穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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砕かれた幻月、エフェメロン

 

 このところ、『科学随筆 線』なる古書を読んでいる。


『浮世秘帖』『煙草礼賛』と同じく、古本まつりの収穫物だ。


 お値段、たったの300円
 安い。破格といっていい。


 刊行は、昭和十六年十月十日
 日本が大東亜戦争に突入する、たった二ヶ月前である。
 そのような時期に、

 


 現代は科学戦であり、特にそれは技術戦である。(中略)技術なき国家、工業なき国家は、適者生存の範囲よりオミットされつつあるのである。実行力なき政治、団結なき国家、技術を国策の劈頭に掲げざる政治、技術を尊重せざる国家は自然消滅の一路を辿るの外なきを承認しなければなるまい。(6頁)


 採算のとれぬ戦争は少なくとも現代的ではない。(9頁)

 


 このような言辞のひるがえる本が出版されたということは、まず注目に値しよう。

 

 

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『科学随筆 線』はその名の通り、当時日本で活躍していた第一線の科学者たちから十ページ前後のエッセイを書いてもらって一冊に纏めたモノであり、上の文章は東京帝国大学教授・池田謙三工学博士の筆に依る。


 他にも名古屋帝国大学教授、九州帝国大学教授、厚生省予防局長等々と錚々たる肩書が並び、このうちの何人が戦後公職追放に遭ったことやら、それはそれで興味の堪えないところだが、まあ今日のところは措いておく。


 本日着目したいのは、東京工業大学助教授・竹内時男理学博士から寄せられた、「地球の周りの環」という小稿だ。


 その中で博士はペルム紀――今から約2億9900万年前から約2億5100万年前までを指す地質時代――初期の異様な「寒さ」に言及し、その原因をめぐって学会大いに紛糾し、議論百出する光景を述べている。


 太陽活動の低迷に解を見出す者も居れば、海流の大規模変化を主張する者とて出現あらわれた。


 が、中でも特に奇抜でオリジナリティに富んでいたのが、博士が稿のタイトルにも採用した、「地球の周りの環」説である。

 


 この論者の主張するところによると、なんと地球の月は一つでなかった。

 


 現在天上を運行している我々の見知ったあの月よりも、もっと小さく、かつ地球寄りの軌道を疾走していた第二の月――エフェメロンと呼ばれる衛星が、かつて在ったと言うのである。

 

 

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 エフェメロン。
 この単語をGoogleにぶち込んで検索するとFF11の武器ばかりが引っかかって些か閉口するものの、元々はカゲロウの学名で、「(1日と持たない)儚いもの」を意味するギリシャ語に由来しているという。


 なるほど架空天体のエフェメロンも、実に儚い最期をたどった。


 質量の小ささとその軌道が災いし、公転を繰り返すたびエフェメロンは地球に接近。ほんのわずかづつではあるが、何十億回も繰り返せば流石に膨大な量になる。その積み重ねはやがてエフェメロンをしてロシュの限界に踏み込ませるにまで至り、あわれ彼の幻月は地球の潮汐力により粉々に崩壊してしまう。


 その大破壊が起きたのが、丁度ペルム紀初期である。


 エフェメロンは崩壊した。だが「消滅」したわけではない。かの天体の残骸はやがて地球の周囲にリングを形成土星の輪の如きそれにより太陽光が遮られ、結果あの寒冷時代が訪れたのだ――それが例の学派の訴えだ。

 


 輪の内縁は不明積で、大気に連なってゐた。外縁は何万キロといふ距離に及んでゐたであらう。
 地軸が黄道面に垂直でないため、輪が地球面上に太陽の影を投じた。これが場所によって濃淡を生じ、又気候に大異変を起こしたのだとする。(78頁)

 


 どうであろう、なんとも浪漫に満ちた学説ではなかろうか。
 これを初めて読んだとき、私はにわかに血が酒に変じたようなくるめきを感じ、自分が未だに現役の中二病患者であることをまざまざと思い知らされたものである。

 

 

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 なお、竹内博士はあくまでこれを「愉快な奇説」として紹介しており、本人が真に受けていた形跡はない。


 実際問題、ペルム紀初期の寒冷気候の原因はゴンドワナ大陸――後にユーラメリカ大陸と衝突してパンゲアとなる超大陸――が南極に位置していたことによる、氷床の大発達というのが目下に於ける定説で、言うなればマントル対流の作用の結果。天上ではなく地下にこそ答えが隠されていたとは、いやはや皮肉が効いている。

 

 

大絶滅 ―2億5千万年前,終末寸前まで追い詰められた地球生命の物語―

大絶滅 ―2億5千万年前,終末寸前まで追い詰められた地球生命の物語―

 

