穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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敗戦国のみじめさよ ―そしてハーケンクロイツへ―


『読売新聞』は幸運だった。


 大正十年、彼らは期するところあり、ちょっと特殊な展覧会を開催ひらくことに決めている。


 特殊とは、むろん出展される品。


 第一次世界大戦中に帝政ドイツが刷り出したプロパガンダ・ポスターである。戦意高揚、スパイ警戒、エトセトラ。偉大なる勝利に至らんと智慧の限りを振り絞り、作製された掲示物。センセーショナルな「張り紙」の、同社が蒐集・保管するありったけ・・・・・を世間の耳目に晒さんと、そういうことを企画した。


 彼らの視角に基けば、今の日本に何より欠けているものは、宣伝戦の心得だからだ。

 

 

プロパガンダに余念のないチャップリン

 


 仕掛けるにせよ、邀撃にせよ、技術的に拙劣すぎる。ここは一番、よき「教師役」を得るべきである。それにはやはり、ドイツに如くはないだろう――。

 


「ドイツが先に連合軍に四方より包囲せられながら、飽くまで奮闘し、能く五年間の苦戦に堪へ得たものは、畢竟此のポスターを最も巧に、且最も有効に利用した結果に外ならぬ。(中略)…仮令軍事上の準備が如何に行届いてあったにもせよ、戦時中士気の鼓舞や、敵愾心の激励を怠ったならば、ドイツはモット早く敗亡したに相違ない。然るにドイツは外に向って軍事的に奮闘したばかりでなく、内に対しても大に此宣伝に努めた。而してポスターは此の宣伝事業の最も大切なる機関として利用されたのである

 


 上がすなわち『読売』自身の筆による、開催理由に外ならぬ。


 さて、冒頭の「幸運」である。


 読売新聞社にとって極めて都合よろしきは、当時の東京市長の椅子に後藤新平が座っていたことだった。

 

 

Shimpei Gotō

Wikipediaより、後藤新平

 


 企画家であり、精気充実、行動力の塊めいた彼である。『読売』が申請書を提出するなり案の定、盲判を押す機械たるに飽き足らず、


「いいではないか、いい試みだ、是非とも協力させてくれ」


 顔をぐっと近付け、言った。


 打てば響くとはこのことか。

 


「活動するは我にあり、成否は天にあり、人生の目的は安楽境に達せんとするにあらずして、価値ありて正しく生涯を送るための努力にある、余念なく働くところにある」

 


 過去にこういう意志表明を行っているだけはある。


「戦時中、ドイツ人が必死こいて案出した代用品を、俺はコレクションしていてね――」


 この際そいつも陳列ならべてくれ、と。


 市長の熱気に『読売』担当者の方が、却ってたじろぐ始末であった。

 

 

(WWⅠ、開戦当時のベルリン)

 


 展覧会は大盛況裡に終わったらしい。

 


「戦時中極端なる物資欠乏に窮迫したるドイツは、種々の日用品を紙で製出し、之を代用した。カラー、ホワイトシャツは勿論、衣類もカーペットも窓掛も、乃至は食器類に至るまで、悉く紙で製して、之を用ゐて居た。後藤男の出品中には斯様な珍しいものがある。後藤男の出品は、産業方向に取っても大なる参考資料となったに相違ない。吾人は此機会に於て深く男の好意を謝するものである

 


 後日の紙面で、感謝のことばが述べられている。


 一方そのころ、当の敗戦ドイツでは――。


 炭酸水の泡みたく、不幸な事態が次から次へと湧いていた。

 

 

(ドイツ議事堂)

 


 某工場の有能技師がアルミニウムの使い方に妙を得た新機軸の飛行機翼を設計し、組み立ても済みいよいよ実証実験を行おうとした矢先。なんの事前連絡もなく「連合国の委員」を名乗る一団が急にぞろぞろやって来て、例の試作機を睨め上げるや、


「重大な協定違反だ」


 軍事に関わる、こんな危ない研究をお前たち敗戦国民がしてはならぬと通告、あるいは叱責し、一切の弁明を聞かずして、その場で爆破・解体処分を行った。


「あっちは最近、そういうことばかりだよ」


 と、東京帝大工学部教授・横田成年がやはり『読売新聞』記者を相手に物語ってくれている。


「だからこそ」


 と、更に横田は語を継ぐに、

 


