穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

科学と宗教、相克風景 ―ライフリングとサルバルサン―

1547年、ヨーロッパの某所にて一つの実験が執り行われた。 主導したのはキリスト教系の大司教。このところ世上に姿を現しはじめた命中率のすこぶる高い新式銃の正体が、「悪魔の武器」であることを証明するのが目的だった。 銃身内部に溝を彫り込まれたその…

夢路紀行抄 ―暁美ほむら 対 銀の人―

夢を見た。 地球を守護(まも)る夢である。 『魔法少女まどか☆マギカ』の主要人物・暁美ほむらがその能力で時間遡行を繰り返すうち、どういう理屈か『地球防衛軍5』の世界線へと迷い込み、わけもわからぬまま巨大生物やエイリアンどもと殺し合う――話の筋は…

宣伝上手な戦前の医者

「診察」と称して真面目な顔で、患者のあたまに聴診器を当てる医者がいた。 志田周子の記事でわずかに触れた、医学博士にして文筆家、高田義一郎がその現場を目撃している。なんでもこの診断法を開発した何某は、 「どうもこの男は、時々調子はずれの事をす…

檻の中の鮎川義介 ―大国魂神社の珍談―

その日、鮎川義介は例の空気銃を携えて、小鳥撃ちに興ずべく牛込の自宅を後にした。 大正から昭和へと、元号が移り変わったばかりの話だ。 当時の東京は、今のようなコンクリートジャングルではない。藪も多く残されていて、野鳥のさえずりはずっと身近にあ…

玄理の扉 ―道の果てに至る場所―

禍福はあざなえる縄の如しと世に云うが、鮎川義介にとって大正十二年という年は、まさにそれを体現した一ヶ年であったろう。 まず六月に、長男が生まれた。 鮎川夫妻の間には遡ること三年前、既に「春子」という長女が生まれていたから、これで「一姫二太郎…

日本国の擬娩事情 ―足利郡の臼担ぎ―

今はもう、すっかり廃れてしまった風習だが。―― ほんの一世紀前までは、南洋に分布する先住民族たちの間で広く行われていた「ならわし」だった。 女性が産気づいたとき、その旦那に当たる人物を鞭やら何やらで手酷く痛めつけることは、である。 特に強烈なの…

正岡子規の妓楼遍歴 ―古島一雄の証言―

正岡子規をして生涯女人に親しまなかった、童貞を貫いた人物だと看做したがる向きが巷間の一部に行われている。マクシミリアン・ロベスピエールとこの明治日本の俳聖を、同じ殿堂に入れたがる動きが。 だがしかし、これは根も葉もなき謬見だ。 (長谷川哲也…

渋谷東急の古本まつり

閉店の迫る東急百貨店・渋谷本店――。 昭和九年の開業以来、86年の長きに亘って渋谷の街を見下ろしてきた、その西館8階で、目下古本まつりが営まれている。 (Wikipediaより、2010年頃の東急東横店) 「さよなら東急東横店 渋谷大古本市」と銘打たれたこの催…

迷信百科 ―松房の実・石楠花の枝―

岩手県奥州市水沢一帯の村落では、だいたい昭和のあたまごろまで、とある奇妙な習俗が行われていた。 うら若き乙女が男を知らぬまま世を去ると、その棺にマツブサの果実を入れるのである。 (Wikipediaより、マツブサの樹) マツブサ。 漢字では、松房と表す…

夢路紀行抄 ―呪いと海に底は無く―

夢を見た。 名状し難き夢である。 最初、私は海に居た。 360度何処を見ても岩礁の一つさえ目に入らない、大海原のど真ん中。 空の青と海の蒼とで塗り潰された、ある種の異界に在って私は、大口開けて迫り来る人喰い鮫から必死の思いで逃げていた。――こともあ…

伊藤文吉と鮎川義介 ―血を継承する男ども―

灘五郷の酒「白鹿」については、日産コンツェルン創業者、鮎川義介にもいわく(・・・)がある。 彼にはアル中の親友がいた。 ビール、日本酒、ウイスキー等アルコールなら何でもござれ、一日の摂取量が二升を割ったらおれは死ぬと豪語していたその人物こそ…