  

 

 


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続・いろは歌撰集

 

▼▼▼前回の「いろは歌撰集」▼▼▼

 

 

 

 

い 出や此世に生れては


ろ 露命も僅か朝顔


は 花の盛りも僅かなり


に 憎き可愛ゆき薄きうち


ほ しき憎きの薄きうち


へ 片時も油断すべからず


と 兎に角勇み読書よみかき


ち 力づくには行かんぞよ


り 利口の人も無筆では


ぬ ぬからぬ顔に恥多し


る 類に寄りては何事も


を 覚えて悪しきことは無し


わ 我身を降げて人を立て


か 神や仏に誓ふても


よ 余所の悪事は語るなよ


た 仮令貧しく暮すとも


れ 礼儀は常に心がけ


そ 粗末に物を遣ふなよ


つ 常に我身を顧見て


ね 寝ても起きても親の恩


な 何んに就ても思ひ出せ


ら 楽を好むは身の亡び


む 無用の金銭遣ふなよ


う 嘘をいはぬが身の出世


ゐ 急がぬ人もすきならば


の 後よ明日よと延ばすなよ


お 老ての怨み返らんぞ


く 苦しき時の神頼み


や 病募りしその時は


ま 間には合はんと覚悟せよ


け 喧嘩口論諸懸事しょかけごと


ふ 不幸の種と思はれよ


こ 心の鬼が身を責める


え 得手と勝手を棚に上げ


て 天下の掟国の法


あ 仇だ疎そかに思ふなよ


さ 差手引手に身を責めて


き 飢寒を忍び勤むべし


ゆ 雪や蛍を集めても


め 名誉を得るはこん次第


み 身より引出す財宝は


し 死しても尽きぬ宝ぞよ


ゑ 円満利益も心より


ひ 貧に落るも心より


も 若しも家業の暇には


せ 先祖祭を怠るな


す 好きこそ物の上手なれ


京 今日の言葉を忘るなよ今日の心を忘るなよ

 


 南品川猟師町に住む中山洞泉なる人物から、『浮世秘帖』の著者、羽太鋭治に寄稿された歌である。


 江戸時代、江戸湾沿いには幾つもの漁業専業者集落が在り、そうしたものを「浦」または「猟師町」と呼んでいた。


 この中山洞泉も、あるいは年がら年中潮風に身をなぶらせている漁師であったやもしれぬ。もしそうならば、これは正しくプロレタリア文学と呼べるだろう。顔色の悪い青びょうたんめいた文学者が机の上で想像をたくましくして作り上げたものでなく、真に労働者の生活の中から汲み上げられた七五調――。


 まあ、内容の方は素朴な道徳論の域を出ぬゆえ、左翼の気には召すまいが。


 しかし私の好みではある。特に「お」から「ま」までの四行は、なにやら実感が籠っているようで味わい深い。

 

 