今日のドイツ人は学術の研究よりも先づ如何にして我が身を保護するかを考へねばならぬ窮状である、日本に来る事を非常に喜んでゐるといふ事であるから此の際どしどし傭聘して戦時中に蓄へた優秀な研究に接すべきである

 


 第二次世界大戦後、ナチの優秀な科学者がアメリカにもソ連にも引く手数多だったという例の逸話を想起せずにはいられない、こんな意見を以ってした。

 

 

(『Call of Duty: WWII』より)

 


 先見の明があったのだろう。


 具眼者なりと称讃するに、些かの迷いも不要であった。

 

 

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春畝を偲ぶ ―伊藤博文、その巨影―


 偉人が語る偉人伝ほど興味深いモノはない。


「評するも人、評せらるるも人」の感慨をとっくり味わえるからだ。


 福澤諭吉は『時事新報』の記事上で、伊藤博文を取り扱うに国中稀に見る所の政治家という、きらびやかな言を用いた。「政治上の技倆を云へば多年間政府の局に当りて自から内外の事情に通じ、或は失敗もし或は成功もしたる其間に、あらゆる政界の辛酸苦楽を嘗め盡して今日に至りしことなれば、事の経験熟練の点に於ては容易に匹敵するものを見ず。殊に日本の憲法制定に参して最も力あるの一事は内外人の共に認むる所にして、其功労は永久歴史上に滅すべからず云々と。

 

 

 


 べた褒めである。


 満艦飾といっていい。


 まるで鳴りやまぬ喝采だ。


 明治十四年の政変で拗れたとされる両者の仲も、とどのつまりは「時」が癒したらしかった。少なくとも福澤諭吉の態度には、軟化というか、幾らかの歩み寄りが見て取れる。


 民本主義の提唱者、大正デモクラシーという巨大なうねり・・・の導き手、言わずと知れた吉野作造その人も、こと伊藤公に関しては、福澤諭吉と同じ立場に立っていた。


 共に語るに足る器量うつわ、維新政府発足以来おそらくは、最高の資質の持ち主と――。

 


一代の政治的天才伊藤公はあの頃から段々自由主義の政治家となり掛けて居た。憲法創設の当初、彼は所謂超然内閣論を固執し、議会に対しては飽くまで高圧手段を以て臨んだ。それにも拘らず日清戦争後になると彼の態度は段々変って来た。此処に彼の偉い所がある。普通平凡の政治家は、一度通った道を万代不易と思ひ迷ふて遂に時勢の取り残す所となり、古い頑迷思想で盲想するを常とするものだが、独り伊藤公のみは一歩先んじて時勢を指導するの態度に出でんとしたのは――仮令未だ十分徹底はしなかったとはいへ――我々の常に敬服して措かざる所である」

 

 

Yoshino Sakuzo 01

Wikipediaより、吉野作造

 


 星新一も見逃せぬ。


 ショートショートの雄として、おそらくは向こう百年ずっと誰にも越せぬ高みにたたずむこの人は、ノンフィクションも実は能くした。


 その著『明治の人物誌』中で伊藤公を語るに際し、星新一はこれこの通り、

 


「私は、世の中には短く要約できないものはないという意見の持ち主だが、伊藤博文にはそれが適用できない。こんな人間が存在したのか、である」

 


 見ように依っては「兜を脱いだ」、脱帽とも取れなくもない、異様な告白をやっているのだ。


 更に読み進めてゆくと、

 


「明治期の日本という、どこへ暴走するかわからないしろものを、彼は巧みにハンドルをあやつり、ブレーキをかけ、安全運転をやってのけた。みごとなものである。それにしても、こんなにも描きにくい人間は、めったにいない。
 しかし、政治家はこうあるべきなのだろう。波乱万丈の人物は書くほうも読者も楽しいが、そんなのに政治をやられた場合、大衆はおおかた好ましい状態ではないのだ」

 


 福澤、吉野、前二者と、やはり同趣旨の太鼓判が押してあるのが見出せる。


 伊藤博文、鍍金にあらず。真に一流の人物だ。

 