酒の肴の禁酒本 ―長尾半平の警告―

銚子の口には狐がすむよコンが重なりゃだまされる 福島県のとある地方に古くから伝わる俚謡である。 一献、二献と酒量の単位を表す「献」と、狐の鳴き声たる「コン」をかけたわけだ。 悪い出来ではない。私はこれを、昭和五年の小雑誌、『禁酒之日本』八月号…

年俸一ドルの外交官 ―鮎川義介とスタインハート―

鮎川義介が訪独の旅から帰還して、そう日を置かぬうちのことである。 駐ソ米国大使の首がすげ変った。 新たにやって来たのはローレンス・アドルフ・スタインハートなる男。フランクリン・ルーズベルトとは大学に於ける同窓で、聞くところによると年に一ドル…

悪夢到来

目を開き、枕から離れた瞬間異変を感じた。 頭が痛い。 鉄の箍(たが)でも嵌められて、きりきりと締め上げられているかのような痛みが走る。 さてこそコロナか、インフルか――と嫌な想像が駆け巡り、大いに背筋を冷たくさせたが、そう間を置かずに違うと分か…

鮎川義介のヒトラー評・後編 ―「今以て推服するところである」―

鮎川義介はドイツに着くやいなやの素早さで、駐ドイツ特命全権大使・来栖三郎にヒトラーとの会見を願い出ていた。 ところが来栖の返事は芳しくなく、「成否は請け合えないが、なんとか手を尽くしてみよう」と言われたっきり待てども待てども音沙汰がない。 …

鮎川義介のヒトラー評・前編 ―重工業王、ドイツへ渡る―

鮎川義介に関しては、わずかなれども以前に触れた。 「正三角形をフリーハンドで描けなければ、絵を描く資格がない」と変なことを言い出して、事実そのためにのべ三万枚もの紙を使った人物である。 奇妙人といってよく、しかしこの奇妙人こそ、あの日産コン…

ヒトラーとメタクサス ―「平和的解決」を望んだ人々―

前回までの流れを汲んで、もう少しギリシャ・イタリア戦争を眺めたい。 初戦に於いて、ギリシャは確かに勝利した。 それもただの勝ちではない、快勝だ。雪崩れ込んで来たイタリア軍を国境外へ叩き出し、更にアルバニア南部までをも占領する大戦果。 しかしな…

ムッソリーニの大誤算 ―ギリシャ・イタリア戦争の内幕―

ギリシャは海運で栄えた国である。 国内にこれといって見るべき産業を持たない彼の国が、それでも富を求めるならばそれ以外の選択肢はなかったろう。『アサシンクリード オデッセイ』中で描かれたように、遥か紀元前の古代から優れた造船技術を有し、美しき…

弱小国の悲愴 ―第二次世界大戦下のエジプト情勢―

第二次世界大戦の幕が切って落とされたのは、1939年9月1日。ドイツのポーランド侵攻が直接の起点とされている。 前回の記事にて述べた通り、同盟通信社の特派員・大屋久寿雄が欧州に駐留していたのは1938年10月から1940年3月までの15ヶ月間。ほぼ最前列とい…

特派員、大屋久寿雄 ―「欧州情勢、複雑怪奇」に挑戦した日本人―

ここ最近、『バルカン近東の戦時外交』という古書を興味深く読んでいる。 出版は、昭和十六年五月三十日。 著者の名は、大屋久寿雄(くすお)。 1938年10月、風雲急を告げつつあるバルカンに同盟通信社の特派員として派遣されたこの大屋という人物は、以後19…

リンカーンの戦慄 ―「労働蔑視は亡国の基」―

自動車がツチノコ並みに珍奇なる、都会人といえど滅多にお目にかかれないほど稀少な代物であったころ。 横浜正金主催の夜会に、支那人のさる大官を招待したことがあった。 迎えに出されたのは、二頭立ての大型馬車。馬車が遠ざかり、やがて再び戻って来たと…

波多野承五郎の英人評 ―今村繁三との談話から―

欧州大戦の余燼が未だくすぶっていた時代――。 ロンドン西郊に泰然と聳える男子全寮制のパブリックスクール、イートン・カレッジに長年奉職した老教師が、日本国を訪れた。 この歓迎役を務めたのが今村繁三。青年時代イギリスに留学、ケンブリッジ大学で文学…