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い 意地が悪い子は生れはつかぬ、直ぐが元より生まれつき


ろ ろくろ心を思案で曲げる、まげにゃ曲がらぬ我が心


は 恥を知れかし恥をば知らにゃ、恥のかきあひするものぢゃ


に 憎む筈なは不忠と不孝、外にゃ憎まうやうがない


ほ 欲しや惜やの思案は鬼よ、楽な心を苦しめる


へ へしたことにはよいことないぞ、知れた通りがみなよいぞ


と 兎にも角にも親孝行と、主人忠義を忘りゃんな


ち ちかひ親子にむごいを見れば、あかの他人は恐ろしや


り 悧巧ぶるのは大方阿呆、知れた通りでよいことを


ぬ ぬかるまいぞや思案の鬼が、とっと地獄へ連れて行く


る 留守といはれぬおのれが心、善いも悪いも覚えあり


を 男女をとこをんなの行儀が大事、悪性物めは人のくず


わ 我を立てねば悪事は出来ぬ、知れよ心に我はない


か 金を欲しがる底意がいやよ、人を見下す天狗ずき


よ よだれ八尺流すは色よ、迷やとろさも覚えなし


た ためによいこといふ者いやで、毒をあてがふ人がすき


れ 礼儀だてこそをかしうござる、たてのないのが礼である


そ 損をかけたり無理をばするは、得ぢゃござらぬ損ぢゃまで


つ 常に主をば大事に思や、仕事するのも手が軽い


ね 寝ても覚めても立っても居ても、無理はいふまい無理せまい


な 無いと思ふはそりゃ早思案、あるないのはみな迷ひ


ら 楽がしたくば心を知りゃれ、楽が心の生れつき


う うそは心に覚えがあるぞ、人は兎もあれ我が知る


ゐ 井手の玉川丸くも見えぬ、何が流れぢゃ果てがない


の 飲めや歌へや一寸先ゃ遠い、騒ぐおのれがまるでやみ


お 奥の奥まで探して見ても、限り知られぬ我心


く 久米の仙人可笑しいことよ、うその顔みてだまされた


や やいとおすやれ孝行ものぢゃ、親も喜ぶ身も無事な


ま 敗けることをばきらやるげなが、なぜに欲にはよう勝たぬ


け 化粧けわい化粧けしょうで外から塗れば、むさい心は塗られまい


ふ 古いものほど重宝ならば、初め知られぬ我が心


こ 虚空無天に御広い住居すまひ、柱なければ屋根もなし


え 縁にひかれて心はうつる、悪いことにはかはるまい


て 天の恵みで無い物ないと、恩にきせねば恩にきず


あ あたら心に思案の添へ木、それがつかへて動かれぬ


さ さても心は奇妙な物ぢゃ、覚へしらねど覚えしる


き 来たら来たまま去りゃ去ったまま、とかく思案は皆くずぢゃ


ゆ 夢の世ぢゃとは口にはいへど、ねごといふのが物ほしや


め 眼にも見えねば音にもきかず、されど無しとも思はれず


み 見たい知りたいその心ざし、知れば知らるる我心


し 知れば知らるる心を知らで、暮す人こそはかなけれ


ゑ 得たる心を失ひなりで、死んでしまうはあんまりぢゃ


ひ 貧と福とは天命なれば、わがのままにどもならぬ


も もがき貧乏する人多し、ならぬもうけをしたがって


せ 世智で金をば持てても慈悲で、人を救わにゃ金の番


す 住めば住吉すみよし赤子の心、これが目出度い岸の松


京 京の太平楽々の身に、外の願はみな栄耀

 


 こちらは元禄年間に活躍せし作家、山本長兵衛がその謡本家名目かなめ草』に記したといういろは歌。『浮世秘帖』に掲載されているいろは歌の中で、唯一の都々逸仕立てとなっている。


 一貫して軽妙な調子を保ちつつ、噛み締めてみると思わぬ滋養分が溢れ出すのが分かるだろう。「人間の屑」という罵り方が江戸時代から存在していたと知れるだけでも、これは貴重な作品だ。

 

 

蟹工船 ─まんがで読破─

蟹工船 ─まんがで読破─

 

 

 

 


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レイモンド博士の心理実験 ―古き米国女性の気風について―


 今ではもう、すっかり地を払ってしまった気風だが。


 第一次世界大戦までは、アメリカ人の女性たちにも脚の露出を厭う傾向が確かにあった。


 身に纏うのは専らロングスカートで、ショートスカートなど以っての外。駅の階段を上る際、段差があまりに激しすぎるため脚を大きく上げねばならず、ともすればスカートがまくれてふくらはぎまで見えそうになる。これは由々しき問題だ、社会風教上看過できぬ、早急にすべての階段を数インチ低く造り直せ婦人団体が鉄道会社へ抗議に押しかけたこともある。


 こうした女性が現代社会を直視したなら、いつから地上は露出狂の巣窟になった、これではまるでソドムの再現ではないかと大層嘆くことだろう。


 ――そんな当時のアメリカ社会で。

 


「母は病の床に臥し薬を買ふ金なく死に臨んでゐる、此時一万ドルを以てあなたの貞操を蹂躙しようとする者がある。あなたは母の病を癒す金を得る為に一万ドルを望むか(昭和九年、羽太鋭治著『浮世秘帖』272頁)

 


 こんな質問をぶっつけたレイモンド博士という人は、さぞかし度胸のある人だったに違いない。

 

 

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 オハイオ州ウィテンバーグ大学で教鞭を執っていたレイモンド心理学教授。彼は自分の教え子たる女学生、計六十名に上記の問いを投げかけて、その統計を得たという。


 曰く、「四十五人は自分の貞操より一万ドルを取ると答へ、残る十五人は母を見殺しにするも貞操を売らずと答へた(同上)そうな。


 今の時代にこんなことを訊いたなら、たちどころにセクハラ認定されて訴訟を起こされ、一生を棒にふる破目になるだろう。
 たかが「トロッコ問題」ですら小中学生に出題するのは不謹慎だと苦情を持ち込まれるご時勢だ。あながち荒唐無稽な想像でもあるまい。


 かつての米国女性の精神性を測る上で、またかつての時代でしか出題不能な質問という点で、二重の意味にて貴重なデータと言えるだろう。

 

 