 

 


大日本帝国皇帝陛下
 神聖叡武遠く東洋の平和を慮り、重臣大勲位侯爵伊藤博文を統監として弊邦政務の指導啓発に任ぜしむ、而して今春着任以来画策せる施政の改善により、従来の弊政を一掃し、面目を一新したるは、朕の深く欣ぶ所なり、尚将来益々弊邦を扶植誘掖して其効果を収めしめんことを」

 


 おっと、しまった、変なのを紛れ込ませちまった。


 これは明治三十九年、韓国皇帝・高宗が明治大帝に宛てた親書だ。


 然り、高宗。ジョージ・ケナン「朝鮮王は朝鮮人独特の陰謀性を持っている上に、赤子の如く無神経で、ボーア人の如く執拗で、支那人の如く蒙昧で、そうしてホッテントット人の如く虚栄心に満ちた男だ。伊藤公のような公正を尊ぶ文明流の政治家は、きっとこの無節操な利巧者に篭絡されるに違いない」と危惧された、まあ札付きの彼である。

 

 

(李王家博物館)

 


 これだけ媚びた感謝状を送っておいて、その裏側ではハーグ密使事件のような陰謀回しに齷齪していたわけだから、ケナンの予想は過たず的を射ていたわけだろう。


 そりゃあ伊藤博文自身、

 


詭言妄語些かの信義なきは韓国上下の常なり、今回の事件に付韓国を合併すべしとの論あるも合併の必要はなし、合併は却て厄介を増すばかり何の効なし、宜しく韓国をして自治の能力を養成せしむべきなり」

 


 朝鮮人に半ば愛想を尽かしたのもむべなるかなだ。


 顔をメタクソに潰された上、そのうえ更に安重根の大馬鹿野郎にたったひとつの生命いのちまで無惨に奪われるのだから、馬鹿々々しいにも程がある。伊藤公にしてみれば、やってられない話であろう。

 

 

Ito before death

Wikipediaより、暗殺直前の伊藤)

 


 接触するものすべてに厄が降りかかる。活きた大凶そのものだ。つくづくあの民族と関わるべきではないらしい。

 

 

 

 

 


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「幻華在目十四年」 ―秋田小町と犬養毅―


 正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。

 

 況や犬養に於いてをや。


 明治十年代半ば、犬養毅は特に招かれ、東北地方の日刊紙、『秋田日報』の主筆として活動していた時期がある。「才気煥発、筆鋒峻峭、ふるゝ者みな破砕せり」とて衆の威望をあつめたものだ。

 

 

(秋田のなまはげ

 


 それと同時に土地の名歌妓・お鐵にめちゃくちゃ入れあげて、交情熱烈大紅蓮であったのも、蓋し有名な逸話はなしであろう。


 明治の青年たちにとり、艶彩迷酒の歓楽はほとんど通過儀礼の一種。酒で腸を焼き鉄拵えにするのと一般、娼妓おんなの肌に触れてこそ、志は磨かれる――と、大真面目に主張したとて誰も不審に思わない、大仰な倫理問題を惹起せずに赦される、そんな雰囲気、空気であった。


 よって犬養木堂の、やがて大日本帝国の首相にまで登り詰めるこの人物の秋田時代の行状も、不真面目なりと責められるには及ばない。後ろめたさを感じる必要性もなく、大いにやったようだった。

 

 

(秋田の女性)

 


 斯くて結ばれた両者の仲は甚だ深く、また固く。


 昵懇と呼ぶに些かの躊躇も挟むに及ばないもので、最大の試練、時の流れに対してすらも二人の絆はよく耐えた。


 それを示す佳話がある。


 犬養毅が秋田を去って十数年後が、すなわち舞台背景だ。


 中央で声価を稼ぎまくった犬養は、もはや一介の書生にあらず、堂々たる政客に羽化変身を遂げており。


 在野大政党の領袖として東北地方を行脚演説する途上、自然な流れで秋田に入り、主筆時代の旧交を大いに温め合っている。

 

 

The Akita Sakigake, headquarters 04

Wikipediaより、秋田魁新報社

 


