すなど、到底認められる事態ではない。大至急、穴を埋めねばならなかった。必要とされる人的資源…

空の英雄、沸く地上 ―昭和二年のアメリカ紀行―

昭和二年、鶴見祐輔はアメリカにいた。 都合何度目の渡米であろう。 この段階で既にもう、鶴見の海外渡航回数は二十に迫る勢だった。それは確かだ。 が、その旅程のことごとくに「アメリカ」が含まれていたわけではない。欧州の天地に限局された場合もあれば…

忘れ得ぬ人々 ―ダイヤモンドと鐵の門―

石原忍が御手洗文雄を「忘れ難き人」として、鐵門倶楽部の同窓中でも一種格別な地位に置き、満腔の敬意を表したのは、彼が「大利根遠漕歌」の作者だったからではない。 「春は春は」に開始する、競漕界の愛唱歌より。 重視したのは、彼の死に様こそだった。 …

鐵門瑣談 ―東京帝大競漕事情―

鐵門倶楽部(てつもんくらぶ)。 東京大学医学部の、同窓会の名称である。 厳めしい名だ。 重々しく、つけ入り難い、硬骨漢の集いといった感が湧く。勝手ながらそれこそが、字句の並びを一目見て、私の脳裡に咄嗟に浮かんだ印象だった。 もっとも「名付け親…