 ついでに、これも『浮世秘帖』からの抜粋なのだが。


 自動車王ヘンリー・フォードの飛ばしたジョークに、

 


「女の部分品販売をする方法はないものか(110頁)

 


 というものがあるそうだ。

 

 

Henry ford 1919

 (Wikipediaより、ヘンリー・フォード

 


 ネックレスや指輪も同然の感覚で、瞳や髪の毛、腕に脚――肉体部品を交換する女性たち。ほとんど攻殻機動隊で描かれた世界さながらだ。


 だが、確かに女性の美に対する執着ほど凄まじいものは他にない。そのエネルギーの猛々しさは万古不易と確信をもって言い切れる。なるほどそんな技術を確立させれば、フォードの懐にはたちどころに巨万の富が転がり込んで来るだろう。


 短くも頗る切れ味のいい、単純剄烈な見事なジョークと評したい。

 

 

自動車王フォードが語るエジソン成功の法則

自動車王フォードが語るエジソン成功の法則

 

 

 

 


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文明開化珍談二種

 

 明治初頭、急激に押し寄せた文明開化の大波に人心がとても追随しきれず、結果数多くの狂態が――病院のベッドを実見した民衆が、これは人間を丸焼きにして「毛唐ども」に喰わせる装置に違いないと思い込み、積極的自衛策として先に病院に火を放つ、といったような狂態が――演ぜられたことは、以前述べた通りである。
 これについて、もう少し蛇足を加えてみたい。

 


 明治六年、政府は思うところあって女性の裁縫留学布令ふれいを出す。十三歳から二十五歳までの間で手芸に堪能な独身女性を選りすぐり、以って欧州へ渡航させ、彼の地の優れた織物業を学ばせようという試みだ。


 開明的かつ穏当に見えるこの政策が、しかし駿州大宮――今でいう静岡県富士郡あたり――に到達したその時には、どういうわけだかひどく捻れて歪んだモノになっていた。


 なんとこのあたりの人々は、お上は縁付かない若い娘を毛唐の巣に放り込み、連中の子種を植え付けさせて手っ取り早く「文明開化」を済ますつもりだととんでもない解釈を下し、そうはさせじと憤り、布令にあった「十三歳から二十五歳までの未婚女性」を片っ端からつかまえて、相手を選ばずどんどん結婚させていったのである。


 そのため十三歳で四十過ぎの男の嫁に行かされるという、前時代的な悲劇までもが現出したからやりきれない。知が力なら、無知はときに罪であろう。

 

 

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(白無垢)

 


 明治十年に起きた軽気球騒動もなかなか凄い。


 石井研堂明治事物起原によれば、我が国の気球の歴史は明治八年開成学校作製学教場に於いて理学教師市川盛三が、赤ゴムの小球に水素ガスを満たして発揚したのが始まりという。


 翌九年、彼の生徒たちがこれを自主製作して小児用玩具という名目のもと売りはじめ、瞬く間に大好評を博すに至る。


 更に年を重ねて明治十年。陸軍省の依頼を受けて、海軍技術科麻生武平、同機関士副馬場新八が中心となり、初の外国人の力を借りない、何から何まで日本人の手で組み上げた軽気球の発揚実験が動き出す。


 そのプロジェクトが実を結んだのは同年五月二十三日築地海軍練兵場に於いてであった。

 


 完成した気球は長さ九間幅五間奉書紬一二〇反を繋ぎ合わせてゴムにて塗り上げた代物で、船底からは幾本もの大綱が垂れていた。


 浮遊させて後は、これを引っ張り地面に下ろす算段である。


 蒸気ポンプによってガスが気球に送り込まれ、馬場新八が独り乗り込み、いよいよ気球は大地を離れた。

 

 

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 労苦の甲斐あり、気球は期待通りの働きを示す。蒼穹に向かって駆け上がり、四十間を超えたあたりで馬場氏が合図の赤旗を振り、一旦地に戻される。

 

 ここまでならば大成功といっていい。


 が、次いで性能の限界に挑もうとでも考えたのか、無人のまま飛ばしてみたのが不幸であった。


 先程獲得した高度の五倍、およそ二百間あたりにまで達したところでふとしたことから気球は制御を喪失し、風に流され、県境を越え、千葉県堀江村に落ちたのである。


 村人たちの驚愕ときたら言語を絶した。


 如何な古老とて、こんなモノは見たことも聞いたこともない。


 風の神が誤って袋を落としたとか、イヤこれはらっきょう・・・・・の化物に違いないとか、次から次へと奇論が叫ばれとても収拾のつけようがなく、恰も鼎の沸くが如き観を呈した。

 

 

酒とタバコ (3158962313)