 もちろん嘗ての「想いもの」たるお鐵とも、顔を合わせる機会をもった。


 その席上で、犬養は漢詩うたを詠んでいる。


 極めて私的なその漢詩うたを、他人の寝所をこっそり覗き見るような後ろめたさを覚えつつ、しかし、やっぱり、それでも敢えて、以下に掲げて置きたく思う。

 

 

憶昔曼陀羅坊中選
阿鐵才色名最顕
満城少年競豪奢
不愛千金買一眄

 

吾會一見如舊知
為吾慇懃慰客思
尚記旭川春雨夜
又記池亭別離時

 

雲山重々路萬千
幻華在目十四年
如今相見先恐問且答
不禁為汝靑衫濕

 

 

Inukai Tsuyoshi

Wikipediaより、犬養毅

 

 

 犬養毅人間性


 世に立つ上でひどく大事な「情味」の部分に触れられる、好個のエピソードであった。

 

 

 

 

 


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どうせこの世は男と女、好いた惚れたとやかましい


 デモクラシーの掛け声がさも勇ましく高潮する裏側で、人間世界の暗い業、望ましからぬ深淵も、密度を濃くしつつあった。


『読売新聞』の調査によれば、改元以来、日本に於ける離婚訴訟の件数は、年々増加するばかりとか。


 大正四年時点では八百十三件を数えるばかりであったのが、


 翌五年には九百五件に上昇し、


 次の六年、九百五十一件にまで跳ねたなら、


 七年、とうとう千百四十二件なり――と、四ケタの大台を突破して、


 更に八年、千二百十八件を計上と、伸長にまるで翳りが見えぬ。

 

 

(タバコを吸う夏川静江)

 


 なお、一応附言しておくと、上はあくまで訴訟を経ねば別れ話が纏まらなかった事例のみの数であり、離婚そのものの総数は、更にこれから幾層倍するのは間違いないことだ。


 現に二〇一九年のデータを参照してみても、二十万八千四百九十六件の離婚中、裁判手続きを経たものは五千四十八件と、ほんの一滴程度に過ぎない。


 閑話休題それはさておき


 大正時代の『読売』は、更に一段、掘り下げて、訴訟の多くを占めるのが、妻が夫を訴えるケース「其の訴訟には何れもきまって相当の慰謝料請求が附帯されて居る」ことを闡明してのけている。


 おまけにこの現実は、「権利思想が女に普及した事を立證するものであらう」と、歓迎ムードを漂わせ――。


 まこと笑止な、軽率極まる盲断だった。

 

 

読売新聞社

 


 そこをいくと平塚らいてう女史などは流石にも少し慎重で、

 


自由恋愛にせよ、自由離婚にせよ、それが誤りなく実行されるにはそれに先だって、人は知的、並びに情的の教養、訓練を何より必要な準備として経なければならないといふことは、いつも記憶してゐなければならないことであります」

 


 と、常識的な訓戒を世間に呈してくれている。


 まあ、そんな「準備」など、現代令和社会とて、完備・完了しているなどとは口が裂けても宣言できないザマではあるが。

 

 

フリーゲーム『操』より)

 


 なんだかどの時代を見ても、男女関係というやつは常に悶着の連続であり、闘いの火種たらざるはない。


平和とは瞞してゐる間か、瞞されてゐる間の現象だ、そのことを一方が発見するか自覚するかしたら破滅だ。――真渓涙骨のこの言葉。

 

 ほとほと真理であったろう。人間の本質は闘争なのだと、痛感するばかりであった。

 

 

 

 

 


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女神が握っているものは


 移民が増えれば犯罪も増す。


 両者はまさに正比例の関係にある。


 アタリマエのお話だ。


 一世紀前、この論法に疑義を呈する白人は、ほとんど絶無に近かった。「自由の国」の金看板を衒いもせずにぶちあげる、アメリカとてもその辺の事情はまったく同じ。揺るぎなき金科玉条として、日本移民排斥の十八番としたものだ。

 

 

(いわゆる「日系二世」たち)

 


 なんといってもスタンフォード大学の名誉総長サマまでが滔々として述べている、

 