 (Wikipediaより、酒のつまみとして供されるラッキョウ

 


 騒擾は、やがて狂気に変わる。住民たちは棒を手に取り、空からやって来た正体不明のこの怪物を、寄ってたかって殴りつけることにした。


 するとどうであろう、「怪物」はまるで痛みを感じているかのように再びフワリと浮き上がり、何処かへ逃げ去ろうとするではないか。


 その後を、人々はなおも執拗に追い、更なる打撃を加えると、ついに気球は盛大に破け、中のガスを噴出させる。


 その臭気の甚だしさに、「妖怪が悪気を吐き出しやがった」と村人はいよいよ仰天し、恐慌を来して右に左に逃げ回り、灰神楽の立つような大騒ぎを演じたという。

 


 思わず顔を覆いたくなる有り様だが、文明の過渡期とは、得てしてこういうものであろう。


 この水準の国民を牽引して三十年弱、たった三十年弱で、よくまあロシア帝国と渡り合えるだけの国力を養えたものである。


 先人の苦労は計り知れない。

 

 

 

 

 


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偉人にまつわる紫煙の逸話

 

 イングランドの大哲学者、トマス・ホッブズは非常なタバコ好きでもあった。


 彼の仕事机の上には、常に十二本のパイプが並べられていたという。ペンを取るより先に、これらパイプにタバコの葉を詰めるのが、いわば彼の日課であった。


 つまり物を書いている最中、タバコが燃え尽きたからといっていちいち著述を中断し、灰を叩き落して新たに葉を詰めていては、あまりにテンポが悪すぎる。折角浮かんだ天啓的着想も、その煩雑な作業を行っている間にどんどん霞んでしまうだろう。
 ゆえにそうした面倒事は、一番最初にまとめて済ます。一つパイプを吸い尽くしたなら、別のパイプに換えればよい。鉄砲の「段々撃ち」にもどこかしら通ずるような発想だった。

 

 

Thomas Hobbes (portrait)

 (Wikipediaより、トマス・ホッブズ

 


 それにしても、毎日パイプ十二本は凄い。仕事中は片時もパイプを唇から離さなかった光景がいとも容易く想像できる。これだけニコチンを体に入れて、しかも九十一歳の長命を保ったのだから運命というのはわからない。

 


 勇気を支えているのは決まって腕力や技量であり、それは権力なのである。光文社古典新訳文庫リヴァイアサン 1』164頁)


 この世の幸福は満ち足りた心の安らぎにあるのではない(中略)なぜか。第一に、いにしえの道徳学者がその著作に書いているような、究極の目的とか至高善といったものは、存在しないからだ。第二に、欲求が尽きると、感覚と想像力が停止した場合と同様に、もはや生きてゆくことができないからだ。幸福とは、欲求がある対象から他の対象へと絶えず移り進んでゆくことであり、何かを達成するということは、別の何かに至る過程に過ぎない。(170頁)


 対等だと思っていた相手から、報いることができそうもないほど多大の恩恵を施されると、相手に対する気持ちは往々にしてうわべだけの好意に変わる。いやそれどころか、実際には秘めた憎悪に変わることもある。恩恵を受けた側は、絶望した債務者と同様の立場に追い込まれる。(174頁)

 


 こうした金言の数々が紫煙と共に吐き出されたかと思うと、また違った感慨が湧く。

 


 他人を守るために国家の武力に抵抗するなどという自由は――その他人が罪人であろうと無辜であろうと――だれにもない。なぜなら、そのような自由が認められるなら、主権者は私たちを守る手段を失い、したがって統治の根幹そのものも破壊されてしまうからである。光文社古典新訳文庫リヴァイアサン 2』99頁)

 


 この一節にめぐり逢えただけでも、本書を購入した甲斐があった。
 ヒロイン可愛さのあまり国家権力にだって反抗して憚らない、よくあるジャパニメーションの主人公的行動が、思わず吐き気を催すほどに不快で不快で仕方なかった私にとって、これは正しく救いの音として機能したのだ。

 


 人が見落としている事柄がある。それは、人の属するいずれの政体にも、必ず何らかの不都合がつきまとうということである。また、最悪の統治形態のもとで人民一般がこうむる(かもしれない)最大の不都合といえども、内戦や無政府状態にくらべれば取るに足らぬということである。(41頁)

 

 

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 他にタバコ好きの哲学者としては、ロックベーコンが挙げられる。特にロックはタバコをして、


「頭の為には是非とも欠くべからざる必需品」


 とまで称讃しているところを見ると、相当な愛煙家だったようだ。
 シェイクスピアもまたよくタバコを嗜む男であった。彼の作品には滅多に喫煙シーンが描かれないからてっきり嫌煙家と思い込みそうになるのだが、実はかなり吸ったらしい。