アジアから群がり来る大勢の移民を歓迎する事は米国に取っては政治的に好ましからざる事である、…(中略)…人種がちがへば異ふ程、そして特に新来者の野心が大なる程、両者の軋轢は大きくなるのである。日本人が真面目であり勤勉でありそして全部ではないが大概は正直であり良民であると言ふ事実はサクラメント郡に於ける排日の形勢を如何ともすることは出来ない」

 


 と。


 個々の資質の良否なぞ、およそ二の次、三の次。


 肌が白くない、黄色い肌の日本人であること自体が、つまり問題の根幹であり、騒動を惹起する元凶である。存在自体が駄目なのだ、と。デイヴィッド・スター・ジョーダンによる、実にありがたいお言葉だった。

 

 

Stanford University campus from above

Wikipediaより、スタンフォード大学キャンパス)

 


 それが今ではどうだろう、上の如きをニューヨークの十字路で白昼堂々公言すれば、たちまちのうちに「レイシストのクソ野郎」と認定されて罵られ、袋叩きの目に遭うことに相違ない。


 いやはや変われば変わるもの。

 


米国の自由の精神なるものが種々変る。時には帝国主義めく時もある。世界に対しお山の大将めく時もある。所謂人道主義めく時もある。若し本当に自由の女神をして米国を象徴させる気ならせめて手は握っただけにして捧げるものを自由に取換へられるようにするがいい

 


 岡本一平の観察は、蓋し急所を射貫いていたと感心せずにはいられない。


 一世紀中に風向きはまるきり逆転したわけだ。


 では、次の一世紀先は、果たしてどうなる?


 岡本一平の毒筆をして、

 


 ――記念像なぞといふものは気取った嘘を形に作り上げるまでのものだ。

 


 斯く言わしめた女神像の手にはいったい百年後、何が握られているだろう?

 

 

岡本一平によるスケッチ)

 


 握る握らない以前の問題、核爆発を至近に受けて、とっくにこの地上から消滅している可能性とて、あながち無きにしもあらず。昨今の世界情勢は、それほど差し迫っている。これを書いている間にも、合衆国の裏庭あたりが騒がしい。大使館の治外法権が正面から無視されて、ために国交断絶相次ぐと、冗談みたいな報道が飛び込んでくるザマだから。


 未来予測の絵模様は、どうにもこうにも薄暗い。


 慄然たるべき危うさだ

 

 

 

 

 


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利通の遺産


 大正九年のお話だ。


 帝都は水に苦しんでいた。


「水道、まさに涸れんとす」――ありきたりと言えば左様そう、単純に渇水の危機だった。

 

 

江戸東京たてもの園にて撮影)

 


 当時の市長、田尻稲次郎は事態を重く見、市民に対して犠牲心の発露を願う。トンネルの出口が見えるまで――解決の目処が立つまでの間、「娯楽目的の水道利用」を禁止すると声明し、ために深川あたりの労働者らは満足に体も拭えなくなり、必然毛穴は閉塞し、皮膚の痒みで夜もまともに眠れない、散々な目に遭わされた。


 皇居御苑を筆頭に、各地公園の噴水も軒並み停止させられる。節水、節水、節水で、堅っ苦しい雰囲気が帝都に覆いかぶさった。


 然るにだ。この状況下で弛緩している者がいる。


 周囲の苦悩も知らぬ顔の半兵衛で、自分たちだけ太平楽謳歌する、げに不届きなやつばら・・・・が。


 金持ち、富豪、億万長者――そのように呼ばれる連中である。


「いちばん金を唸らせているあいつらが、いちばん非協力的だった」


 辞儀も忘れて毒づいたのは、新帰朝の若手官僚、長岡隆一郎なる男。


 齢三十六にして内務書記官と内務監察官の二役を兼ねてのけていた、将来有望株である。

 

 

Ryuichiro nagaoka

Wikipediaより、長岡隆一郎)

 


 実際のちに警視総監や関東局総長等を歴任するにまで至る、――この人物の当時に於ける発言をそのまま引かせていただくと、

 


「…然るに都下の富豪の庭園には常に水が満々と湛へてゐる。
 市役所の職員が其の水を止めに行くと反対に叱り飛ばして追払ふといふ傲慢な態度であった。東京市の富豪にとりては市民よりも自分の池の鯉や鮒の方が大切なのであらう。此の現象は社会主義者百度主義の宣伝をやるよりもより以上危険極まるものである。
 自分は是等の罪を犯した富豪の名を一々槍玉に挙げる事が出来るが今度丈けは名前を発表しない、然し若しも又此後にこんなことを繰り返すやうなことがあったら容赦なく世間にさらけ出す積りである」

 


 問題の本質を見抜く眼力、脅威と寛容、社会的制裁を仄めかしての圧の掛け方。


 一級品だ。全体的に、よく練られている印象である。カミソリみたいな頭脳あたまのキレを如実に感じるものである。

 

 

Home Ministry

Wikipediaより、内務省庁舎)

 


 衛生局医務課長・野田忠広。


『牛乳讃歌』の彼といい、内務省にはやはり天下の秀才が集結していた印象だ。官庁の中の官庁、嘗て大久保利通「国の国たるゆえんのもと」と定義付けられ創立せられただけはある。


 結構至極なことだった。

 

 

 

 

 


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ビバ・キャピタリズム!


 造り過ぎた。


 無限の需要を当て込んで国家の持ち得る生産力のあらん限りを発動させた、その結果。


 第一次世界大戦後のアメリは、げに恐るべき「船余り」に苦しめられる目に遭った。

 

 

終戦の日アメリカ)

 


 サンフランシスコに、シアトルに、タコマに、ポートランドに、それから勿論ニューヨーク。――北米大陸東西沿岸、ありとあらゆる港湾に、外形ガワだけ造って機関も何も入れてない、所謂半成状態の木造船がずらりと並んでいたものだ。


 当時アメリカを旅行した日本人のほとんどが、およそこの種の豪華なる「船の寿司詰め」状態を目の当たりにして驚倒し、その感情の振幅を紀行文に記入つけている。


 有名どころを挙げるなら、漫画家・岡本一平の『紙上世界一周漫画漫遊』が、まずまず妥当であったろう。

 


「ユニオン・レーキといふ湖水に戦時に造り不要になった六千噸以上の大船が四十三艘も置きっぱなしになってる。当時造船費三十六万弗かかったものが今は二千弗でも買ひ手が無いといふ。(中略)…『一つ日本へ買って帰ろうかしら』然し再考に及べば廻漕費が幾十倍つくか判らぬので『マアよしにしよう』今米当局では橋の代用にしようかと詮議中の由

 

 

 


 舟橋、それも人類史上有数の、極めて高価な舟橋である。


 これぞヤンキー気質であろう。発想の大きさ・粗雑さ共に、如何にも彼らの国民性を反映していて悪くない。


 この舟橋プラン以外にも、米当局は不要船の遣り場について、珍案愚案を次々出した。

 


「住宅難の折柄、是は適当な場所に繋留して造作を加へた上に労働者の住宅として提供するがい」

 


 と、サンフランシスコ選出の某議員がのたまえ・・・・ば、

 


「夫れには工作用として巨額の費用が要るので、左様なことをするよりも寧ろ太平洋の真中に曳き出して一時に火を放って焼却し炎々と燃え盛る所を活動写真に撮影してフィルムとして売却した方が遥に利益がある

 


 映画会社のロビー活動ワイロ攻勢をたっぷり受けた別の議員が、たちまち反論する始末。


 いよいよ以ってアメリカ的・・・・・な感じの募る景色であった。

 

 

(『Fallout4』より)

 


 他に『紙上世界一周漫画漫遊』の、アメリカ編で面白かった箇所はといえば、

 


「町裏によく太い焼木杭を看る。それに SOAP と英語が書いてあるので何か由緒でもあるかと字引を引いたらつまらぬ。石鹸の広告さ。そしてこの焼木杭は町を開く為め焼払った跡だとは大木をむざむざ勿体ない」

 


 バンクーバーにてしたためられた、上のくだりを選びたい。

 

 

 


 キャピタリズムもここまで徹底したならば、一周まわって清々しさすら発生させ得るものらしい。こそこそと、目を盗むように、中途半端がいちばん駄目だ。そういうことを、星条旗は教育してくれるのだ。

 

 

 

 

 


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