 彼自身の劇場であるグローブ座でも喫煙が許可されていたというから、少なくとも悪感情はなかったろう。

 


 ホッブス、ロック、ベーコン、シェイクスピア――いずれも英国が世界に誇る偉人である。

 


 では英国籍の偉人すべてが愛煙家であったかというと、決してそんなことはなく、嫌煙家でありながら歴史に名を刻んだ者とて確かに居た。


 中でも特に有名なのは、19世紀に活躍し、「神、そらに知ろしめす。すべて世は事もなし」を生み出した詩人、ロバート・ブラウニングその人だろう。

 

 

Robert Browning by Herbert Rose Barraud c1888

 (Wikipediaより、ロバート・ブラウニング

 


 ある晩、彼が美術クラブに出席した際の出来事だ。運悪くその日の集まりには愛煙家ばかりが顔を連ねて、どの部屋の扉を開けても紫煙が立ち込めていない場所がない。
 安息の地を求めてしばし彷徨ったロバートだったが、とうとうこの煙の猛威からは逃れようがないと分かると彼はいっそ逆上し、


「ジェームズ一世は悪漢だ、暴君だ、愚物だ、うそつきだ、卑怯者だ、けれども自分は彼のことが大好きだ。むしろ崇拝さえする。何故かといえば、あの不愉快極まるタバコなんてものを喫むことを発明した、あの大馬鹿のラーレーの首を叩っ切ったからだ」


 そんなことを怒鳴り散らして、一座を大いに興醒めさせたという。

 


 他に特筆すべきは、やはりロスチャイルド家の逸話だろうか。
 下田将美曰く、

 


 富豪のロスチャイルドも高い葉巻を常用にしたのは有名で一つ一つが純金の紙で包んであって、箱はすばらしい杉を用ひてあった。一行李に一萬四千本づつ入るのを彼はいつでも三行李づつ註文したさうである。(『煙草礼賛』104頁)

 


大人買いの究極系と言ってよかろう。
 日本でもバブルの時代、刺身の金箔張りという意味不明なモノが流行った。


 刺身に金箔を塗ったところで味がよくなる筈もなく、葉巻を金で包んだところで香りが高まる道理なし。率直に言って無駄以外の何事でもないのだが、こういう無駄を愉しんでこその人生という気もどこかする。

 

 

Great coat of arms of Rothschild family

Wikipediaより、ロスチャイルド家の紋章) 

 


 最後にビスマルクに触れておきたい。かの鉄血宰相殿もまた大層な愛煙家だったが、彼が述懐する生涯最高の煙草の味は、ケーニヒグレーツの戦いの後ついに吸い損ねた一本の葉巻であるという。


 なにやら謎かけのような印象を受けるが、事のあらましはこんな具合だ。


 ドイツの盟主の座を賭けて、プロイセンオーストリアが鎬を削った普墺戦争。その終結を決定付けた――むろん、プロイセンの勝利という形で――戦いが、ケーニヒグレーツの会戦に他ならなかった。


 1866年7月3日のこの瞬間、ビスマルク本人も戦野に臨み、戦いの顛末を見届けたという。

 

 

Battle of Koniggratz by Georg Bleibtreu

Wikipediaより、ケーニヒグレーツの戦い) 

 


 さて、戦闘行為が終了すると、勝利の栄冠を得た彼は、のびのびとした健やかな気分で砲弾によって耕され、そこかしこに人間の部品が散乱している戦場跡へ巡廻に出る。


 するととある道端に、自軍の竜騎兵が横たわっているのを見出した。


 おそらく砲撃によってであろう、彼の両脚はぐしゃぐしゃに潰れ、とめどもなく血が溢れ出し、もはや救かるべくもない。


 意識も半ば朦朧と化しているらしく、目の前に居るのが誰かもわからず、うわごとのように力なく、「気付けをくれ」と繰り返すのみ。


 ビスマルクは立ち止まり、ポケットに手を突っ込んだ。指先に触れたのは、金貨とクシャクシャになった一本の葉巻。


 金貨など、この場合何の役にも立たない。ビスマルクは一言も口を利かぬまま、手早く葉巻に着火して、その兵士の口に差してやった。

 


「その哀れな兵士の頬に浮んだ感謝に満ちた微笑、俺はまだ生まれてから、此自分で喫まなかった一本のシガー位、いい煙草を経験したことがない(『煙草礼賛』69頁)

 


 なんともはや、鉄血宰相らしい口吻である。

 

 

リヴァイアサン1 (光文社古典新訳文庫)

リヴァイアサン1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

 


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オックスフォードの喫煙競争

 

 1723年9月4日の出来事だ。英国はロンドン、オックスフォード・ストリートにある劇場で、世にも珍しい「比べ合い」が開催された。


 三オンスの煙草を、誰が一番早く吸い尽くせるかという競技である。

 

 

Oxford Street 1875

 (Wikipediaより、1875年のオックスフォード・ストリート)

 


 優勝賞金は12シリング。参加条件は特になし。老いも若きも男も女も、腕に覚えさえあるならば誰でも歓迎。なんなら事前の申し込みすら不要であって、当日の飛び入り参加も構わないという気前のよさ。


 反則はたった二つだけ。飲料の摂取と、「リング」たる舞台の上から一歩でも下に降りること。
 この二項が確認された瞬間、即座にその人物は失格となる。


 たちまち志願者が殺到した。


 そして14:00、いよいよ開幕のベルが鳴る。


 劇場は濛々たる紫煙に包まれた。


 現代の感覚からすればとんでもないマナー違反にあたろうが、18世紀のイギリスに於いては何の問題もないらしい。
 なにせ、この時代人ときたら教会の中でも平気な顔してパイプをふかす。


 スコットランドの文学者、ウォルター・スコット『ミドロジアンの心臓』にもアンジール侯の執事ダンカンが牧師の説教中一時間半に亘ってタバコを吸い続ける描写があるし、


「他人は皆讃美歌の長いのを悦ぶようだが、自分はパイプの長い方がいい」


 と公の場で放言した詩人もあった。


 こうした気風が横溢した結果、ついに教会が議会に対して苦情を言い立て、限定的な「禁煙令」を発せしむるに至ったのだと、『煙草礼賛』は書いている。

 


 一六六九年にマサチューセッツの植民地では特別に喫煙制限令を布くことになった。其法令は今日から見ると随分不可思議千万なもので、礼拝の日に往きでも帰りでも教会から二マイル以内の所で喫煙する者を発見した場合には十二ペンスづつの罰金に処すと云ふので、何のことはないアメリカの領海内で禁酒が航行の船に布かれるやうに、ある一定の個所で喫煙を禁ずると云ふわけなのである。記録に残ってゐる所によると新教徒で早速此罰則に引っかかって罰金を支払はされたのは、リチャード・バリー、シェディア・ロンバート、ベンジャミン・ロンバート、ジェームズ・メーカーの四人だったとちゃんと名前までわかってゐる。(88~89頁)

 


 神の家たる教会でさえ一服するのだ。
 劇場だけが、どうして例外に置かれようか。
 彼らは何の疑問もなくマッチを擦った。

 

 

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 競技は見応えのある進行を遂げた。


 参加者の中に東部からの旅裁縫師と自称する男があって、この人物が群を抜いて鮮やかな喫煙ぶりを発揮したがゆえである。


 彼の吸いぶりはおそろしく早く、息も継がずに何本も何本もパイプをとっかえひっかえするもので、観客の視線は専らこの男に集中し、一位をかっさらって行くのはほぼ間違いないと思われた。


 ところが、なんということであろうか。彼の身に、明らかな変調が。


 視線が一箇所に定まらず、顔面からは血の気が引いて蝋のよう。誰がどう見てもこれ以上は危険なのに、


 ――あと少し、あと少しだけ我慢すれば勝てるのだ。
 ――折角ここまでやったのに、無駄にするのは惜しすぎる。


 そんな誘惑に駆られでもしたのか、なおも無理に喫し続けたことにより、すわ断末魔かと疑いたくなる異様な狂態を晒しながら苦しみ悶え、やむなく退場。


 酒の「一気呑み」と同様に、煙草の「一気吸い」も危険らしい。


 この裁縫士のハイペースにつられて無茶な吸い方をしていた選手たちも、後を追うように次々棄権。


 結局最後まで壇上に留まり、三オンス――約85グラム――の煙草を吸い尽くしたのは、周囲の喧騒を意にも介さず、ひたすら己のペースを貫き続けた老大工に他ならなかった。


 このあたり、競馬やマラソン競技にもどこか通ずるものがあって面白い。

 

 

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 喫煙競争は、その後幾度となく開かれた。


「酒の呑み比べ」「めしの大食い比べ」に比べれば遥かに稀少ではあるものの、それは確かにあったのだ。


 中心となったのは、やはり英国。際立って太く、また長い、特注品の葉巻をば、二時間内に何本吸えるかという大会をロンドンで開いたこともある。


 このときは17名の愛煙家が「選手」として立候補し、そのうち10名が一時間で根を上げて途中棄権したのだから、「特注品」の特注ぶりがよくわかる。


 優勝者の記録は10本完喫。二位の者は9本半と、実力はまず伯仲していた。

 


 しかしまあ、こんなことにまで優劣を決めねば気が済まないとは、人とはつくづく勝負好きに出来ている。

 

 仏教徒なら業が深いと嘆くだろうが、私はそんな性質を、むしろこの上なく快く思う。

 

 戦い続ける喜びを。勝利を求めて必死になる姿こそ美しい。どんなにくだらない勝負でも、当事者が真剣でありさえすれば、確かに清々しさが宿るのだ。

 

 

 

 

 


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迷信百科 ―「日本人の末裔」伝説―

 

 自ら名乗ったのか、勝手な浪漫を託されたのかは定かでないが。
 南洋に散らばる無数の部族の間には、日本人末裔伝説を背負うモノとて存在する。


 江戸時代初期、幕府の鎖国政策により故郷を失った人々が、現地に帰化する道を選んで血が混ざり、やがて――といった具合に、だ。


 セレベス島南部に棲まうブギス族も、そんな日本人末裔候補の一つとして、かつて――大正から昭和前半にかけて――注目された部族であった。

 

 

COLLECTIE TROPENMUSEUM Hofdames in Bone Celebes TMnr 10003352

 (Wikipediaより、ブギス族)

 


 事実、彼らの風俗には驚くほど日本人と似通った部分が見受けられる。


 例えば座り方にしてからそうなのだ。ブギス族は正座・・をするのである。日本人の目から見ても遜色のない、膝が綺麗に揃えられ、背筋の方もきちっと伸びた、堂々たる正座を、だ。


 往来で知人に逢えば頭を下げて一礼し、他家の戸を潜るときには小腰を屈め、来客に物をすすめる際には盆に載せ、決して手渡しすることがない。また、開口一番、何用で来たかと訊ねることも絶対にない。噛みタバコやコーヒー、菓子で客人をもてなして、それから漸く本題に入る。


 この工程を面倒がって省こうとする者は、誰であろうと無礼者としてブギス社会から排斥される。この原則は商取引に於いても揺らぐことなく、値段の高低に拘らず、一度でも道徳的禁忌を犯した者とは決して取引しなかった。


 こうした痛烈なまでの誇り高さは、大日本帝国の人々の特に好んだところである。


 日本人の末裔説が浮上するのもむべなるかな。人とはやはり、自分に近しい者を好むのだろうか。

 

 

Sulawesi Topography

Wikipediaより、セレベス島)

 


 むろん、日本人とは明確に異なる特徴も多々あった。例えば「結縄」の風習である。


 藤蔓等の皮を裂いて繊維にし、それを編んで輪を作る。出来た輪を何に使うかというと、やはり他家訪問時に携えて行くのだ。
 語らんとしている用件の重大さに比例して、輪の大きさも増されてゆく仕組みである。


 こういう言外のコミュニケーションの発達は、独特の味があって面白い。


 ちなみに「結縄」の最上級は、結び目が赤色に塗られたモノ。これは部族間緊張が高まった際、酋長が特別に用いるモノで、「これより戦闘を開始する。急ぎ敵方を焼き払え」を意味している。


 赤はやはり、そういう用途に使われる色であるらしい。


 酋長の特権は他にもあって、俗に云う「処女権」めいたものまで付与されている。


 酋長が「これは」と思う娘を見付けた場合、彼は先ず従者を走らせて、穂先に黄金の付いた槍を娘の門前に立てさせるのだ。これを受けた家の方では、例え如何なる事情があろうとも、娘を酋長に差し出さねばならない。


 それ以外の部分ではブギス族の男女関係はかなり整った方であり、厳然として野合を禁じ、父母の承諾を得なければ、決して結婚することは叶わなかった。適齢期は男女ともに十六歳から二十歳とされており、また女性が妊娠しても産婆役というものは雇われず、陣痛が始まれば独り静かに産屋に籠り、ヤシの実を局部にあてがって、その時をただ待つのみである。

 

 

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 その間亭主はというと、産屋の番として立つのみで、決して付き添ったりはしない。

 どころかもし産屋の中を覗こうものなら一家の頭上におそるべき災禍が降りかかると信ぜられていたために、声をかけることすら憚らねばならなかった。

 


 赤子をヤシの実に産み落とす、この伝統のためにブギス族の子供たちには、「赤ちゃんはヤシから生まれてくる」と信じる者が多かったという。


 ところ変われば「キャベツ畑」コウノトリが「ヤシの実」に変わる。人間百景、愉快千万。

 

 

 

 

 


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